西武事件 「堤家」支配と日本社会 日本経済新聞社 このアイテムの詳細を見る |
堤義明によるコクドを通じた西部グループの私的支配の崩壊は,日本の今を象徴している。ニッポン放送とフジテレビもしかりである。ホリエモン事件は,資本関係の逆転・ねじれをついたものであり,西武的なものは世にあふれている。市場と株主を無視してきた多数の経営者たちはさぞかし「身の危険を」感じているにちがいない。
NTTとNTTドコモ。イトーヨーカドーとセブン・イレブン。資本関係のねじれの例は枚挙に暇がないくらいだ。そして,「「日本的持ち株会社」は,誕生のいわれから日本の文化そのものだった。」(P224)のである。堤義明の失脚は,「一言で言えば,「仲間内経営の敗北」である。閉ざされた集団の中で判断力が働かなくなる。コンプライアンスも規律もとってつけたよなものになる」(P225)のである。
「株式の持ち合いは実質的には自社株保有と同じ機能を持っている。議決権は存在するが,経営者の意図に反して行使されることはない。他社を通じて自社の株を実質保有する。それによって,法人が自分の会社を支配することができる。本来ならば株式会社の”自殺行為”である。会社統治は成り立たない。それが持ち合いなのだ。持ち合いを堂々と発表する経営者は投資家に挑戦状を突きつけているに等しい。皆,康次郎と似ている。
株主重視の傾向はどんどん後退している。こういう現実の下では,外国株を対価にする企業合併が,経営者と自民党の圧力で先送りされたのも不思議ではない。法人資本主義とでも言うべきなのだろうか。安定保障し合う法人株主とは企業社会の「占有者」である。よそ者は入れない。固い絆で結ばれた「家族」のような関係だ。
資産をため込んでじっと肩を寄せ合う集団。日本中が康次郎の「土塀の中」にいるかのように見える。この国では,誰が西武をわらえるだろうか。」 (P228~229)
総数264万社の会社のうち,実に99%が従業員100人未満の中小零細企業だ。そして日本の就業者の7割がそこに働く。量的に見れば中小企業こそ日本経済そのものである。そして,それら企業の多くは,一部の例外はあるものの,蓄財,とりわけ,相続対策に関しては,西武と変わらぬことをしていると言われている。つまり,日本中,西武なのだ。(P187)
この現実を真摯に受け止めないといけない。西武事件は日本の転換点を象徴する事件かもしれないのだ。以前読んだ「淋しきカリスマ 堤義明」では家族関係からのアプローチであるが本書は日本経済全体からの西武事件の俯瞰である。それぞれ違った意味で役に立った。