富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

自動販売機のリサイクル販売(輸出)を考える

2015年03月31日 | Weblog

街角の要所や、公衆浴場、観光地には、必ず自動販売機をみかける。これは、24時間いつでも販売機会を逃さない。その意味では、最適の販売手段である。現金を先に収納するので、債権回収、売掛金は、機械の内部では生じない。販売の人件費もカットできる。しかし、ゴールドラットのスループットの概念からみると、自動販売機は、飲料の製造メーカーにとり全体最適を保障するものではない。あくまでも、販売用の製品在庫の貯蔵庫である。売れ残りの在庫品は、別途の市場で原価に近い価格で最終処分される。100円均一のショップで、訳け有りのスチール缶やアルミ缶の飲料が販売されているが、それらは最終処分品である。飲料の製造メーカーが自動販売機の設置の営業展開力が最大化すると、自販機の設置密度も高まり販売機会も最大になるが、同時に製品在庫を極大に拡げ、売れ残り在庫を収容する「極小の倉庫」を立地限界まで拡張することになる。その場合、飲料販売権の地域フランチャイズがある場合、自販機の設置場所の販売効率を無視してでも、自販機の設置場所を極大まで拡げると、飲料製造メーカーは在庫回転率の低いショップをさらに多く抱えることになるから、平均の収益率は確実に低下する。ところが、自販機を製造する機械メーカーにすれば、飲料メーカーという顧客企業のスループットを無視して、自社のスループットを最大化するためには、1日に1個も売れない自販機でも、設置されたら機械販売の台数としてカウントできる。

 それ以上に、自販機そのものには販売地域フランチャイズがないので、中古の自販機をリサイクルで買い取り、改造して、タイ、インドネシア、ベトナムへ輸出できる。清涼飲料水は、GDPの成長率からみて、東南アジアは無限に近い市場条件を雍している。さらに、面白いことに、清涼飲料水の製造メーカーは、メーカーとしてはボトリングと内容物の製造をするだけなので、アルミ缶、スチール缶、ペットボトルの製品か、半製品を容器として外部企業から購入しなければならない。だから、飲料製造メーカーが、飲料販売会社に製品を渡した段階で、売上として会計されるので、販売会社からのオーダーに従い「トヨタ式」の生産ラインで無駄なく生産すればよいという部分最適に陥る。そうすると、飲料メーカーが製造と販売とが別会社で区切られていても、自動車メーカーのようにブランドとしての統合マネジメントの司令塔が重要な意味を占める。しかし、自販機メーカーからみれば、朝日飲料であれ、キリンであれ、コカコーラであれ、自販機そのものが売れたらよいので、在庫回転率の低い立地にも販売を続ける。しかも、そのような自販機は、風雪にさらされ、廃棄され、リサイクル市場に回ってくると、リニューアルして東南アジアへ輸出されることになる。

 ボトリング部門は、狭い地域内の販売圏の制約がないから、最低の輸送費で全国、世界へ配送できる鉄道貨物、船舶輸送に依存する。消費者は、自分のノドと飲み物の消費しか考えない。清涼飲料水は、さまざまな原料や、在庫販売機械、リサイクルなどの産業関連を持ちながら、最終の消費者市場の消費予測に合わせ製造するが、最終消費者に製品が販売された時点で売り上げとして会計計算するゴールドラットのスループットの概念が導入され、統括市場本部と生産指令とが緊密でないと、外部メーカーである自販機の機械メーカーのスループット計算により市場行動が上位となる。

 こうして、北陸CCボトリングは、飲料水メーカーとしては地域フランチャイズの市場限界のなかで、販売限界があり、自販機の再生機械メーカーとして東南アジア市場を獲得することで、将来性が大きく確保された。グローバル化することで、飲料の中身を売るビジネスよりは、飲料容器や、ボトリング、そして自販機の機械メーカーが優位な位置にたつことになる。

 


