竹林舎 唐変木の そばバカ日誌  人生の徒然を

26歳からの夢、山の中でログハウスを建て
 自然の中で蕎麦屋を営みながら暮らす
    頭の中はそばでテンコ盛り

宇留地の記憶 ちっちゃな出来事

2018-01-16 | お山の大将そばバカ日誌
お山の大将そばバカ日誌
こんな環境の中で育った蕎麦屋のブログ
宇留地の記憶(3)  ちっちゃな出来事編
お山の大将独り言の時間です
   
Fさまの荷馬車
当時は様を付ける程の方だった様です
一つ上の集落に地主さんがいて、学校の普請や何かの折には寄付をしていた。
当時砂利道だった県道から集落に上がってくるにはやはり砂利道の緩やかな坂を登って来る、坂の登り口に祠様の不気味な穴があった。精米所前まで5、60メートル程進むと急に勾配がきつくなる、ここを過ぎると又緩やかな坂になる。
ある日の夕方、新築用の材木を満載した馬車を引き、馬が激しくタテガミを揺らしながら坂を上がって来た、馬は体が大きく筋肉質、蹄の上辺りの後ろ側に毛が生えていた。立派な体格を呈していた。
精米所の前の駆け上がりまで砂利道に蹄を突きたけながら上って来たがとうとう止まってしまった。
馬方は急いで下がり始めた馬車を止めようとブレーキを引く、傍にあった竹の棒で思いっきり馬の尻を叩く、馬は渾身の力で坂を登ろうとまたも砂利道に蹄を立てて進もうとするが馬車はピクリとも動かない、「ビシッ ビシッ」何回も何回も何回も馬の尻に容赦なく竹の棒が飛ぶ、馬はその度にもがくが馬車は動かない。
そうこうしてる内に今度は馬の腹に下に枯れ枝や枯葉を持って来た馬方が何をするのかと思いきや火を着けた。
大将もう見ていられない、急いで家に帰り「坂が上れない馬の下で火を燃やしとる」と父に何とかしてほしいと告げ、父は見に行ったがその後馬車が上れたのかどうなったか分からない
後に父はF様に「手紙を書いといたよ」今となっては本当かどうか分からないが黒っぽい栗毛色の目の綺麗な馬だった。

そしてある日、トラックの荷物の上に人が乗って町から上がって来た。F様の息子さんの傍らには真新しい自転車が積んであった。子供用の自転車、偶然見た出来事だけど。
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宇留地の記憶 ちっちゃな出来事

2018-01-09 | お山の大将そばバカ日誌
ちっちゃな出来事2
母親は農繁期には田植え、稲刈りを手伝い、畑仕事もよくやってた。
大将も田植えを手伝った事がある。当時は六角田植え枠を転がした跡を定規にして植える。裸足で田に入り、アゼに居る人が苗を投げ渡し腰を90度に曲げて植える。しか〜ししばらくして田から上がってびっくり、くるぶしの辺りに5cm位の真っ黒く長細いものがクネクネとしてくっついて居る。「なに これ」引っ張ってもヌルヌルして取れない、おじちゃんが虫の首っ玉をつまんで取ってくれた。田んぼに生息するヒルだそうだ。
稲架かけは手伝ったぞ。稲架干しのコメは美味しいんだぞ。ただね、縦横に組み上げた稲架竹が風の強い時にピューピュー、ヒョロヒョロ鳴って山姥が歌ってる。」
「母ちゃん ションベン」  ムシロ戸をくぐり、板を渡しただけの便所は怖かったぞ。

