第三篇 戦争史大観の説明
第一章 緒論
第一節 戦争の絶滅
東西古今、
総ての聖賢の共同理想であり、
全人類の憧憬である永久の平和は、現実問題としては夢のように考えられて来たのである。
しかし時来たって必ず全人類の希望が達成せられるべきを信ずる。
固より人類の闘争本能を無くすることは不可能であるから、
この希望は世界の統一に依ってのみ達成せらるるであろう。
最近文明の急速な進歩はその可能を信ぜしむるに至った。
世界統一の条件として考えられるものは大体次の三つである。
1 思想信仰の統一。
2 全世界を支配し得る政治力。
3 全人類を生活せしむるに足る物資の充足。
心と物は「人」に於て渾然一体である。
その正しき調和を無視して一方に偏重し、
いわゆる唯心とか唯物とかいう事はむずかしい理屈の分からぬ私どもにも
一方的理屈である事が明らかである。
しかし心と物は平等の結合ではなく、
どこまでも心が主であり物が従である。
思想や信仰の観念的力をもってして
人類の戦争を絶滅する事が不可能である事は数千年の歴史の証明するところであるが、
戦争の絶滅に思想信仰の統一が絶対に必要であり、
しかもそれが最も根本的の問題である事は疑うべからざるところである。
ただしこの統一も単なる観念の論議のみでは恐らく至難で、
現実の諸問題の進展と理論の進歩の間には微妙なる関連が保たるべきものと信ずる。
すなわち思想の統一は自然、人格的中心を要求する。
ソ連でさえマルクスだけでなくレーニン、スターリン等を神格化しているではないか。
我らの信仰に依れば、
人類の思想信仰の統一は結局人類が日本国体の霊力に目醒めた時初めて達成せられる。
更に端的に云えば、現人神たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。
しかも世界人類をしてこの信仰に達せしむるには日本民族、
日本国家の正しき行動なくしては空想に終る。
かつ、人類が正しきこの信仰に達するには日本民族、
日本国家等の正しき思想、
正しき行為だけでは不可能であり、
正義を守る実力が伴わねばならぬ。
結局文明の進歩により、
力の発展により逐次政治的統一の範囲を拡大し、
今日は四個の集団に凝結せんとする方向にある人類はやがて二つ、
すなわち天皇を信奉するものとしからざるものの二集団に分かれ、
真剣な戦いに依って統一の中心点が決定し、
永久平和の第一歩に入り戦争の絶滅を見るに至るであろう。
人類歴史は政治的統一範囲を逐次拡大して来たのであるが、
それは文明の進歩に依り主権の所有する武力が
完全にその偉力を発揮し得る範囲をもって政治的統一の限度とする。
すなわち将来主権者の所有する武力が必要に際し
全世界到るところにある反抗を迅速に潰滅し得るに至った時、
世界は初めて政治的に統一するものと信ぜられる。
そして世界が統一した後も内乱的戦争は絶滅しないだろうと考えらるるだろう。
それには前に述べた信仰の統一が強い力であることが必要であるが、
同時に武力が原始的で、
何人も簡単にこれを所有し得た時は内乱は簡単に行なわれたのであるが、
武器が高度に進歩する事が内乱を困難にして来た事も明らかに認めねばならない。
刀や槍が主兵器であったならば、
今日の思想信仰の状態でも
世界の文明国と云われる国でさえ内乱の可能性は相当に多いのであるが、
今日の武器に対しては軍隊が参加しない内乱は既に不可能である。
しかし私は信仰の統一と武力の発達のほか、
一般文明の進歩に依り全人類の公正なる生活を保証すべき物資が
大体充足せらるる事が必要であると考える。
すなわち人類の精神的生活が向上して無益なる浪費を自然に掣肘(せいちゅう)し、
かつ科学の進歩が生活物資の生産能率を高むる事が必要であって、