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マネジメントにおける人の「器」

2015年03月27日 | Weblog

孔子は、人財を「器」にたとえている。形而上の概念である「道」、つまり見えないが、理論として「器」たる人が実践すれば到達できる「道」である。「道」の存在は、実践によりその存在を証明できる。しかし、他者に伝えられるのは、形而上の言葉でしか伝えられない。この抽象的な「道」は、人財として社会的な価値がある「器」によらないと、人類社会を縦につなぐ「歴史」としての「道」には繋がらない。マネジメントは、営利の企業だけに存在するのではなく、非営利の組織にも存在する。組織という切り口で見れば、家族もマネジメントの領域に入る。孔子が「大学」で、修身、斉家、治国、平天下と述べるのは、そのためである。マネジメントの基礎は、修身という自己管理にある。「家」を経営して、「家」の子孫を絶やさないことが人類社会への貢献の方法である。そのために、養子の制度がある。これは、儒教文化圏における「家」と、キリスト教圏のおける「ファミリー」とは、後者が孤立した個人を前提とする社会、「神と個人」を理念とする文化とはことなる。全てを個人の自己責任に還元し、神の下の平等な人格価値を説く「天賦人権」説は、ヨーロッパ・モダンである。このヨーロッパ・モダンは、北東アジアでは、何の因果であろうか、ソ連の共産党のロシア革命の思想を拡げる共産主義運動と重なり、古い儒教式の家族主義に対する対抗原理として導入される。これは、共産主義運動に動員するのに、家族主義から個の自立を促すため、神の下の平等な人格価値を説く「天賦人権」説が借用された訳である。だから、日本では、共産主義と個人のエゴイズムとは固く結びつき、進歩的文化人なる戦後民主主義思想が形成される。しかし、それが民族国家として成功のモデル・パターンであるかどうか、まだ、日本の歴史は、それを決めかねている。中国では、孫文も神の下の平等な人格価値を説く「天賦人権」説を採用しない。毛沢東は青年期は、天賦人権説に傾くが、人民公社を発想は、家父長の座位に中国共産党をおくことで、社会的には大家族主義を共産主義の芽として活かそうとした。それ以上に、海外華人・華僑は、古い儒教式の家族主義を保守しながら、アメリカ、カナダ、豪州、欧州でマネジメントの輪を拡げてきた。ユダヤ人は、キリスト教の「天賦人権」説とは異なり、自らの宗教王国への回帰のため、教育事業への支援を通じて「器」を養成した。ノーベル賞の授賞者に占めるユダヤ人比率は極めて高い。海外華人・華僑からも優れた「器」がでている。その代表は、孫文である。さて、ここで話をしめくくろう。現代日本の「器」は、誰が育てているのか?「家族」への依存度、「国家」という公への依存度、「企業」という社会の依存度がクロスしているのが現状であろう。この3点セットを上手くかみ合わせるのが、今後、日本にとり必要なマネジメント科学となるのではないだろうか。


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営業の基本は、仁の道における「勇」:仁勇が原動力

2015年03月26日 | Weblog

孔子がいう、道行われず、・・・海に浮かばん、と。この話は、公冶長篇の第六章に出てくる。その同行者としては、子路だけだろうな、とつぶやく。すると、それを間接的に聞いた子路が喜ぶ。子路の反応を聞いた孔子が、「勇を好むこと我に過ぎたり」という。朱子集注では、子路を諫めた言葉だと、子路を孔子が批判したことになっている。しかし、「道行われず」とは、企業でいえば「売上高が思うようにあがらない」閉塞の状況にある。トップがその状況を打開するために、海外市場の打開策を求める。孔子の時代は、筏にのり、海に浮かんで、海流の作用で漂着するのを待つだけであった。不確実な渡海しか、期待できない時代であった。それでも、「仁」という道徳哲学は、東方の世界では流布が待たれている、と理解されていた。孔子は、東方の世界への期待が大きかったことは、論語のなかから論証できる。というのは、孔子の国の魯の国からは、意外に海が近く、山東半島の根元の現在の青島市には徒歩でゆける。隣国の斉の国は、山東半島を治めている。「斉の東」つまり山東半島には、孔子の学を喜ぶ風紀がある。反対に、今の北京周辺、燕の国は形式では中華の民であるが、野蛮で、山東半島から今の上海の海岸部に暮らす少数民族のほうが孔子の文字文化に親しもうとしている。それらの民が新天地をもとめ、筏を利用して、朝鮮半島の南部から日本列島、特に日本海側に周王朝の文化を慕う文化が生まれ始めていた。孔子は、思想家の営業戦略として、東方の世界で儒学が普及すると遠い将来を読んでいたのは、大したものである。17世紀の北東アジアは、朱子学の時代、つまり儒学により文化統合されていた。ヨーロッパのキリスト教の旧教と新教とのせめぎ合いと比べると、北東アジアでは互に譲り、互に尊敬する関係が成立した。これは、孔子の歴史貢献である。結局、この時は、弟子たちが海に浮かぶ勇気をもつ人物が少なかったので、内陸にむけて、思想家としての営業に邁進する。その先頭に子路が居た。さて、営業とは、企業の哲学の普及、伝道師である。Aという商材の背後にある哲学がないと、市場の評価は得られない。自分が環境に優しくありたい、このような仁の道が人類社会には生まれてくる。Aという商材が、ヒューマニティの増進に役立つかどうか、それはアダム・スミスの道徳感情論に原理が示されている。孔子は、「徳は孤立しない、必ず同調者である隣人が現れる」と述べている。営業人には、営業仁となれ、と孔子は教えている。人助け、それが仁です。