そうそう寒い朝目が覚めると外は晴天で真っ白く眩しい雪景色。土間で掛け声と共に餅つきが始まってた。へっついに薪を炊き、蒸し上がった餅米をセイロごと臼に放り込む。もくもくの湯気の向こうに母親の姿もあった。丸めてお重ね餅も見よう見まねで手を真っ白にして手伝ってた、相の手はベテランの女衆、熱いから水桶に手を浸しながら手際よく餅を反す。つきたて熱々のお餅をもらい口の周りを米粉やらアンコだらけ、醤油でもいただいた。 杵付きだからニューっと良く伸びるんだ  半殺しなんて奴もあったぞ、これは米粒がそのままの形で残ってる。臼の側に居ると時々コメやら豆が飛んで来た。
おじちゃんが「ぼう、ついてみるか」と杵を持たせてもらったがとても持ち上げられない。
トボ餅は半渇きの時かきもちにする為に薄く切る、それを稲藁で10枚1組位にすだれ状に編み込み天井から吊るして良く乾かす。それは家族が借りて居た部屋のすぐ横の仏間に乾かしてある。時々割れて板の間にカシャツと落ちてバラバラになったのを生のままがじるとちょっと塩っけがあった。落ちたかき餅の豆入りはの豆は生っぽいので不味い。カシャツと落ちた音はするのだが落ちたかけらが何時も無い・・音だけかも知れない、だってカシャンと落ちたのに何にも無いんだもん   だって〜11
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宇留地の記憶 ちっちゃな出来事

2018-01-02 | お山の大将そばバカ日誌
ちっちゃな出来事 1

その頃の母親は誰隔てなく生徒を可愛がり、新聞紙を広げ、四つん這いになって頭を出す生徒の頭を手刈りバリカンでジョキジョキ、女の子の髪の毛をとくと新聞紙の上にパラパラとシラミが落ちた。  洋服の縫い目にはシラミがびっしり並んでいたし、ノミもシーツの上をピョンピョン、白いシーツは分かるが色物だと全く分からない。世話になっていたところのおばあちゃんは捕まえたノミを噛んでプチっ潰してた。

時々先生方がDDTを頭やら襟元から服の中に噴霧器でシュッシュッ、今思うとゾットするが当時は当たり前だったんだねぇ。噴霧器にはアースだったかフマキラーだったかのロゴ、直径5cm長さ30cm位のボール紙で出来たポンプ。筒の先端下部に薬剤を入れる容器が付いていてポンプを押すとノズル先から出る空気に引っ張られ薬剤が噴霧される。
生徒はうどん粉にまみれた様にみんな真っ白。

栄養不足なのか鼻の下には緑色の二本線、頭にはオデキ、ゲロを吐いたら15cm位の白い回虫?。袖は鼻を拭ってペカペカ、中耳炎も多かった(当時は耳垂れと言っていた)

冬、学校も結構な山だがもっと奥からくる生徒、雪道を裸足に草履、足は真っ赤、母親はお湯で温めていた、今ではとても考えられない。一度行った事があったが自転車も通れないほとんど登山道路、まぁその頃自転車も自動車も珍しい頃の話

大将の隣の席のK春、(宇留地小学校は複式学級)授業中にガラスでできたオハジキで遊んでてそれを鼻の中に入れて取れなくなった。何だかそわそわしてるなぁと思ってたら大将の耳元でそっと「ボヤ、ハジキが取れん」覗くと1cm程奥に丸く平らに良くもまぁピッタリと。大将お節介にも「先生K春の鼻にオハジキが詰まった」 (先生)「お母さん(大将の母)に取ってもらえ」玄関の正面にある大きな鏡の前で、母親、「指が入らないしどうしよう」と四苦八苦、大将そこで一計を案じたね!「お母さんピンセットどやぁ」と・・・治療用の先の平らなピンセットを使って解決。さすがだね、
今、彼K春は大阪に住んでて当時の恩をつくづく感じてるらしく、穴水の誰かに大将のところの電話番号を聞きつけ、忙しい時ばかり電話をしてくる、それも関西弁で毎回確実に酔っ払って、グダグダと・・・これまた長いんだ。「オイ!覚えてんのかい・K春」・・・いつまでもグダグダと元気でな!

