
江井ヶ島に本社・工場を構える神戸電機産業。社長の勝山秀明さん(44)は毎月、中国・青島(チンタオ)へ出張する。2004年12月から操業を開始した現地の合弁工場を訪問するためだ。
合弁工場では車載用の変圧器などを生産する。08年の北京五輪を控えて地下鉄の整備が急ピッチで進んでおり、工場はフル稼働。しかも「中国は毎日のように電鉄工事の入札案件があり、まさに高度成長期にある」と話す。
中国への工場進出の検討を始めたのは02年。上海や大連も候補地にあがったが、青島に絞り込んだ。合併のパートナーが電力系の変圧器の生産で中国3番目の有力企業だったのが大きな要因だったという。
追い風に乗って好調な中国の合弁工場だが、これも勝山社長の「先見性と決断力」に負うところが大きい。背景には、彼の人となりがある。
兵庫工業高校から名古屋の名城大学商学部へ進学した。「父から技術屋になれ、と言われて工業高校に進んだ。大学では商売の勉強をしようと思ったけど、本当は中学校の歴史の先生になりたかった」。しかし、大学2年の春、技術部長を務めていた叔父が亡くなったため大学を中退し、急きょ入社する。
配属されたのは設計部門。深夜まで残業することはざらで、「図面をみればコストがみえるまでになった」。10年後、亡くなった父の後を継ぎ、30歳で社長に就任した。
「引くときは引く、攻めるときは思い切って攻める」。若くしてトップに就き、数々のハードルを乗り越えてきた経験が、中国進出を決断させた。
一方、国内の本社工場や魚住、神戸・垂水の分工場では複雑な仕様の変圧器、注文のロットが少ない製品、万一のときの補助電源になるUPS(無停電電源装置)などを生産する。
会社のスローガンは「Yes,We can!」。決して「No」とは言わない。他社がネを上げてしまうような難しい仕事を積極的に引き受ける。「でないと、中小企業は生き残れない」。技術魂が光る。
合弁工場では車載用の変圧器などを生産する。08年の北京五輪を控えて地下鉄の整備が急ピッチで進んでおり、工場はフル稼働。しかも「中国は毎日のように電鉄工事の入札案件があり、まさに高度成長期にある」と話す。
中国への工場進出の検討を始めたのは02年。上海や大連も候補地にあがったが、青島に絞り込んだ。合併のパートナーが電力系の変圧器の生産で中国3番目の有力企業だったのが大きな要因だったという。
追い風に乗って好調な中国の合弁工場だが、これも勝山社長の「先見性と決断力」に負うところが大きい。背景には、彼の人となりがある。
兵庫工業高校から名古屋の名城大学商学部へ進学した。「父から技術屋になれ、と言われて工業高校に進んだ。大学では商売の勉強をしようと思ったけど、本当は中学校の歴史の先生になりたかった」。しかし、大学2年の春、技術部長を務めていた叔父が亡くなったため大学を中退し、急きょ入社する。
配属されたのは設計部門。深夜まで残業することはざらで、「図面をみればコストがみえるまでになった」。10年後、亡くなった父の後を継ぎ、30歳で社長に就任した。
「引くときは引く、攻めるときは思い切って攻める」。若くしてトップに就き、数々のハードルを乗り越えてきた経験が、中国進出を決断させた。
一方、国内の本社工場や魚住、神戸・垂水の分工場では複雑な仕様の変圧器、注文のロットが少ない製品、万一のときの補助電源になるUPS(無停電電源装置)などを生産する。
会社のスローガンは「Yes,We can!」。決して「No」とは言わない。他社がネを上げてしまうような難しい仕事を積極的に引き受ける。「でないと、中小企業は生き残れない」。技術魂が光る。