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言葉を巧みにし、顔の表情を好くする、それだけではダメ。

2015年03月24日 | Weblog

「論語」には、営業にあたり矛盾した伝承が出てくる。巧言令色は、仁が少ないという。反対に、孔子が国君に接するときは、愛想を善くし、へつらっていると、他人に批判されたら、立腹したという話もある。要は、営業の本質は、相手の為になる提案であるから、相手の利をもたらす提案に基本がある。難題を諮問されたら既に信用を勝ち得ている。「信」義を得ることこそが、営業である。それには、提供させて戴く情報に価値があり、真実性がないと、「信」は生まれない。といって、言葉を巧みにし、顔の表情を好くするのは、善くないのか。そうではない。ただ、言葉巧みに、親しみやすい表情は、その場をなごませる。それでは、単価の少ない、数量の少ない小売業では、なりたつ営業の技術であろうが、何千万円、何億円の世界では通用しない。そのような大型案件ばかりの世界では、君子と君子との交わりが全てである。人格性の低いトップに食い込んで、一時的な売り上げが達成できても、営業職からマネジメントのリーダーには成長できない。褒賞として、役員の座が用意されるが、トップの位にはほど遠い人が少なからずいる。要は、誠意、誠実、信義という人格性がこちらに無いと、そういう次元の顧客には出会えるチャンスすら回ってこない。


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営業人の哲学「我れ三人行く、必ず我が師を得る」

2015年03月23日 | Weblog

これは、論語の述而篇の十九章にある。金谷治先生の訓読では、「我れ三人行【おこな】えば」となる。「行」を「行為」とみる。それに対し、広徳館版では「行」を、進行するという意味にとる。これは、「行」に多義性があるからである。楊伯峻によると、「行」の文字は、論語のなかで72回も登場する。これは、論語のキーワードであると言ってよい。「おこない」の用例は29回、「いく」の用例は11回である。字義を固定できないで、広範な意味にとれるのは、4回。だから、三人でどこかに行く、と広徳館版が訓じても、具体的な「旅行」を意味しない。「行動」という広範な意味である。「行為」では、英語のアクションという短時間すぎる。「行く」となると、ある程度の時間を共にすることを意味する。だから、小生は広徳館版の訓読を採用する。それでは、なぜ、これが営業人の哲学となるのか?それは、孔子が「師を得る」と述べた含蓄である。孔子は、かなり接した人物を誉めることで、相手の人格を見抜く術を知っていたに違いない。だから、この言葉は、「その善を択びこれに従う。その不善にしてこれを改む」と述べる。「善」か、「不善」か。だから、営業は、あるいはマネジメントの基本は、他者の善に学び、自己の善を他者に伝えることである。これは、実はファスナーで世界市場での占有率が最高であるYKKの経営哲学である。「善の循環」という思想である。これとゴールドラットの経営学を比較すると、あるいは、ゴールドラットの理論の土台であるトヨタと比較すると、YKKは利益幅が極めて少ない。昨日、仲間の勉強会では、YKKさんのマネジメント理論は、現時点で世界最先進とはいえない。各部門の部分最適の総和が全体最適と錯覚されているのではないか。株式を上場していないために、経営が科学的、客観的な批判にさらされていないのではないか?ともかく、YKKさんのトップがTOCの概念を駆使し、利益を安定的に成長させる算式を全社的に共有できていないのではないか?そういう疑問が出てきた。すると、営業は「御用聞き」役の徹していることになる。提案型、鋭くいえば縫製メーカーにマネジメント全体としての「師」に成りきれていない面があるのでhないか?ともかく、ゴールドラットの理論に従えば、川上から川下まで、産業全体の収益効率の最大化という点で、企業ごとの部分最適ではなく、産業としての最適効果をめざす企業全体の提案こそが、営業である、そういう経営トップが少ないことが日本の悩みである。それを総合商社が代行している。だから、営業は外交、セールス、外まわり、一段下、売上競争・・・ロクなイメージが生まれない。しかし、「師をえる」旅と考えたら、市場こそ最大の戦場であり、教場である。