尾籠な話だが大将、授業中屁をしたつもりだがチビっと中身がお出ましになってしまった「先生ションベン!」答えがわかった時にこの位手が挙げられると良いのだが
慌てて母親の元へ。 (こんな時学校に住んでると便利ですよ アアタもどうですか?)
K春とどっちもどっちかぁ。ちなみに小は「ションベこき」大は「エンコこき」
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唐変木な蕎麦屋の独り言

2017-12-15 | そばバカ日誌 仕事編
薪割り機            今回の改造部分
一応完成の域に達している自作薪割り機をグレードアップを目論み、3相 200v 2.2kwの強力なパワーを無駄なく伝える様に三本がけVベルトにテンショナーを取り付けるべく「モノタロウ」から材料を仕入れ、ホームセンターを物色、相変わらず下手くそな溶接を懲りずに活用し、モータのパワーに負けない様丈夫なものを作りました。

ベルトは一段目二本、二段目三本の二段減速し、ベルトの張りを考えて作ったつもりでしたがストレートの材は結構割ることができるのですが、硬い材又は太い二股の部分を割る時にベルトがスリップしてしまいモーターのパワーを全てコーンまで伝える事ができませんでした。

取り付け前のテンション縮んだ状態
三本掛けVベルトに合わせテンション用ローラー幅20mmを3個使用
約20mm押し出した状態
制作時間 10時間。取り付けは来週です
又下手な溶接をしなければ。
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宇留地小学校記憶 19 年中腹ペコ編

2017-12-01 | お山の大将そばバカ日誌
お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶19  
年中腹ペコ おまけ編

何時だったか母親が飴を作ってくれた。フライパンに砂糖を入れて熱して溶けてトロトロにったのを少し冷まし、すくって手に取り水に冷ます、けど、きっと熱かったと思う。甘かったが少し焦げ臭かった、美味しい思い出、多分父親がパチンコの景品で取って来た砂糖だと思う。今では戦後の物不足からぼちぼち余裕が感じられる出来事。

どこからか桃を頂いて美味しく何個か食べた。一個を残し母親が大事に引き出しに仕舞って置きそのまま忘れた。気がついた頃はカビが生えとても食べられる物ではなく家族の中では今でも語り草になっている。

大将の家では当時良くスイトンを食べた。なんの事は無い小麦粉を溶き、お玉で味噌汁の中に入れるだけ。ちっちゃな餃子の形をしてた。あまり食べるのを急ぐと中がまだ生煮え究極のアルデンテ。

今では高級魚となりつつあるイワシ(多分カタクチイワシ)が当時たくさん獲れ、豊かではなかった大将の家でも時々食卓に上った。頭と腹わたを除き小骨ごとすり鉢でアタって(多分お味噌で)味付けし、ツミレは勿論、1、5cm位の厚さでフライパンに敷き、イワシハンバーグにしてケーキのように切って食べた。これは絶品、小麦粉を入れずに焼くので上手に取り分けないと割れてしまう。今では贅沢な話。


冬、父親は雪深い道を穴水駅から歩いて帰ってくる。手には尾を荒縄で縛り、冬の魚「真鱈」をぶら下げて帰ってくる。大きいから鱈の鼻先を雪に引きずりながら帰ってくる。
鱈は頭の先から尻尾まで捨てるところが無い。アラを使って鱈鍋、腹の中には大きな真子、ザクザク切って皮ごと焦げないように回しながら煮る。醤油で味付け鶏卵を割り焦げない様にどんどん回す。大将は真子の皮が好み、プリンプリンして美味しいから。
炊きたて熱々のご飯と同じくらいタップリの真子をのせてまぶして食べる。
三枚に下ろした身は刺身、真子をまぶして子付け、昆布締めは無かったなぁ。
骨事件もあった。
鱈鍋、大将は骨がカラッキシだめ。お椀に盛った鱈のアラの中にタップリ身の付いた中骨が飛び出してた。それをみた姉が「くにお身をあげるから骨ちょうだい」これが事件の始まり。大将は正直者、しっかり身をしゃぶり、綺麗になった骨を姉に「ハイ骨」それを見た姉は凄い勢いで泣き始めた。「どうしたの?」と母親「「身の付いた骨が欲しかったのにくにおが身を食べた〜」???? 大将「骨上げたのに〜」その後細身の姉のあだ名は「骨」あるいは「ガラ骨」 今でも兄弟のエピソードとしては鮮明で特筆モノ   なんてこった〜
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うるち小学校記憶18 年中腹ペコ編

2017-11-21 | お山の大将そばバカ日誌
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お山の大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶18  年中腹ペコ編

