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JR山陽本線の兵庫駅を起点にするミニ鉄道があります。全長2.7km。4分間で終点に着いてしまう鉄道、JR山陽本線の支線、JR和田岬線です。兵庫駅から1駅先の和田岬駅とを結んでいます。和田岬線は、明治23(1890)年に山陽鉄道によって開業した、120年を超える長い歴史をもつ鉄道です。また、和田岬駅は、開業当時は「和田崎町(わださきまち)駅」と称しており、貨物営業だけを行う貨物駅としての開業でした。そして、貨物の営業は、昭和55(1980)年に廃止されるまで、90年間に渡って行われました。
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明治28(1895)年に、和田崎町駅は、現在の「和田岬駅」と改称されました。その後、明治39(1906)年に国有化され、明治44(1911)年には旅客営業も開始しました。この日、午前9時10分発の午前中の最終列車に乗るために、早朝から出かけました。自動販売機で和田岬駅までのキップ(140円)を買って、兵庫駅の改札口を入りました。そして、左側の階段を上りました。
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階段を上がった左側にもう一つ改札口がありました。和田岬線の改札口です。持っていた切符を自動改札機に入れると、「切符は回収されました」というメッセージとともに回収されました。切符を持たないで列車に乗るということに、少し違和感がありました。
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和田岬線の時刻表です。この日は平日でしたので、一日17往復。列車は、朝と、夕方から夜にかけてに集中しています。昼間の運行はありません。日曜日にいたっては、朝夕2往復だけの運行です。和田岬駅の先にある三菱重工や三菱電機の工場に勤務する人々の輸送を主に担っている鉄道だからです。
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改札口から右に曲がって、ホームに向かってゆるやかに上がっていきます。右側のやや上に、JR神戸線(山陽本線)のホームが平行してつくられていました。兵庫駅で線路は行き止まり、車止めもついています。終着駅の雰囲気です。
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和田岬方面です。和田岬に向かう本線は左にカーブしていきます。その手前で、山陽線のJR鷹取駅に向かう線路を右に分岐しています。平日の昼間は、訓練用として使用されることもあるとのことでした。
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和田岬駅からの電車が入ってきました。クハ103-254など103形6両の固定編成で和田岬線の専用列車です。 和田岬線は、平成13(2001)年に電化されました。それも、和田岬線の長い歴史の中では「つい最近」といってもいい時期の電化です。長い非電化の時期を経ての電化であり、決して「お荷物」ではない路線なのです。 この日は、着いた列車からは、数人の乗客が降りてこられました。
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各車両にあった行き先表示です。
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車内です。座席はすべて横シートでした。電化される前は、座席はほとんど撤去されていたこともあったそうですが・・・。 9時10分。出発進行!です。車掌も乗務されていました。すぐ、鷹取駅に向かう線路を分岐。左カーブが終わると、国道2号線の高架をくぐります。
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国道2号線の高架下を、兵庫方面に向かって撮った写真です。右の手前に進む線路が本線で、正面の線路は川崎重工兵庫工場(車両カンパニー)に向かう分岐線です。この先で新幹線の車両が一瞬だけ見えました。
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その先、緑の門の先が川崎重工兵庫工場(車両カンパニー)です。兵庫運河まで、広大な敷地が広がっていました。
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これは、兵庫運河の方から見た工場で、運河沿いに車両が並んでいました。川崎重工は、国内最大の車両メーカーです。ここ兵庫工場は100年以上の歴史をもち、川崎重工での車両の生産を一手に担っている基幹工場です。 0系新幹線から台湾新幹線、最近のE5(東北新幹線用)、E6(秋田新幹線用)車両のほか、JR各社や小田急、京浜急行の大手私鉄の車両、札幌、仙台、神戸地下鉄車両など幅広く生産しています。この分岐線は、この工場で生産された車両を納車するために使用されています。JRの車両など線路でつながった納車は、ここから兵庫駅まで送られ分岐線を使ってJR鷹取駅を経由して、そこから全国へ送られています。 手動でのポイント切り替えの設備が近くにありました。
