竹林舎 唐変木の そばバカ日誌  人生の徒然を

26歳からの夢、山の中でログハウスを建て
 自然の中で蕎麦屋を営みながら暮らす
    頭の中はそばでテンコ盛り

宇留地の記憶  14

2019-03-17 | お山の大将そばバカ日誌
そばバカ大将独り言
宇留地小学校から国鉄穴水駅まで約3里途中には雑貨屋さんが二軒とクリーニングさんが一軒、お店と言えば此の三軒、大将の家は余裕などない。必然的に自然の草木が遊び相手となる。
前出の笛もそうだが次は
「水鉄砲」
1)初歩的なのは直系3センチ位の竹を長さが30センチに切り片方は節のまま切りその先に30センチの竹筒に入るくらいに布を巻きつけて縛る。
  たらいに水を張り竹筒の節側を入れ細い竹を上下に出し入れするとポンプになり筒先の穴から水が勢よく飛び出す。
2)杉鉄砲
  今では花粉症の方から目の敵にされている杉花粉の発生源、「杉」・・・だが、春なると花芽ができる。その花芽が大将の格好の遊びの材料。
  熊笹を採ってきて7〜8センチに切り、片方の節を落としもう片方の端から3センチのところでカット、短い方に竹ひごを差し込み、長い方のパイプ状の寸法より1、5〜2センチ短く切る。
  杉の花芽を数十個口に含み、一粒パイプに入れ、竹ひごで押し込む。更にもう一個パイプに入れ竹ひごで押し込むと前に押し込まれていた花芽が「プチッ」と勢いよく飛び出す、これが杉鉄砲だ。
  長さの違う鉄砲を作りずらっと並べて楽しむ。ただ余り短いものはネズミのウンチに似似たものがニョロニョロ出るだけなので注意。
  この作業は竹採りからひご作りまでお祭りで買った折り畳みナイフ一丁
  
  杉の花粉が飛び散る頃には竹竿を振り回して杉の枝をゆすり飛び散る花粉を 浴びて頭を黄色くして遊んだがあの頃花粉症なんて有ったのかなぁ

3)龍の髭玉鉄砲
  この鉄砲の弾は龍の髭にできる綺麗な藍色をした5mm位の玉、果肉の中には 白い 半透明の丸く固い玉が入っている。
  これもやはり材料は竹、杉鉄砲用の竹より太め、作る要領は全て杉鉄砲の兄貴分を作る感じの加工、龍の髭の5mmの玉を押し込むと果肉が剥がれ固い玉だけが筒の中に入る。
  一発目を押し込み、二発目を勢いよく押し込むと「パン」筒先から煙状の水分と共に玉が飛び出し、当たると結構痛い位に勢いがある
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宇留地の記憶  14

2019-03-17 | お山の大将そばバカ日誌
そばバカ大将独り言
宇留地の記憶14
宇留地小学校から国鉄穴水駅まで約3里途中には雑貨屋さんが二軒とクリーニングさんが一軒、お店と言えば此の三軒、大将の家は余裕などない。必然的に自然の草木が遊び相手となる。
前出の笛もそうだが次は
「水鉄砲」
1)初歩的なのは直系3センチ位の竹を長さが30センチに切り片方は節のまま切りその先に30センチの竹筒に入るくらいに布を巻きつけて縛る。
  たらいに水を張り竹筒の節側を入れ細い竹を上下に出し入れするとポンプになり筒先の穴から水が勢よく飛び出す。
2)杉鉄砲
  今では花粉症の方から目の敵にされている杉花粉の発生源、「杉」・・・だが、春なると花芽ができる。その花芽が大将の格好の遊びの材料。
  熊笹を採ってきて7〜8センチに切り、片方の節を落としもう片方の端から3センチのところでカット、短い方に竹ひごを差し込み、長い方のパイプ状の寸法より1、5〜2センチ短く切る。
  杉の花芽を数十個口に含み、一粒パイプに入れ、竹ひごで押し込む。更にもう一個パイプに入れ竹ひごで押し込むと前に押し込まれていた花芽が「プチッ」と勢いよく飛び出す、これが杉鉄砲だ。
  長さの違う鉄砲を作りずらっと並べて楽しむ。ただ余り短いものはネズミのウンチに似似たものがニョロニョロ出るだけなので注意。
  この作業は竹採りからひご作りまでお祭りで買った折り畳みナイフ一丁
  