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営業の基本:四海の内、皆な兄弟たりの思想

2015年03月21日 | Weblog

これは、孔子の言葉ではない。弟子の子夏が、司馬牛が兄弟がいないのを嘆き、それを聞き慰めるために、「君子」なら「皆な兄弟」だよという。その言葉で、司馬牛が慰められたかどうかは、不明である。「君子」と「君子」とは、兄弟のようになれる。畏れないで、胸襟をひらけば、血のつながりがなくとも、皆な兄弟のように交際できる、という。中国の古代の話はここまで。中国の宋代になると、君子と君子の交わりは、濃密ではいけない。特に金品の貸し借りや、女性問題など、濃密な関係を結ぶと、長い目で見て不和の原因となる。だから、君子と君子との交わりは、「淡交」が至高とされた。本筋は、「以文交流」である。Facebookでの交際は、淡交の象徴である。ただし、「君子」と「君子」との交わりと言えるだろうか。「君子」には、「礼」という暗黙の了解がある。これを営業に当てはめると、「市場」の共有、「互恵」をどのように生み出すのか、そこに相互への提案がある。買い手にも、売り手に提案がある。売り手は、買い手に「価格」以上の価値があり、活かし方では、買い手にどれだけの利益がでるのか提案する。ゴールドラットの各種の小説形式のビジネス書には、顧客企業とのコンタクトの場面が多く出てくる。「ザ・ゴール」では、納品先の企業から質量のともなった指定時間にピッタリの納品に感激した取引先の経営者が、感謝の気持ちを届けに来る。しかも、工場長に対してである。すると、最高の営業マンは、誰だったか?それは、「ザ・ゴール」の冒頭に出てくる経営責任者である。彼が、君たちの工場は閉鎖する、と脅しをかける。なぜなら、顧客が指定した時間に納品が間に合わない、という危機が営業の先端で発生したからである。この小説の場合、営業の現場で発生したクレームが契機となり、製造過程のボトルネックがえぐりだされる話である。もし、営業部門と製造部門とが、大分裂していたら、営業からの情報が製造部門に届かない。営業の連中は体育会系、製造部門には、「博士」が何百といる。こうした理工系が知性を代表している企業では、営業と製造との「君子」と「君子」の関係は生まれない。さらに、開発部門が超エリート集団で、製造現場を見下す言動があれば、「小人」と「小人」だけの醜い関係がはびこる。こうした組織の問題が、マネジメントの基本問題であるが、欧米流の経営学では問題点は指摘できても、ゴールには繋がらない。「論語」にもどると、経営トップの人格性、そこには儒学的な「礼」の文化が無ければならない。NHK会長は、酷評される立場ではあるが、相当に無教養な人物である。李下に冠正さず、というが、冠が歪んでいるのを他人が正し、それでようやく謝罪する。せめて、自ら冠を正し、自ら謝罪をする。これが礼である。NHKは、まさに「四海の内、皆な兄弟たり」の範を求められる。善き人材が外に流れ、悪しき人材のみ市場からの誘いがないから内部に停留する。

 


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古は、十五にして大学に入る(朱子集注)

2015年03月20日 | Weblog

これは、論語の為政篇の有名な「吾十有五にして学に志す」という本文に対する朱子の注である。朱子集注では、学を「大学」という固有名詞に「読み替え」ている。これは、朱子の作為である。だから、孔子のいう学とは、抽象的な意味における「学」であるから、論語の冒頭の「学」と同義語でもある。一般的な意味では、「学」とは師について学ぶという意味である。孔子にも「学」の師匠はいたらしい。「論語」には、そうした師匠は、1人しか確認できない。弦楽器の師匠で、目の不自由な方の話がでてくる。孔子の説話では、洛陽に行き、老子に学んだという。当時、老子の学派が優勢で、孔子も老子派の逸民から、なんども皮肉や侮辱を投げかけられている。だから、孔子における学とは、一般的な意味における学問に過ぎない。しかし、朱子は孔子の最高到達点からスタートしようとする。それで、孔子の大学についての言行をまとめた「礼記」の大学編、これを朱子はことさらに重視する。そこでは、格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下の8条目が、学問の原理として説かれている。日本の江戸時代の規範は、この「大学」にあると、幕末期のオランダ人の日本学者は見抜いている。6歳から14歳までは、「小学」である。文字の読み書き、事物の知識である。近代では、「小学」の内容が文明の利器の普及とともに増えてきたから、日本では3年間の「大学」進学までの予備門がおかれる。では、孔子が残した大学の8条目と、現代マネジメントの学との関係をみてみよう。それは、マネジメントそのものの実証科学の研究に端を発する。マネジメントを最初に「格物、致知」したのは、アダム・スミスである。彼は経済学者であり、マネジメントと関係しないという思いもあろう。けれども、農業だけでは国民国家の「総福祉」には限界があるので、国民総生産を最大に導くのは、広大な市場の需要をみたす専業的な製造業が、市場にニーズにこたえながら、分業を高度化するが、そのなかで人間の作業の「技巧」と「熟練」に加え「判断力」という3要素により、国民総生産が最大になるか、それとも現状維持になるか、社会が崩壊するかと分析している。そこにある「判断力」というは、原語ではジャッジメントと表現されている。科学的な公正さ、道徳的な正義という広い概念を含んでいる。日本の一流企業は、すでに「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」の8条目を日常的に実践している。おそらく世界史に新しい次元を切り開くであろう。ドイツ人も、朱子の哲学を学んだ。しかし、20世紀にユダヤ金融資本との壮絶な、排他的な戦争を選んだ。最後の「平天下」に敗れたわけである。日本も、アジアのイスラム教を支援し、ユダヤ人の建国運動「イスラエル」の成立には間接的に妨害した。そのために、ドイツにおけるユダヤ虐殺と同罪として、南京大虐殺という「世界史の総括」を受け入れなければならない、という意味である。ドイツと日本とは、21世紀の後半でも、国連常任理事国にはなれない。しかも、ドイツはユダヤと歴史的な和解を遂げ、東西ドイツの分割を克服し、中国の知識人の大きな影響力を及ぼしている。ドイツの知識人は、朱子を自然哲学の祖とみている。日本では、朱子学崩しを近代思想とみる戦後民主主義が強固なため、格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下が、教育の世界では失われている。しかし、日本の一流企業では、内部での自己淘汰を通じ、「市場」すなわち「人類社会への貢献」と考えるドラッカーをはじめとするマネジメント学が規範性をもっている。経団連の日本生産性本部の果たした役割は、やはり渋沢栄一を先師とする儒学規範のマネジメントから説明できる。

