気まぐれ雑感

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会津若松城(鶴ヶ城)

2009-04-23 09:33:38 | 歴史
平成21年4月17日(金)

4月17日(金)バスツアーで福島県へ向け出発。1泊2日の旅を楽しんだ。
福井を朝の8時出発。この日の宿泊は土湯温泉山水荘。

1日目は会津若松城(鶴ヶ城)だけで到着は午後の3時頃。ここでの見学時間は1時間の予定だ。まずは天守閣の中へ。

天守閣入口

展示はそこそこに見て展望フロアへ。城内の桜や会津若松市内が一望でき、桜は満開で花見としては最高の日であった。


天守閣から見た城内の桜


干飯櫓・鉄門・南走長屋


太鼓門と武者走り


本丸跡と茶室麟閣


天守閣の野面積み石垣


本丸跡

城郭の中を見て歩きたかったが時間が足りず残念。またの機会にして会津若松を去った。


(パンフレットより)
Since 1384
鶴ヶ城 History

鶴ヶ城には約600年の歴史があります。

葦名家
1384(至徳元年) 葦名直盛が東黒川館をつくる。
1543(天文12年) 葦名盛氏により会津地方の戦乱に終止符が打たれる。
 
伊達家
1589(天正17年) 伊達政宗が会津に入る。

蒲生家(92万石)
1590(天正18年) 蒲生氏郷会津領主として黒川城に入城。
1593(文禄12年) 七層の天守閣完成。黒川を若松に改め、町割りを作る。また城の名前も鶴ヶ城と命名。蒲生
             氏郷は、いわば鶴ヶ城の生みの親。統治はわずか4年でしたが地名を「若松」に改め、城下
             町の基盤を作り、伝統産業や町並を整備しました。今よりも高い七層の鶴ヶ城を築き千家
             茶道の流れを汲む茶室麟閣も造られました。

上杉家(120万石)
1598(慶長 3年) 上杉景勝が会津入りし、出羽3郡、佐渡3郡を加えて120万石が与えられる。

蒲生家(60万石)
1601(慶長 6年) 上杉景勝が米沢に転じ、蒲生氏郷の子・秀行が会津に入る。

加藤家(40万石)
1627(寛永 4年) 伊予松山から加藤嘉明が会津に入る。
1639(寛永16年) 天守閣は五層に改められ、西出丸、北出丸が整備される。

保科家(23万石)
1643(寛永20年) 嘉明の子・明成が会津40万石を幕府に召し上げられる。三代将軍家光の弟・保科正之が最
             上から23万石で入部。 
1696(元禄 9年) 幕府の命により松平姓と葵の紋を用いる。

松平家(23万石)
1862(文久 2年) 容保京都守護職を命じられる。
1868(慶応 4年) 鳥羽・伏見の合戦。
             容保会津へ入る。奥羽越列藩同盟なる。
             戊辰戦争にて1ヶ月の籠城の末、鶴ヶ城開城。


1874(明治 7年) 鶴ヶ城が取り壊される。
1965(昭和40年) 鶴ヶ城天守閣再建工事落成。
1984(昭和59年) 鶴ヶ城築城600年記念式典挙行。
1990(平成 2年) 茶室麟閣を鶴ヶ城本丸内に移築。
2000(平成12年) 干飯櫓・南走長屋を復元。
2004(平成16年) 天守閣内部を改装(リニューアル)



  
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