  杉の花粉が飛び散る頃には竹竿を振り回して杉の枝をゆすり飛び散る花粉を 浴びて頭を黄色くして遊んだがあの頃花粉症なんて有ったのかなぁ

3)龍の髭玉鉄砲
  この鉄砲の弾は龍の髭にできる綺麗な藍色をした5mm位の玉、果肉の中には 白い 半透明の丸く固い玉が入っている。
  これもやはり材料は竹、杉鉄砲用の竹より太め、作る要領は全て杉鉄砲の兄貴分を作る感じの加工、龍の髭の5mmの玉を押し込むと果肉が剥がれ固い玉だけが筒の中に入る。
  一発目を押し込み、二発目を勢いよく押し込むと「パン」筒先から煙状の水分と共に玉が飛び出し、当たると結構痛い位に勢いがある
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唐変木なそばバカ大将独り言

2019-02-14 | そばバカ日誌 今日も一所懸命
さて 今回も前出猪足原木生ハムの続報です
塩抜き工程も終り、今度は殺菌、乾燥、熟成、香り付けを促す燻製工程です。この工程を省く方法もあるそうですが、大将新米に付き失敗のないよう参考資料に出て来る工程をなるべく忠実にやって見たいと思います。燻製には熱燻、温燻、冷燻 湿燻(?)などがあるそうですがこの中の冷燻です。生ハムを仕込む時期は設備を持たない大将は雑菌の繁殖が少ない12月頃から1月中に出来るだけ自然乾燥をしておく必要が有り、蒸し暑い日本の梅雨、夏に原木を腐らせずにやり過ごすには重要な工程だそうです。
では冷燻風景です。/font>5mmのベニヤ板で2分割できる冷燻用の囲いを作りました、写真下のパイプからスモークウッド(温度を余り上げずに煙のみを出す)の煙りを送り込みます。
原木は天井からチェーンで吊るし、蓋をして燻ます。
2時間半香燻、1日置いて更に2時間半香燻、1日置いて更に香燻、あとは乾燥熟成待ち。

今日はこんな事もやっつけました。二機ある薪ストーブの(バーモント キャスティング社のレゾリュートアクレイム)
の右側にあるダンパー用レバーを微調整出来るように細工を施しました。この後ストーブ本体から20cmの煙突内部に鋳鉄製のダンパーも取り付ける予定。これで火力の効率がグンと上がる・・・・・・かな?

そばバカ大将独り言

2019-02-01 | そばバカ日誌 今日も一所懸命
H31 2月 1日  (今日も一生懸命)

さて唐変木の大将冬場の定休日は結構暇を持て余している
縁の下から廃材を引っ張り出しストーブ用の焚き付け薪を作って見たり、僅かしか積もってない雪を除雪機でかたずけたり、コタツに潜り込んで昼寝をしたり、寝ていると頭の上で掃除機がウイーンウイーンと鳴り出すと寝ぼけ眼で枕を抱えて逃げたり、録画済みの映画を見たり、粗大ゴミ状態。二日目は明日の営業の段取りでまずまずの仕事がある。

で、今日はあれから10日以上経ってしまったがいよいよ塩抜きに掛ろう。
冷蔵庫にビニールに包んで寝かせてある原木を引っ張り出すと結構ドリップが染み出しているので肉の中の水分が抜けている証拠。全体に赤みが消えて薄い茶色っぽく変色している。
寝かせてあった10日の内に風乾用のboxを作った。内側には虫除け用の細かい網、外側には獣避けの金網を厳重に貼る。(イタチやタヌキが匂いを嗅ぎつけ夜な夜な襲って来る)。
蓋にはフック引っ掛け用の鉄筋を取り付け、20kg位は耐えると思う
画像クリックで拡大