 


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「論語」の朱子集注の価値

2015年03月19日 | Weblog

「論語」を読むときに、日本の読書界では、古学と朱子学とを折衷した解釈が普通に行われている。これは、目配りが全体に及び、過不足の無い本文解釈となる。それが特に誤った読み方という訳でもない。特に文庫本の金谷治訳(岩波文庫)、加地伸行訳(講談社学術文庫)は、それぞれの良さがある。しかし、朱子集注を原文で講読する勉強会をしてみると、受講生の方は、文庫本の折衷した癖のない解釈よりも、朱子が註に集めた宋学の学者たちのこだわりのポイントなど、江戸時代の上流武士が受けた教育と、日常の倫理がなにか体感できるような気がする。身が引き締まるというか、別の肌感覚が生まれてくる。それは、「論語」を読むための前提として、「大学」の「新民」という日々新たにするという向上心と結びつく人たちが、求めているものと重なる。企業の経営陣、役員を経験した方がたが、朱子集注を熟読すると、不思議にさらなる自己の向上へと向かい始める。そういう化学反応を触発する。なぜだろうか。一つは、注釈も漢文の訓読法で読むと、あまりに平易にされすぎた現代語の解説よりも、頭の中に重厚さが広がるらしい。これは、晩年の修養である。晩節を汚したくない、という人生のゴールにむけた自己革新と繋がっている。

30歳代の女性で、広徳館の「論語集注」を一緒に読んでいる方は、これを読み始めてから、会社の上司・同僚との関係性がなにか変ったような気がする、と述べておられる。月に2回、ほぼ1年の読書歴である。これは、大学の文学部で資料を読むというスタイルの講義では、こうした化学反応は得られない。現代のマネジメントの学者が提供している話題と、朱子集注のなかにある世界観との化学反応かと思われる。富山県に住んでおられる方は、広徳館の「論語集注」を小生が訓読体に改めたものを読む機会がある。そうでないかたは、金谷治訳か、加地伸行訳を通読したうえで、土田健次郎訳注の「論語集注」(平凡社、東洋文庫、全四冊)をお勧めする。広徳館本は、論語の本文に訓読、特に送り仮名が違う。朱子集注に関しては、殆ど違わない。土田健次郎先生の訓読には、疑問というか、別解がいくつかあるが、それでも難解な朱子集注のなかの宋学の要旨は、きちんとつかめる。これぞ、本格的な論語学習だとおもう。

朱子集注が、なぜ良いのか。理屈のシステムの基軸が揺らがないからである。「格物窮理」という科学思考がある。いわゆる理詰めであるからだ。それが、実はマネジメントの学にも通じていく。つまり、日本語で我々は考えるが、漢文で考え、しかも「格物窮理」で考えるから、マネジメントも科学と自己革新の双方向で冷静に分析し理解できるからである。


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習近平政権は、遂に自分たちボトルネック(「制約理論TOC」)に注目した。

2015年03月17日 | Weblog

この情報は、日本の企業には決してマイナスを意味しない。習近平政権をめぐる新聞報道は、習近平の政権の中央集権力の強化、特に派閥闘争への過度の注目にあふれている。かなり正鵠を衝いてきた日経も読売も、今年の全人代における基本的な問題を見落としている。重要なのは、「中共中央関於全面深化改革若干重大問題的決定」である。これまで、市場経済原理を導入したといいながらも、政府の機関が資源の配分、配置などの対して「政府作用」を働かせ、その結果、「比較的に欠乏した資源」に関し、部門別の保護主義、地域別の保護主義が、大量に存在し、市場競争原理が機能していないことが、現在までの中国経済システムのボトル・ネックであることが実証的に明らかにされた。「希少資源」という制約条件と、その「希少資源」が政府の特定部門が人為的な判断で利権としていることで、二重の「制約条件」のワナにはまっていたという。実は、このことに気が付かないと、中国経済は見かけは経済規模が大きくなっても、国際市場からの効率的に真の高利潤を引き出すことが出来ないと指摘できる。ある意味、中国経済のボトル・ネックに中国政府が気がつかないかぎり、外国の総合商社がピンポイントで「希少資源」の流れをピック・アップできた。ある希少資源は、どの役所の誰が配分権を握っているかを情報探査できるからである。これまでの中国国務院は、その資源管理部門の配分特権で成り立ってきた。習近平政権は、その特権にこそ腐敗原因となるばかりか、そこが経済成長のための制度の隘路と市場的に希少資源であるという制約になっていることに気が付いた。過去の国務院は、北京大学や精華大学などの共産主義青年団のエリート層により担われてきたが、習近平政権は福建、浙江、上海、武漢などの学者の実証研究、実地研究の成果をとりこみ、李克強が絶大なリーダー・シップを発揮してきた国務院が主導する社会主義市場経済への「政府作用」を抑制し、権限を制約し、「市場経済」の原理に「希少資源」の解決を委ねる決定を行った。「希少資源」は、希少であるがゆえに高価格、高収益となるから、新規の参入を促し、「希少資源」というボトル・ネックを市場作用で解消し、結果として、ボトルネックに規定されている市場収益を向上させるという道筋をみつけたわけである。これは、言うまでもなくゴールドラットのTOCをマクロ経済としての中国経済市場システム全体に適用した結果である。中国におけるマネジメント科学が進展し、欧米の最新理論をとりこんだ習近平政権の政権派閥の官僚・学者の「政府作用」融解は、汚職に摘発だけで理解されるべきではなく、中国企業がTOCを取り込み、量的な経済から、質的な高収益の経済へと舵を切ったことを意味する。要は、習近平政権が自らのボトルネックを自己発見し、「改革深化」により労働生産性を最大に導き、高賃金・高収益の経済へ導くための前提となるステージへ移行したことを意味する。


