昨日、「香友会」の集まりがあった。
この「香友会」というのは昭和38年に地元の小学校を卒業、昭和41年に福岡市立香椎中学校を卒業した同級生、それも現在地元で仕事をし、生活をする「昔・中学生」の集まりである。
歯医者、整形外科医、小学校の教頭、町役場の公務員、会社経営者、会社の役員、サラリーマン等、種々雑多である。
当時は、香椎小学校、香住ケ丘小学校、名島小学校などからこの千早にある「香椎中学校」へ進学し、一緒に学校生活を送った。
我々は、団塊後世代に入り、団塊世代の先輩たちの人口数から減少してきた世代です。
当時は先輩たちが一学年600人を超え、我々世代が一割くらい少なくなっていた。それでも学級数は14クラスほどあり、教室が足らず、運動場にプレハブの校舎が臨時に建てられていた。
人数が多ければ、それだけ人間の個性もある。ワルも優等生も普通の生徒もそれだけ多くなる。結構面白いというか、エキサイティングな時代であった。
その香椎中学という名前は今はない。香椎第一中学、香椎第二中学、香椎第三中学と分校化し、福岡市東区の人口増加と歩調を合わせている。
海が埋め立てられてマンションやアパートが建つほどに新しい町名ができ、新しい住民がどんどん流入してきた。
そんな世の中の移り変わりと共に、古き良き時代の文化や風習、つながりが疎遠になっていく。
地元に残った我々だけでも、何かを守ろうや、残していこうや、という主旨の会が我々の組織である。
小学校に花壇を作ったり、地元神社に毎年奉納したり、消滅しかかった地元の花火大会復活に協力したり、色々と活動をしている。と、書けばカッコいいが、本当は集まって飲んだり遊んだりして少年時代に戻る会である。
そんな我々世代が、とうとう「還暦」を迎えた。みんな頭が禿げ、髪が白くなり、性格も温厚になってきた。
これから一年一年、時と共にもっと”輝ける”世代になっていくだろうが、心だけは常に少年のままで生きていきたい。
そんな、気持ちに戻れるわれわれのの集まりは待ち遠しいくらいである。
福岡市東区を中心とした不動産の売買・仲介
不動産の アンカー 福岡
この「香友会」というのは昭和38年に地元の小学校を卒業、昭和41年に福岡市立香椎中学校を卒業した同級生、それも現在地元で仕事をし、生活をする「昔・中学生」の集まりである。
歯医者、整形外科医、小学校の教頭、町役場の公務員、会社経営者、会社の役員、サラリーマン等、種々雑多である。
当時は、香椎小学校、香住ケ丘小学校、名島小学校などからこの千早にある「香椎中学校」へ進学し、一緒に学校生活を送った。
我々は、団塊後世代に入り、団塊世代の先輩たちの人口数から減少してきた世代です。
当時は先輩たちが一学年600人を超え、我々世代が一割くらい少なくなっていた。それでも学級数は14クラスほどあり、教室が足らず、運動場にプレハブの校舎が臨時に建てられていた。
人数が多ければ、それだけ人間の個性もある。ワルも優等生も普通の生徒もそれだけ多くなる。結構面白いというか、エキサイティングな時代であった。
その香椎中学という名前は今はない。香椎第一中学、香椎第二中学、香椎第三中学と分校化し、福岡市東区の人口増加と歩調を合わせている。
海が埋め立てられてマンションやアパートが建つほどに新しい町名ができ、新しい住民がどんどん流入してきた。
そんな世の中の移り変わりと共に、古き良き時代の文化や風習、つながりが疎遠になっていく。
地元に残った我々だけでも、何かを守ろうや、残していこうや、という主旨の会が我々の組織である。
小学校に花壇を作ったり、地元神社に毎年奉納したり、消滅しかかった地元の花火大会復活に協力したり、色々と活動をしている。と、書けばカッコいいが、本当は集まって飲んだり遊んだりして少年時代に戻る会である。
そんな我々世代が、とうとう「還暦」を迎えた。みんな頭が禿げ、髪が白くなり、性格も温厚になってきた。
これから一年一年、時と共にもっと”輝ける”世代になっていくだろうが、心だけは常に少年のままで生きていきたい。
そんな、気持ちに戻れるわれわれのの集まりは待ち遠しいくらいである。
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