再度塩抜き、プラスチック製の衣装ケースにタップリと水を張り、刷り込んだソミュールを洗い流し、2本共水の中にドボーーン。そして24時間、その後水分を拭き取り、念の為更に血抜きをして風乾24時間
画像クリックで拡大
玄関先の軒下にboxをチエーンで吊す、新聞屋さん、宅配さん、郵便屋さん・・・・・な、訳ですから  ゴメンナサイ

本日はここまで    以後香薫乾燥を繰り返しに入る
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そばバカ大将独り言

2019-01-17 | そばバカ日誌 今日も一所懸命
H31,01,17 ( 今日も一生懸命)
・・・・・と言うか今日は定休日、外は雨又は雪  沖永良部島噴火
お店の玄関の履き物棚、二十年以上前に作ったちょっとダサイ出来の物、床板張り替えの段取りをしようと下見。
仕事にかかる時には取り付けてあるラチス、階段にも影響を及ぼし簡単には行かないことが判明、階段もシロアリにやられているらしくボスボスの所が見える。
以前からこのボスボスが気になっていてL型アングルとグレーチングで階段を自作することを考えていたので階段から始める事にした。
・・・・・・で、今日は暇を持て余して久し振りの『今日も一生懸命』で最近ハマってる燻製?をUPする事にした。

燻製はこれまでもいろいろ試したが今回は憧れの原木生ハム、それも猪だ。
肉質に関しては臭いの何のと言われるが決してそんな事はなくむしろ豚肉よりサッパリしてる様に思う。
仕上がりは一年半〜二年後    まったく 気の長い話

昨年暮れ年末も押し迫った26日、お店のお客様で猟師さんから電話、猪が獲れたから取りに来ないかと。
もっちろん素っ飛んで行ったね

(クリックで拡大)4時間後に帰宅、これが100キロを超える猪の後脚、二本で約14Kg。幅約30長さ約60cm(一本)
早速屋外にビニールシートを敷き塩漬けにかかる。
ネットを参考に血抜き(これをやっとかないと臭みや腐敗の原因となる)塩、三温糖、バジル、粗挽き胡椒をすり込み10日間冷蔵庫で寝かし、水分や血抜きをする.

では10日後    ZZZ・・・・         

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宇留地の記憶13  

2019-01-02 | お山の大将そばバカ日誌
記憶13
麦わらとカエル
学校の裏庭に直径5メートル位の池が有った。 多分菖蒲や何かも有ったと思う。
カエルを始め、ゲンゴロウ、トンボのヤゴ、ミズスマシ、水カマキリ、背中に卵をのせたカメムシ様の虫、アカハラ(トカゲの仲間)さながらビオトープ。
当時は、アマガエル、殿様蛙、牛蛙等カエルの種類も多かった。
中でも殿様蛙は大将の格好の遊び相手、麦の茎でストロー状のパイプを作り、殿様蛙のお尻に差し込み「ぷーっ」空気を吹き込んで池に放り込むと腹を上にして「プカプカ」 しばらくすると空気が抜けて何事も無かったかの様に泳ぎだす。
カエルが「この野郎覚えて嫌がれ」なんつったらビックリもんだ。
ただ注意が必要、やつは空気を入れる時渾身の力で抵抗するついでに「ションベン」もやらかす。パイプを伝って逆流。「ペッ ペッ」蝉のションベンは聞いた事があるがカエルのションベンは滅多にお目にじゃない味わえない超レア物・・となるので注意。

