竹林舎 唐変木の そばバカ日誌  人生の徒然を

26歳からの夢、山の中でログハウスを建て
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気分の良い釣師

2011-12-10 | 「竿忠の寝言」
気分の良い釣師
一ト口に辰巳と言えば州崎、州崎と云えば弁天町、弁天町と云えば菩薩の居る処と、如何なる石部金吉でも解説不要で通用する場所だ。生きた弁天様が大勢在(おわしま)して、御信心の輩(ともがら)に広大無辺の御利益を授け給えば、茲衆生済度されて皆々随喜の涙に咽ぶと云う、此世からの極楽浄土だ。高楼高閣軒えお連ねて建ち列ぶ中にも仲の町を真直ぐに約一丁半の角、純日本造りの煌々たり不夜城は粋様(すいさま)先刻御承知の有名な栄住吉楼だ。処で此処の主人公は釣界で有名な金田栄助氏、此人は日蓮上人の大崇拝者で、御信仰の道に於いては、敢て人後に落ちない確固たる信念の持ち主、知らない人は金田氏の堂々たる風采恰幅を見て大僧正と間違えたと云う話を耳にしたが、尤もだと思う。実に気分の良い人で、釣師としては典型的な釣師、竿忠と意気投合し、竿忠も金田さんに云われぬ内にドン\/前に拵えて仕舞って置く様にした。釣師だから今度何々の竿が要ると季節(しゅんせつ)に依て分かって居る。「忠さん斯う云う竿を拵えてお呉れ」と云われると「ヘイ」と直ぐに出すようにして置いたお客、誠に腹の大きな所謂大量の仁で、一例としては郭内で誰も使わぬという評判の札付きの人を、お帳場に使って縦も横も委せ
たという豪腹な人だ。
釣りに関して却々の研究家、新規の釣も数々発明して、他の人が、得て自分の研究の発表公開するのを惜しみ秘密に秘密にとしたがる事柄を惜気もなく親切に打ち明けて伝授し、共々好成績を挙げる様に努めるなぞ、一点の暗さも持た無い、何となく明るい気持ちの良い人だ。この位の人だから釣りは元より、竿に就いても一見識を持って居る。従って竿忠も苦心する張合いがあったと云う訳。少年時代からの釣師と云ってもいゝ位で、散々苦労に苦労して酸いも甘いも百万嚙分けている。思いやり同情の深い事に於いては定評の人だから、今日の成功を収めたのだ。話に筋の立つ、極判りの早い苦労人だ。或る時竿忠が冗談に都都逸を作った。

恵比寿が数えたあの栄住(えいすみ)の  主人(あるじ)や布袋で釣りをする

金田さんは便々たるお腹で肥って居るから布袋と云ったのだ。こんな仲であったので、竿忠が亡くなる三日前に「お爺さんが好物だから」というので鮠(はや)を持って来て呉れた。竿忠は大好物だから大事に食べて居たが最後の好物となった。商売こそ違って居るが三代目東作と九代目団十郎と気が合った様に、竿忠と栄住と気が合って、そこで出来上がった竿は双方の気がピッタリ合致している。昨昭和五年八月白木屋の釣りの展覧会に出品した竿は、其内のホンの一部の物であった。

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2 コメント

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素敵な随筆です (古き物好き)
2011-12-10 20:28:08
大変素晴らしい、見識と随筆と感じます。江戸竿師とその周辺。その流れをくむ、京竿師など勉強になります。京都の右京区山之内に、中根冶太郎さんというお竿を作られる方がおられ。そのお母様が日本舞踊がお好きだったそうです。
遅くなりすぎました (蕎麦バカ大将)
2012-03-12 08:11:13
古き物好き様

四代目竿忠が一時期京都の竿徳さん(初代忠吉の弟稲次郎の直系で、奥さんの冨士さんは初代竿治の娘)中根徳太郎のところで京竿の修行をしたそうです。
この辺りは四代目の附録「寝言以後」に出てきます

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