さぁ  鳥越はもうすぐ雪が降る季節です。今年はたくさんの薪を頂いたので唐変木も準備万端
    今年も自作薪割り機が大活躍、老齢の我が身にはありがたいアイテムです
  キリギリスさんあなたは大丈夫ですか?早く準備しなければ
  後もう少しで満杯です

ネギ一本持参  校長先生のお通りで〜い
月に何回か校長先生の宿直がある。用務員室の隣で六畳程の部屋がそれだ。出勤時間になると校長先生の皮カバンからネギが飛び出している、それも一本。大将の母親に「お母さん、これでお願いします」とネギを差し出す。母親ピンと来るね、母親、今度は大将に向かって「くにお、学校が済んだら頼むね」大将「うん」多分これが阿吽の呼吸と言うやつだね。
ネギ以外の材料の調達は大人の為に年話も行かない大将が担う
さあ、余り好きでは無い授業が終わると網とカゴを持って一目散に家を飛び出し
近くの用水に向かう「バシャッ」用水に飛び込んだ音、「ジャブジャブジャブ」足で水草を踏んでる音、「ザバッ」踏んでる向こうに網を入れる音、「よっしゃー」
網に入った獲物を見てガッツポーズの音?
そうです、大人の小指程ある泥鰌です。一網一、二匹、10回もジャブジャブ、バサバサ よっしゃーをやってればひとかたけ分(一食分)は簡単に獲れる
(安木節のどじょうすくいだね、もちろん鼻に穴開き銅銭は付けてませんがね)
さて次は母親の出番、小さな鍋にだし汁、泥鰌、ねぎ、ごぼう等、たまに豆腐、卵
を入れて柳川です。今ではとても贅沢な鍋です。
駒形どぜうには叶いませんが校長先生は至極ご満悦「お母さん美味しかったです、「また」お願いします」 この「また」で大将の仕事も約束されたも同じ。
ちなみに東京駒形どぜうの6代目には三度お会いし、二度ほど唐変木にそば打ち体験に来た事があります。
大将幼き頃に「駒形どぜう」に行った事があるが先の泥鰌より細くきれいだった。

大将穴水の二歳から小学四年の夏休みまでの8年間、今思うと大将の人間形成のほとんどがこの間に出来たのではと思う。でもなぁ、もしかしたら出来上がってしまってこの後の人間性が伸びないまんまなんだよなぁ。

さて腹ペコ編に付いては時代が時代だけに年齢が年齢だけに贅沢は無いが初めてのものを良く食った。ここいらでお腹もぼちぼち満たされて来たので腹ペコ編にgood-byして次の話題にでもすっか!
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宇留地小学校記憶 17 年中腹ペコ編

2017-11-06 | お山の大将そばバカ日誌
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大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶17  年中腹ペコ編

イナゴ  父親は昭和57年に亡くなっているが海軍では電気技師、極最近ある本に昔従兄弟が「伯父さんは偉いんだぞ、大尉なんだ」と妹に言ってたと記述がある。父は南方(ラバウルとかあっちの方)へも行って飛行機の機銃掃射を受け隣に居た同僚が亡くなったりした。だが余り戦地の事は話さなかった。現地では部下がバナナの房、と言っても1メートルくらいの緑のデカイのを持って来て棚に置いておき、熟すのを待って食べるのだそうだ。名だたる戦艦にも技師として何隻かに乗った事があると言ってた。南方からは潜水艦や、貨物船を乗り継いでなんとか帰国、その時の爆撃でどちらだったか耳を遣られてる。
そんな父親がある日グラウンドで七輪に火を起こし、捕まえて来た5、6cm程あるでっかいイナゴ、もしかしたらバッタの大きいのを焼きギザギザの足をもぎ取って醤油をつけて旨そうに食ってたのを思い出す。

大将、30年くらい前妙高の親戚の前の田んぼでイナゴをしこたま獲った。3cm位の竹筒に布の袋を付け、早朝イナゴの動きの鈍い時に捕獲する。オスメス重なって営みの最中を急襲するので簡単。袋のまま暫く日向に置いて置くと黒い液を吐き出す
台所で袋の上から熱湯を・・・赤黒くなったイナゴをフライパンで炒め、甘辛醤油を絡めて食す。バネ足はギザギザが喉に引っ掛かる。近くの旅館も獲りに来た