葉っぱの笛
1)常緑樹の葉、せいぜい5〜6cmの葉っぱの先端部を1cm程のところで折り曲げる。その時途中で折れて切れてしまうものは硬いので使えない。そこそこ硬くそこそこ柔らかい葉っぱ、ここのところが難しく至極微妙、それを直径5〜6mm位のパイプ状に丸めて潰す。この潰し方も微妙、あんまりぺったんこに潰すと吹くときに息が入らない、かと言って潰し方が甘いと息がスカスカ通ってしまい笛にならない。適度に潰した葉っぱの笛は吹くと最初に巻き込む時に潰した葉っぱが震えてリードの役目で鳴る仕組み。強からず弱からず吹くと見事に鳴る。
2)柔らかい葉っぱを唇に当てて指二本で押さえ吹いても鳴る
3)ススキの葉を10cm位に切って両親指の付け根に縦に挟み吹いても鳴る。
4)ススキより柔らかめの葉っぱを7〜8cmに切りUの字に曲げ端から2cm位の所を人差し指と中指に挟んで両方に広げて吹く。
木の幹に白っぽく楕円、上部には穴が空いてる虫の抜け殻これも鳴る。
くま笹の新芽を引き抜き白い食べられる部分は切り取り巻いている葉を一度解き巻き直して元から吹くとブーブー鳴る。
5)直径1cm位の竹、片方は節に切り込みを入れても鳴る、(時代劇の呼び子)長いのから短いのまでたくさん作って鳴らし比べた。
6)竹を10cm位に切り、片方は節。瓶の口を尺八を吹く方法で鳴らした。
6)上級者は40cm位の竹で横笛を作っていた。吹き口と端っこには竹の皮で作った竹紐を綺麗に巻いていた。
竹笛の細工には折りたたみの小刀をたためない様に固定し良く研ぐと力も入るし素晴らしい切れ味になる。この小刀一丁で作るのだから凄い。当時は町の文房具屋さんで何十円位かで売ってた。

きリ、鉈、小刀、で鳥籠も作る。竹を細く割り、鉈でしごいて竹ひごを作り切り揃え5mm角の材料に差し込んでいく。入り口もスライド式、水入れ、餌台も竹
鳥の捕獲は鳥もちと言うネバネバを棒に塗り鳥が停まるとくっついて離れない
メジロやウグイス等を捕まえて鳴き声を楽しんだり、又オトリとしても使う。
当時大将は籠を作る技術が無いのでもらったものに巣から落っこちてきた子スズメを入れ、ハエや虫を捕まえてきて飼った。
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宇留地の記憶12  家族

2018-09-10 | お山の大将そばバカ日誌
(当時の我が家のクリスマス)
その彼らは家から持ち出した芋やら小豆等を持ってきては我が家の貧乏食卓に添え、母親の手作り料理やホットケーキ、父親がパチンコで取ってきた景品の菓子を摘みながら、夜遅くまで話に花を咲かせ帰るのが常だった。当時戦後の物資不足の折では有ったが、我が家のクリスマスプレゼントは豪華なもの。一応どんなプレゼントが欲しいかは前以もって書いて置くのだが大将は幼くて字が書けずあれこれ欲張って姉に書いてもらった。

さーてデコレーションケーキなんて豪華な物なんか有ありゃしない、母親の手製ホットケーキのお出ましだ。ここで頭数に、等分に、正確に分けなければならない、姉から大将に向かって「くにお、何分の一が良い?」矢継ぎ早に「8分の一が良いか20分の一が良いか」と年輪もいかない純真無垢な可愛い弟の筈なのに難しい質問が来た。ここで大将一計を案じたね、そんなこたぁ聴かれなくっても分かってらぁぃ数の多い方がいいに決まってるじゃないか当然「20分の一!』・・・・と・・・後々まで語りぐさになっちまったね、今でも