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孔子の介護論

2015年03月17日 | Weblog

「論語」では、「孝」という言葉で、老いた両親の介護を説いているだけである。「論語」全体からみると。老いた両親の介護論は少ない。孔子は天下国家の「公徳」を重んじるから、家族の介護の問題は、郷里の相互扶助の「仁」の次元に落ち着かせる。そのうえで、食事や身の回りの世話は、家畜にだってするではないか。ひたすら、健康で、機嫌よく天寿を全うするためには、子供の立場からみて、議論や理屈で両親を説き伏せるのは間違いであるという。では、家畜の世話の次元での介護ではなく、根本的な人間としての両親の介護の本質はなにか?それは、両親の志を継承することである。両親が天下のもとで現役世代として生きた、その生業の社会的な貢献の道筋を継承することである。だから、親が亡くなると、3年かけて親の事業の形態を変えないで、丁寧に整理し、子供に託そうとした期待の道筋を悟ることであると説く。そのための服喪である。人間は動物であるから、衣食住の面倒は、3年間、親の愛をうけて赤子から、一人で歩き、話せるようになるまで育ててくれた両親に対し、その3年の重みを死後も、「孝」として尽くすべきだと説く。

孔子は、実は職業は、父親が魯の国の武人であり、爵位では「士」の位にあった。腹違いの兄がいたが、身体の不自由があり、その役職を継承できないので、父親は50歳代の後半に、孔子の母に跡継ぎをもうけた。それで、生まれたのが孔丘である。父親は3歳のときに無くなる。孔子は、乳幼児期、母方の顔氏の一族に守られて育つ。孔丘は、孔氏の一族に迎えられ、魯の国の軍用の馬や、儀式用の羊を飼育し、やがて、馬の調教、さらに馬車の操縦法を身に着ける。魯の国の牧場は、城郭の外にあり、幼児期は、郊外に暮らす。やがて、城郭内にある軍馬の調教場で、少年期、青年期を過ごしたと想定される。中年期に、孔子は何が最も得意か?と問われ、馭者の技術であると答えている。当時、春秋時代であるから、鉄製品が武器、農具、馬車の車輪に使用され始めていたから、孔子は最先端の技術の現場にいたわけである。それは、早くして亡くなった父親の爵位を継承する道筋でもあった。こうして、戦国時代の前夜に、富国強兵の国家の真髄に関わる。しかし、母親への孝が強く、嫁に対して強くあたり、家庭的には世俗的な幸福というよりも、母を主体とした家庭であった。当時、中国社会では、夫妻を単位とする家庭よりも、一族の族長のリーダーとなる大家族主義であった。成人後の孔子は、母方の願氏の一族の一員としての係累関係が強くなる。両親を丁寧に介護しない限り、郷里制と結合した宗法制の大家族主義のもとでは、自らの老後の安住の場も失われる。介護は、やがて自分がうける番になる。

 


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孔子は粟を見て農業を思わず、「租」を思う。

2015年03月16日 | Weblog

孔子の世界は、農業社会である。しかも、北中国の乾燥の農法の社会である。国力の増強を望むなら、主な穀物である「粟」(あわ)の増産を第一に考えるべきだと思う。しかし、孔子は農業技術の改善には目を向けなかった。この時代から漢王朝の時代まで、「粟」は食糧であるばかりか、基本となる通貨であった。「粟」が物価の基準であり、「粟」で馬や羊、さらには馬車や馬具を購う社会である。孔子の生きた時代では、まだ、青銅の通貨は誕生していなかった。もう一つの基軸となる通貨は、絹の布や、葛の繊維から作られる布地である。これは、女性の専業である。「論語」には、「布」にまつわる話題はでてこない。孔子の時代は、現物の物々交換に近い市場経済であった。孔子は、父親が軍官であったため、魯の国の国営の牧場で、軍事の戦闘用の馬と、兵糧を運ぶ馬を飼育し、調教し、馬の筋を見分ける専業に従事していた。それで、彼が農作物を見る目は、農作物の量の拡大ではなく、兵士の戦時の食糧の調達に向かっていった。農民は、「粟」を租税として国に納めさせられた。孔子は、それを国の蔵に運び、管理する仕事の世界に習熟していた。