物欲のための争いを無限に放置されていた今日までの如き状態は解消せらるべきだと信ずる。
これは信仰の統一、武力の発達の間に自然に行なわるる事であろう。
第二節 戦争史の方向
戦争は人類文明の綜合的運用である。
戦争の進歩が人類文明の進歩と歩調を一にしているのは余りに自然である。
武力の発達すなわち戦争術の進歩が人類政治の統一を逐次拡大して来た。
世界の完全なる統一すなわち戦争の絶滅は
戦争術がその窮極的発達に達した時に実現せらるるものと考えねばならぬ。
この見地よりする戦争の発達史および将来への予見が本研究の眼目である。
戦闘は軍事技術の進歩を基礎として変化して来た。
また国軍が逐次増加し、それに伴ってその編制も大規模化されて来た。
こういうものは一定方向に対し不断の進歩をして来ているのである。
しかるにその国軍を戦場で運用する会戦
(会戦とは国軍の主力をもってする戦闘を云う)は
これを運用する武将の性格や国民性に依って相当の特性を認めらるるけれども、
軍隊発達の段階に依って戦闘に持久性の大小を生じ、
自然会戦指揮は或る二つの傾向の間を交互に動いて来た。
また武力の戦争に作用し得る力も
また歴史の進展過程に於て消極、積極の二傾向の間を交互し、
決戦戦争、持久戦争はどうも時代的傾向を帯びている。
以上の見地から
戦闘法や軍の編制等が最後的発達を遂げ、
会戦指揮や戦争指導が戦争本来の目的に合する武力本来価値の発揮傾向に徹底する時、
人類争闘力の最大限を発揮する時であって、
これが世界統一の時期となり、永久平和の第一歩となる事と信ぜられる。
第三節 西洋戦史に依る所以
この研究は主として西洋近世戦史に依る。
第二篇に於て述べたように私の軍事学の研究範囲は極めて狭く、
フリードリヒ大王、ナポレオンを大観しただけと云うべく、
それもやっと素材の整理をした程度である。
東洋の戦史については
真に一般日本人の常識程度を越えていないために、
この研究は主として西洋の近世史を中心として進められたのである。
誠に不完全な方法であるが、
しかし戦争はどうも西洋が本場らしく、
私が誠に貧弱なる西洋戦史を基礎として推論する事にも若干言い分があると信ずる。
今日文明の王座は西洋人が占めており、
世界歴史はすなわち西洋史のように信ぜられている。
しかしこれは余りにも一方に偏した観察である。
西洋文明は物質中心の文明で、
この点に於て最近数世紀の間西洋文明が世界を風靡しつつあるは現実であるが、
私どもは人類の綜合的文明はこれから大成せらるべく
その中心は必ずしも西洋文明でないと確信する。
東洋文明は天意を尊重し、
これに恭従である事をもって根本とする。
すなわち道が文明の中心である。
西洋人も勿論道を尊んでおり、
道は全人類の共通のものであり、
古今に通じて謬あやまらず、
中外に施して悖(もとら)ざるものである。
しかも西洋文明は自然と戦いこれを克服する事に何時しか重点を置く事となり、
道より力を重んずる結果となり今日の科学文明発達に大きな成功を来たしたのであって、
人類より深く感謝せらるべきである。
しかしこの文明の進み方は自然に力を主として道を従とし、
道徳は天地の大道に従わん事よりも
その社会統制の手段として考えられるようになって来たのでないであろうか。
彼らの社会道徳には我らの学ぶべき事が甚だ多い。
しかし結局は功利的道徳であり、
真に人類文明の中心たらしむるに足るものとは考えられぬ。
東洋が王道文明を理想として来たのに
自然の環境は西洋をして覇道文明を進歩せしめたのである。
覇道文明すなわち力の文明は
今日誠に人目を驚かすものがあるが、
次に来たるべき人類文明の綜合的大成の時には
断じてその中心たらしむべきものではない。
戦争についてもその最も重大なる事
すなわち「戦」の人生に於ける地位に関して王道文明の示すところは、