卵を産まなくなった鶏、橋の欄干に首を押し付け鉈を一振り、血を飛ばしながら暫く走り回っていた、ほんの暫く走り回るだけ、 
もう泣けないから・・・

何だか分からないがでっかかった (この項も二度目かも) 
久し振りに帰った父親と、あれっ(もしかしたら以前UPしたかも)え〜い行ってまうぞ。ニジマスの稿の堰堤の上辺りで釣りをしようと「竿忠作」の振り出しを持って出た。そこいらのコケをまくってミミズを探し、ビューンと川の向こう岸辺りまで飛んだ瞬間、「ばさっ」餌に何か飛び付いた、テグスをぴーんと張り、合わせる、「バシャッ バシャッ」 デカイ、格闘数秒引き寄せようとした瞬間「ブンッ」鈍い音でテグスが切れた。「大きい魚は逃す」ではなく逃がした魚は大きかった。
ってところまでは恰好がいいがテグスを見てこれじゃァ。テグスはササクレて黄色く変色、ウァー、匂いまで、こんな代物では無理でしょう   と残念な話。 多分2m位の大岩魚かそれともクジラだったかも知れない。  昔の事だからとんでもなくでかいのも居たかもしれない  いや 絶対にいた。
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宇留地小学校記憶 16

2017-10-21 | お山の大将そばバカ日誌
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大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶16  年中腹ペコ編

スズメ捕獲作戦 馬の毛で罠
この作戦はまず、馬車に乗らなければならない、周辺には馬を飼い馬車で荷運びを生業にしてる半農半運送の農家が2軒ばかりあった。
空荷の時は人も運んでた(当時バスもなかった時代)大人は手間賃を渡してたかどうか判らないが子供たちは大喜び。町からの帰り、道が左にカーブするところの小川で決まって馬は水を飲み、馬方さんは立ちションの為馬車を離れる、そのスキがチャンス、馬の尻尾の毛を一本手早く指に絡め引っこ抜く、これを2、3回に分けて失敬する。馬は痛がりもせず(馬の気も知らないで)グビグビ、馬方さんジョー。大将ポケットに大事に仕舞い込み知らん顔。今ならさしずめテグスの道糸0、2〜3号位かな。当時有ったもののテグスはなかなか手に入らない時代の事。
そして冬、深々と冷え込んだ夜、雪が積もり田んぼ一面真っ白になった朝、藁束の下と半分位のところを縛り折り返して下で更に縛ると藁納豆の筒のお化けができる、所々に稲穂を取り付けそこに尻尾の毛で作った罠を仕掛ける。半日ほど置いといてブラさがったスズメをいただく。    (良い子は真似をしないで下さい)

宇留地小学校の校舎は下見板貼りの古い平屋建て、子供達が野球のボールをぶっつけて穴が空いてたところにスズメが巣作りで出入りしてた、これは簡単、昆虫採集用の網を穴に当て壁を「ドン ドン」で一丁上がりー。

学校の玄関脇に大きな松の木(60年以上経った今も切り倒した時の株がある)をよじ登り屋根へ、瓦の隙間に手を入れる、ほんのり暖かい巣を探り卵をget。突然親鳥が飛び出して驚かされる事もあった。さすがヒナには手を掛けることは無い。卵からかえったばかり裸同然やっと産毛が生え始めたころ、大将が手を近づけると親だと思って首を振り餌をねだる目の見えない子スズメ。
大将にも早々と慈悲と言う優しい心が芽生えてたらしい。

小鳥は毛をむしって羽毛を焼いた後は母親に任せ、頭以外を出刃の背で良く叩き骨を砕く、甘辛醤油ダレの付焼きで骨など一切気にせずむしゃむしゃ食べる。
これは戦後まもない食糧事情の余り良くない頃の話。今此の様な事をする人は滅多に居ないと思いたい
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うるち小学校記憶15 年中腹ペコ編

2017-10-04 | お山の大将そばバカ日誌
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大将独り言の時間です   宇留地小学校記憶15  年中腹ペコ編

