TMA講師代表:富山新聞文化センターに属して、富山マネジメント・アカデミーを始めて良かった。広徳館論語講座を土台に、知ることと行うこととの二輪車を考えた、一輪は、今後も、広徳館論語を読み解く知の作業である。もう一輪は、富山マネジメント・アカデミーという行動の組織である。
僕は、今、富山は幸福村の域にあると思う。多くの兼業農家が、世界的にも知られる日本製品の生産の部分最適を担っている。全国水準で70%の賃金でも、住宅は先祖伝来、100坪。車はひとり1台、駐車場は、自宅敷地。そこに、兼業農家として、近隣に頒布できる程度の小農生産。農産物のおすそ分け。
日本の村は、豊臣秀吉の時代から、経営組織であった。いくつかの家族が、村運営の「村仲間の株」を持っていた。それと、加賀藩の改作法が、経営組織としての村の機能を高めた。このような村が存続するには、流出した若者を共同経営者として迎え入れる仕組みである。
大都市の通勤地獄、この苦しみから逃れ、日本が必要とする一流のモノづくりに参加できるだけでも、富山は幸福村である。大都会に田舎が競り合っても勝てない。勝てるのは、「富山という幸福村」という、回り舞台の装置である。大都会でも、心のよりどころとなる「幸福村」を探している。富山には、実像として、それが存在するだけである。