早めにとこに入り時々薄目を開けては靴下を見るのだがサンタさんは一向にくる気配がない。その内眠ってしまい薄暗いうちに目を冷ますとゴツゴツ膨らんだ靴下が見える。
「お母さんサンタさんが来たよ」靴下の中には森永のキャラメル(父親のパチンコ景品)ビスケット(父親のパチンコの景品)味の素(父親のパチンコの景品)ビー玉(父親のパチンコの景品)はたまたサンスター(此の時代に此のメーカーはあったかなぁ)歯磨き粉の缶の中に替えのペン先。等々がゴツゴツとした形で詰め込まれて居た。
此の頃はテレビも無くラジオも滅多に聞けない、ましてや保育園、幼稚園等なくサンタさんは居るものと信じ夢があって良い時代でした

此の我が家のクリスマスパーティーは金沢に越しても続けられ色紙で作ったチェーンやモール、点滅をする電飾、コーナーにはカラー照明、ビリーボーンやパーシーフェースの音楽、ろうそく、クラッカー本物のデコレーションケーキ、手ずくり料理又何人もの知り合いが参加して年々華やかになって行ったがあの当時の夢のあるプレゼントは無くなってしまった。

宇留地の記憶11  6人組のその後

2018-08-28 | お山の大将そばバカ日誌
その後女子の一人は坂の上の男兄弟5人の内の長男の処に嫁ぎ、一人は町のお寺に嫁いだ。4人組の殆どがそれぞれ東京に。後、真面目な面を持つKAは木場の材木屋さんに就職その後御養子さんに、KIは能登に帰り、JIは新宿歌舞伎町の別社会の入り口?の近くに居たらしく大将家族が金沢にいる頃ある日突然腹に白いサラシを巻いて現れ「逃れて北海道のノシャップ」にいるとか、別社会から追われてる様な様子だったがその後帰郷し金沢の精肉関係で働き結婚、実家の農業の手伝いもしてた様子。
大将家族が金沢の寺町に住んでた頃、母親の所へは時々捌きたてのまだ暖かい牛肉を両手に抱えて持って来てくれた。
MAは殆ど別社会に浸ったままと聞いた。一度だけ金沢に来た事があるが大将から見た印象は目付きが鋭く、天真爛漫な子供の頃の様には見えなかった。その後の消息は不明。JIは手術不可能な癌で、KAは癌で亡くなり、現在KI一人の所在が判明している。


此の6人組の事は大将幼き頃の事、うる覚えであり、曖昧な記憶で本当の所は定かではありません

宇留地の記憶10

2018-07-31 | お山の大将そばバカ日誌
記憶10
4人組の事
さて、泣く子も黙る4人組の事を少し。
この4人組の中には多かれ少なかれ家庭の事情が複雑だった者が居た様だ。
仮にJI,MA,KA,KI ,としておこう。リーダー格は高校時代相撲部で活躍、がっしりしたJI、ついで細身のMA、 中でも真面目な一面のあるKA, 年下で話しの面白いKI。
まぁこの順番は幼い大将から見た順番で本当のところは定かでは無為、もしかしたらこんな順番は無かったかも知れないと言っておく。
全員が農家の長男あるいは次男である。此の4人組時々山学校と称して家から食料を持ち出し近くの山へ入り煮炊きをしていた様だ。家の仕事は言うに及ばず学校もサボって居た。
ところが学校の用務員だった大将の母親から見た4人組は誠に純情で年相応の少年達で毎日の様に集まって来た4人組の話を良く聞いてやって居たし母親の言う事は素直に聞き入れて力仕事など良くを手伝っていた。時々フット部屋から居なくり、母親が変に思って探すと職員室に居る。なにやら怪しく慌てた様子で手を振りその辺りの空気を散らしている。
当直の先生の居ないのを見計らって昼間先生達が吸ったタバコの吸い殻を火鉢から拾って吸って居た様だ。ギリギリまで吸ってニコチンが指に着き黄色くなるのが彼らのステータス、自慢の種、母親も「ダメよそんな事をしチャァ」と言う程度の注意に見えた。
当直の先生がいる時は「早う帰らんか」「早う帰らんか」の声を聞くとそれぞれの家に帰っていった。