生き物編
おじちゃんの家の囲炉裏の上に火棚(火アマ)がありそこにはキジの頭の黒焼きが串に刺してあり、おねしょに効くと進められた。マムシの焼いたのは精力剤
どうりで  と言うか・・・・やっぱり  て言うか・・・・ウンウン

ニジマス(この項二度目)
小学校の校舎は高台に、20段くらいの階段を登った上にある、下には未舗装の県道、そして田んぼ、其の下に山王川(多分)ちょっと上には堰堤があり、秋頃だと思うが毎年ニジマスが遡上してくるが、堰堤以上上流へは進めない。大将には恰好の好漁場一抱えもある石の下に手を入れると、しめしめ、また居る腹を赤くした20〜25cm位のニジマス、一匹捕まえては草むらへ放り投げる、二匹目、三匹目 今日はこの位にしといてやるか   てなモンです。
ただね、川魚は小骨が多くて家族には不評でした。
特に大将は魚の骨は今でもカラッキシだめ。

一番の苦手へび マムシ
坂を登った上の家の物干し竿に首を落とされ皮を剥がれピンク色のマムシが二匹吊るされウニウニと動いていた。
もくず蟹  
今では超高級食材、山王川の浅瀬の石の下、通称猫じゃらし(イネ科植物)を差し込みカニが触るのを確認、手を突っ込んで捕まえる。ケモクジャラのハサミの力が強いので経験者しかできない。大将こればっかりはご勘弁。焼くと赤くなりかなり美味しい、が、ジストマ菌が潜んでるそうなのでよっく熱を加える事

この歳になると昨日の事は記憶にございません、昔の事は思い出す。少し前には良く聞いた話だが間違いなくそうなって来てるのが良くわかる。 によってこのブログもあっちこっち行ったり来たりしますがそこのところは何卒ご容赦の程願う。    
「きのうの晩御飯のオカズ何だったっけ?」   「さ〜」  歳だなぁ〜      おでん、大根 ちくわ 豆腐 厚揚げ ラーメン ライス小
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唐変木な蕎麦屋の独り言 

2017-09-27 | そばバカ日誌 今日も一所懸命
唐変木な蕎麦屋の独り言
今日も一生懸命  人生の徒然を

鳥越村に来た経緯を少し。
唐変木の大将は、車、ヨットをちょっと、アマチュア無線、釣り、バイク(ロード、オフロード、トライアル)をこよなく愛した経歴の持ち主、だが多くは中途半端。中でも長いのはバイク、16、7歳の頃ホンダのスポーツカブから今に至るまでいつも傍に有る。大型バイクではBMWのパリダカールを繰って家庭を顧みず北海道から九州まで走りまくり、バイク屋の主人51歳大将50歳、二人でエンヂューロなるオフロードレースにも参戦、ゼッケンも二人合わせた101番、この時の転倒で両親指の靭帯を損傷今もしっかり物を持てない。現在は二輪を降りたとは言え知人から譲ってもらった45年位前のCDドリームが何時になるやらレストアを待っている。  写真見たいな良いもんじゃないぞ
そんなツーリングの帰途「手取り温泉」に浸かっての帰り道、汗を拭いていた場所が現在の自宅前。いつしか子供の頃住んでいた穴水に似ているのに気がついたのが始まり。その頃は農地に杉を植えありクズの蔓が絡みジャングル状態、茂みの中に入ると空が見えない程になっていた。
カミさんと弁当持参で何日か通い雑草を刈り取り、ふと振り返ると広々とした景色で素晴らしい眺め、3年かけて地主さんにお願いし譲って頂いた訳。
後に地主さんから聞いた話では「こんな景色の良い処やったとは、譲の止めっか」と言ってたそうです。で、それから丸23年。
当時の電話番号07619−4−2281(オーナーも行く・世の・通は二ハが一番)蕎麦屋にぴったりのゴロ、気に入ってたが何回か変更があり、今は2281しか残ってない。其の内連峰合衆国消滅と共に鳥越州も石川郡も鳥越村も無くなり白山市・・・町、どこにでも有るつまらない住所になってしまった。
大将は今でも公文書以外は・鳥越・を入れて細やかな抵抗を試みて書くんです。
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