私の知っている範囲では次のようなものである。
1 三種神器に於ける剣。
国体を擁護し皇運を扶翼(ふよく)し奉る力、日本の武である。
2 「善男子正法を護持せん者は
五戒を受けず威儀を修せずして
刀剣弓箭鉾槊(きゅうせんぼうさく)を持すべし。」
「五戒を受持せん者あらば
名づけて大乗の人となすことを得ず。
五戒を受けざれども
正法を護るをもって
乃ち大乗と名づく。
正法を護る者は正に刀剣器杖を執持すべし。」
(涅槃経)
3 「兵法剣形(けんぎょう)の大事もこの妙法より出たり。」(日蓮聖人)
このような考え方は西洋にあるか無いかは知らないが、
よしんばあっても今日の彼らの文明に対しては恐らく無力であろう。
戦争の本義はどこまでも王道文明の指南に俟(まつ)べきである。
しかし戦争の実行は主として力の問題であり、
覇道文明の発達せる西洋が本場となったのは当然である。
近時の日本人は全力を傾注して西洋文明を学び取り摂取し、
既にその能力を示した。
しかし反面西洋覇道文明の影響甚だしく、
今日の日本知識人は西洋人以上に功利主義に趨はしり、
日本固有の道徳を放棄し、
しかも西洋の社会道徳の体得すらも無く道徳的に最も危険なる状態にあるのではないか。
世界各国、
特に兄弟たるべき東亜の諸民族からも蛇蝎(だかつ)の如く嫌われておるのは
必ずしも彼らの誤解のためのみでは無い。
これは日本民族の大反省を要すべき問題であり、
東亜大同を目標とすべき昭和維新のため
よろしくこの混乱を整理して新しき道徳の確立が最も肝要である。
しかしこれ程に西洋化した日本人も真底の本性を換える事は出来ない。
外交について見れば最もよく示している。
覇道文明に徹底せるソ連の外交は正確なる数学的外交である事は極めて明らかであるのに、
日本人の一部は日本が南洋進出のため今日の如き対ソ国防不完全のままソ連と握手しようと主張している。
誠に滑稽であるが、しかもこれは日本人の本質はお人好しである事を示しているのである。
日英同盟廃棄数年後になっても日本人は英国が日英同盟の好誼を忘れた事を批難し、
つい最近まで第一次欧州大戦に於ける日本の協力を思い出させようとしているのに対し、
あるドイツ人が「日本は離婚した女に未練を持っている有様だ」と冷笑した事があった。
これらも日本人は根本に於ては、
外交に於ても道義を守るべしとの考えが
西洋人に比して遥かに強い事を示している一例とも考えられる。
日本の戦争は主として国内の戦争であり、
かつまた民族性が大きな力をなして戦の内に和歌のやりとりとなったり、
或いは那須与一の扇の的となったりして、
戦やらスポーツやら見境いがつかなくなる事さえあった。
東亜大陸に於ても民族意識は到底西洋に於ける如く明瞭でなかった。
もちろん漢民族は自ら中華をもって誇っておったものの、
今日東亜の大陸に歴史上何民族か判明しない種族の多いのを見ても
民族間の対立感情が到底西洋の如くでなかったことを示している。
かく東洋は王道文明発育の素地が西洋に比し遥かに優れている。
これに加うるに東洋に於ては強大民族の常時的対立が無く、
かつ土地広大のため戦争の深刻さを緩和する事が出来た。
欧州では強大民族が常に対立して相争いかつ地域も東亜の如く広くなく、
戦争術の発展が時代文明との関連を表わすに自然に良い有様であった。
覇道文明のため戦争の本場であり、
かつ優れたる選手が常時相対峙しており、
戦場も手頃である関係上戦争の発達は西洋に於てより系統的に現われたのである。
すなわち私の研究が西洋に偏していても「戦争」の問題である限り決して不当でないと信ずる。
私の戦争史が西洋を正統的に取扱ったからとて、
一般文明が西洋中心であると云うのではない。
【続く】 石原莞爾 『戦争史大観』 第三篇 戦争史大観の説明 第二章 戦争指導要領の変化 第一説~第四節