どうしたら「租」を多く集められるのか。それは、土地は城郭に外には余るほどあり、要は、耕す男子と織物をする女子の人口をいかに増やすのか、生産労働人口を異郷から招き入れるのか、それが孔子のマネジメント学の根本問題であった。城郭都市の管理者が世襲貴族であるので、絶えず下剋上の風潮のもとで、徴税を増やすには、国の領域を拡張し、新たな城郭都市を増やすことが求められた。それを可能にするのが、戦闘に用いられる戦車である。戦闘用の馬車と、兵站用の馬車をどれだけ保有するのかで国力は決まるが、そのベースには、「粟」をどれだけ「租税」として徴税できるのか、ここに孔子は農民が心を一にして君子の忠義を尽くせる礼節ある国家の建設を最重要視した理由がある。暴力で徴税せず、里のリーダーが喜んで「粟」を租税として供出する秩序ある国家のみが生き残れるという時代に生きていた。

孔子は、何に国の政治のボトル・ネック「制約」を見つけていたのか。それは、郷里には相互扶助の精神があるのに、国主への納税を心から喜べない、道義の無い徴税への民衆の抵抗感にある。弱い国なら国ごと滅ぼされる。民衆が敵国に滅ぼされたくないなら、民衆に暦をもとにした時間軸に応じ、時に兵役に服させ、時に農業に従事させ、効率的に戦車を千台、万台もてる強兵国家をつくるプログラムとして、仁をめざす礼制国家にその道筋を見つけた。民衆を教育できる指導者の育成こそが、国家富強への道筋だというのが孔子のTOC理論である。


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中国におけるマネジメント科学研究

2015年03月15日 | Weblog

中国において、中国共産党が党内で容認している学問のジャンルは非常に多くあるが、重視している領域は余り多くない。マルクス主義研究は、依然として最重点であるが、教条主義が斥けられているので、およそドイツの修正マルクス主義が主流となってきているとみてよい。その関係で、公共政策の研究が盛んとなり、共産党の上からの指導力と、市場原理のほかに、社会の相互扶助の原理による3つの原理の均衡をめざす動きが盛んになっている。そのような風潮のなかで、公共管理学という学問が、中国の官僚社会の基本に取り込まれてきた。それと、商工管理学という日本でいう企業活動に対応したマネジメントの学も盛んで、有名大学の序列と対応している。これは、国有企業の運営に必要な人材育成につながっている。さて、中国のマネジメント科学は、1980年代に生まれ、欧米の優れた理論を輸入する段階から、その理論仮説をもとに欧米流の定量分析(統計的の手法による個別事例研究)が盛んとなった。他方で、定性分析も盛んにおこなわれ。特に先秦の哲学と結合し、古代中国の哲学を西洋理論の中国化に役立てる理論研究も盛んである。これを上手く言い表すと、「頂天」すなわち世界最先進理論の実践に胸を開いて交流し、「立地」すなわち中国独自の視野からの研究とを統合することが大事である、と考えられている。

以上は、「中国社会科学報」の記者が研究者にインタビューしてまとめた情報である。「頂天立地」とは、武漢大学経済与管理学院の譚力文教授の目標の表現である。今後、日本人としては、グローバルな市場を共有し、中国企業と日本企業との提携と競合を考えていくうえで、欧米のマネジメント研究の方法をいかに儒教文化圏で消化しながら、昇華させていくのかを考えなくてはならない。というのは、中国共産党の現実的で、有効なリーダーシップは、ドラッカーが正統に評価されているところにあるからだ。日本では、ドラッカー学は、上田惇さんのプロダクションに功罪が帰結した。ゴールドラットも、同じような道をたどりかねない。


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孔子、吾れは老圃(老農)に如かず、という。

2015年03月15日 | Weblog

この話は、「論語」子路篇に出てくる。あるひとが、国力を増強するために、農業(穀物や、野菜作り)を学びたいと孔子に申し出る。すると、孔子は、自分は熟練の農民には及ばないという。これは、ホントに大事な発言である。孔子は、農本を主義とする思想でないとわかる。儒家は、農業の技術のコンサルタントはしません。そういう意味である。国家を支える大部分の生産人口が、農民である時代においての発言である。そのあと、国家の指導者が、礼、義、信の3つの思想原理を好めば、「民は敢えて、敬、服、情を用いざることなし」だと説く。実は、その後が面白い。そうすれば、民は子供を背中に背負って移民してくるだろうという。どうして農業技術を教えるという手段で民衆を自国に呼び寄せることがあろうか、と孔子はいう。

孔子の「ザ・ゴール」は、東周の王朝の権威が衰え、分家の諸国が下剋上により力をつけてきた時代に、まずリーダーをなる国を富国強兵に導き、その強国が力を併せ、天下を再統一するところにある。噛み砕けば、天下の「和」である。そのためには、礼制を政治原理とする国家を慕い、民衆が各地から移民してきて、道徳原理に弱い諸国は、農民を失って衰退し、天下は統合されると考える。民衆は食のみに生きる存在ではない。国家の義の為に、命を捧げることだって拒まない。命を使い捨てにするような国家ではなく、忠を盡せる礼の政治原理の国家でないと、真の富国強兵による天下の統合には役立たない。