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写真は、兵庫運河のプロムナードの案内に載せられていた、0系新幹線車両の積み出し風景です。台湾やシンガポールを中心としたアジア諸国への車両の提供は、今もこの工場からの輸出で行われています。 また、アメリカ合衆国での川崎重工の車両のシェアは、35%でトップ。アメリカ向けの車両は、ニューヨークとネブラスカ州にある工場から提供されており、最大の顧客であるニューヨークの地下鉄には、1980年代から累計2000両以上納入しているそうです。現在、ニューヨーク地下鉄が保有する車両の約3割が、川崎重工製だそうです。
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川崎重工の工場を過ぎると、兵庫運河にかかる15.5mの和田旋回橋を渡ります。かつて、兵庫運河を航行する船舶を、橋を水平に回転させることによって通過させていました。明治33(1900)年に架橋された、日本最古の鉄道可動橋です。 現在は固定化されていて、回転させることはできません。 和田岬の臨海部の方々は兵庫運河を生かした町づくりを進めています。「船の航行や散策に和田旋回橋が障害になっている」として、和田岬線の廃止の要望書をJRに提出したことがあったそうです。
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一方、JR和田岬駅のすぐそばに和田岬駅がある神戸市営地下鉄海岸線は、平成13(2001)年に開業しました。神戸市営地下鉄海岸線は、13万人の輸送を見込んでいましたが、実際には4万人の輸送しかなく、830億円の累積赤字があったとか。 JR和田岬線は、4億円の売上がある黒字路線ということで、廃止されるとそれが地下鉄海岸線に移るという目論見があったのではないかといわれています。 要望書に対し、JRは電化したうえで存続させたということです。 写真は、和田旋回橋の橋脚部分です。ここに回転させるための設備が載っていました。今も、竣工当時の橋脚は健在でした。
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スピードが落ち始めると、右側に、”2002年FIFA ワールドカップ”の会場だった御崎公園球技場が見えました。
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右側に商店街が見えるとスピードがどんどん遅くなり和田岬駅に入りました。
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9時14分、和田岬駅に到着しました。 下車した50人ぐらいの乗客の大部分は、そのまま前方に向かって歩いていきます。三菱重工や三菱電機の関係の方なのでしょう。
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残る10人ぐらいの方がホームから階段を下りて商店街の方に歩いて行かれました。
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和田岬駅の時刻表を見ると、折り返して兵庫駅に向かう電車は9時25分発でした。
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昭和62(1987)年、国鉄の分割民営化により、JR西日本の駅になったJR和田岬駅は、平成11(1999)年に無人駅となり、戦時中に建てられた木造駅舎は、平成21(2009)年に撤去されました。駅舎跡はコンビニに替わっていました。現在の和田岬駅には駅舎もなく駅職員もいません。片面のプラットホームがあるだけでした。切符の自動販売機もありません。この日は、折り返しの電車を待っていた方もおられませんでした。電車の撮影をしたかった私は、急いで平行する通りを兵庫駅方面に向かいました。
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現在、和田岬線では、改札業務はすべて兵庫駅で行っています。和田岬駅から兵庫駅に向かう乗客は、切符を持たないまま電車で兵庫駅に向かいます。兵庫駅に着いてから、和田岬線の改札口のそばにあった切符の自動販売機で、目的地まで切符を買って、改札から出るようになっています。
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歩いてJR兵庫駅に戻る途中、兵庫駅の西にあるキャメルタウンから見える和田岬線のホームに、6両編成の和田岬線の電車が止まっていました。夕方の運行が始まる17時15分まで休息をしているようでした。
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JR兵庫駅に帰って、和田岬線の改札口に上がっていきました。改札口は閉鎖されていました。
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さらに上がってJR神戸線(山陽本線)のホームに出ると、左下にある和田岬線のホームで休憩中の電車の姿が見えました。
和田岬線は、全長わずか2.7kmのミニ鉄道です。沿線にある川崎重工兵庫工場や和田旋回橋、兵庫運河などバラエティに富んだ見どころがある、魅力あふれる鉄道でした。今日も、多くの通勤客の輸送に汗を流しています。