当時大将の家には弟はまだ存在しておらず、此の4人組がなんともたくましい兄達に見えた。
その内4人組と同学年の女子、IとT二人も合流、(クリスマスには居た気がする)狭い部屋に9人も集まり大家族の様なひと時、お手玉、おはじき、トランプ、双六、いろんな時間を過ごし大将や姉の相手をしてくれた。
大将此の二人その内の一人がそばにいると何となく小さな胸がトキトキときめいた、ひょっとすると恋多き大将に取ってフアーストインプレッションかも知れない。
此の部屋は学校の用務員、大将家族の生活の場、食事、寝室、勉強部屋、遊び場、客間、床屋さん、物干し場、家具、父親の机、タンス、全てが揃った便利な一屋部屋。
当時父親は単身赴任で金沢に居り週末には帰ってくるのでその日は此の和やか?な雰囲気がは変、静かな4人家族になり大将が叱られる回数が多くなる。

記憶10話 次に続く

宇留地の記憶9

2018-07-02 | お山の大将そばバカ日誌
事件簿8からの続き
腹に巻いた喧嘩用チェーン
このTさん「名うてのやんちゃもん」と書いたが実は本当にやんちゃもん。
大将が住んでた地域は大きく4っつに分かれてた。学校を中心に一つは上の集落
一つは学校の地元、後ふたっつは下、そのうちの一つはさらに下。集落ごとに子供達は時々抗争を起こす。ある日、下の二つが喧嘩になった。大将は意気地が無いので見学。その時Tさんはベルトの位置に自転車のチェーンを巻いて居た。すでに起こりうる抗争の為に準備をして居たと思われる。
お互い石を投げるやら棒を不振り回すやらで乱闘が始まった。その時走りながらチェーンを振り回してたTさんは蹴躓いて砂利道にしこたま顔を打ち付け血だらけになった。 さすがのやんちゃもんも泣いては居たが手ぬぐいで血を拭いてびっくり、下唇に小指が通るほどの穴が開いてた。この怪我をみた皆んなは蜘蛛の子を散らすように消えた。  のを大将は見た。  その後Tさんはどうなったんだろう
今ではきっと親の跡を継いで立派な経営者になってる事でしょう

喧嘩と言えば
又、坂の上の家は電気料の集金を委託されて居て川下の集落にも行かなければならない。集金の役目は男兄弟ばかりの上から三番目のM、大将より4っつ五つばかり上、誘われて集金のお供、各家へ回ってる時、チラホラとやんちゃ軍団が見え隠れしてた。お寺の近辺を歩いて居た時、突然石飛礫、縁の下の向こうから二、三人がこちらに向かって投げてくる。 ほとんどがMを目掛けて飛んでくる縁の下には雪よけ用の太い竹が積んでありその竹にイシツブテが当たりカランコロコロと音を立ててる。さぁ集金どころの話では無い、すっ飛んでその場を離れ急いで飛んで帰った。
後でつらつら考えるに、学っ校の坊やには当てられないのでMのみを襲った。
後でつらつら考えるに、当てられない、学っ校の坊やを連れて行けば襲われない。
後でつらつら考えるに、盾?当て馬?出し?に使われたかっ!
今の時代だったら大変な事件になっていたに違いない。
大人になってからこのことをつらつら考えるに学っ校のボヤには狙われない一つの要素が有った気がする
実はこの四つのやんちゃ軍団の更に先輩格に当たる4人組、箸にも棒にも掛からないナラズ者達が母をっ慕って年中出入りしていて若いヤンチャ者も一目置く存在。
(言っとくが「ならず者」と書いたが 小学校高学年〜中学一二年生五人の集まりの事。
でも年下のやんちゃ軍団達にとってはとても恐い存在。滅多やたらにいじめる事は出来なかったのだと思う。
この五人組の事はこの後思い出しながら綴って見たいと思う。