孔子は、「ザ・ゴール」に一歩でも近づけたのか。正解は、人材育成において、理想が後継者により実現されたというところにある。孔子の死後、200年の後、「詩経」を熱愛した荀子が、孔子学の本流である「孟子」派を批判し、孔子の掲げた礼制国家の基本形を継承し、最初は秦、そして漢による全国統一のための基本軸を完成する。秦の始皇帝による儒家への弾圧は、「孟子」派の性善説による法制の整備を否定する思想、富国強兵の道筋に対する過度な「覇道」否定に向けられていた、と中国の最近の学界では理解されている。

ゴールドラットの思想はユダヤ人の文化である。移民が大前提にある。教育により身に着けた自己で考え、障害を克服する道筋において、頼れるのは自己教育力である。それと、コンパクトに持ち運べる元手となる金銭である。このように整理すると、孔子が「論語」でさらけ出している諸国への旅は、移民流動社会における邑制の城郭都市国家のマネジメントの普及にあったと整理できる。それが、海外華僑・華人の心のルーツともなる。


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孔子「仁者は山を、知者は水」を楽しむとゴールドラットの制約理論

2015年03月14日 | Weblog

 孔子は、仁者は山を、知者は水を楽しむ、と述べた。この至言こそ「論語」の根幹だと、程子は示唆する。関西弁では、「何でやねん」と言いたくなる。ゴールドラットの理論は、浅く読むと拝金主義にみえる。ところが、彼のゴールは、「Wa」和である。これは高い山を上り詰め、最後の頂点からみると、「和」に行きつく。これは、「論語」の世界にある。「和を以て貴しとなす」、こう言い切れるのは「仁者」である。それは、山を楽しむことと表現できる。不動の定点、それが「和」である。

 では、知者は水を楽しむ、と孔子はいう。この水は、川の水と考えてよい。孔子は、そこに時間の流れをみている。子罕篇第17章「子、川の上に在りて曰く、逝くとは、斯の如きか、昼夜を舎(や)めず」とある。孔子は、水の流れに時間を見つけている。ゴールドラットは、水をマネーとみている。市場から調達された投資マネーが、各種の産業のなかの様々な工程をへて商品や市場サービスとして販売され、マネーの姿をとり、改めて投資マネーに循環する。ここにあるのは、時間である。ここは、孔子もゴールドラットも同じである。ゴールドラットは、このマネーの流れの速度を弱めている部分を「制約」条件とみた。水でいえば、淀みが「制約」にあたる。ゴールドラットは、知者であることから、最後には仁者へと進む。この考え方を人間の成長のプロセスにも存在するみた。思考のなかの「制約」となる対立のジレンマを解決する自己修得型の教育理論を提案している。これが、教育のためのTOC理論[TOC for Education]である。

 孔子の場合は、富国強兵の国策を実現するために、礼制国家をつくるマネジメントを模索する。孔子は、その「制約」は、リーダーとなる君子の自己成長にあると考えた。それで、弟子たちには、「詩経」を軸に音楽教育を通じ、合奏による和音を生み出す身体性の調和感覚を躾ける。後は、対話である。・・・要は、最初に「論語」に通じておれば、ゴールドラット理論の高みと広がりは、意外に上手く説明できる。「論語」⇒渋沢栄一⇒ドラッカー・・・ゴールドラットの流れである。


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朱子の「格物窮理」と、ゴールドラットの物理学式マネジメント学の共通点

2015年03月13日 | Weblog

朱子は、「論語」の注釈書を編纂した。「公冶長」篇の巻頭に、「この篇は、皆な古今の人物の賢否得失を論ず。蓋し格物窮理の一端なり」と朱子はのべている。まず、「格物窮理」とは、物理学である。朱子は、天の理が人の世界を支配していると考え、その天の理を窮める主体として君子の自律を基本とした。君子は、孔子が述べた大学の3綱領の1つ「親民」を「新民」に読み替え、それにより「格物窮理」する物理学的な思考を最先端においた。この朱子の学理は、イエズス会の紹介により、西欧の市民社会の原理となり、啓蒙時代を経て、近代科学の思想となった。

経営学に最初の貢献をしたのはアダム・スミスである。彼は国家を国民福祉のための経営主体とみなした。これは、孔子の学問が朱子を経て、フランスの啓蒙思想となり、ついにスコットランド人のアダム・スミスが、道徳感情論を基礎に生活倫理の基本体系として、エコノミックスの基本を打ち立てた。ゴールドラットの物理学式マネジメント学は、スミスの経済学のどの理論と結びつくにのか。それは、スミスの「諸国民の富」の序文にある生産組織になかにあるジャッジメント判断力という概念である。

朝食の準備ができたと、私の法定相続人が呼んでいるので、あとは明日にしよう。


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