とにおの生きる道

日記を書いてゆきますよ 時々書いてゆきますよ

聖地巡礼・ロードバイク編

2011-08-19 22:06:39 | 自転車道

3Dっぽくみえません?

恒例の夏の和歌山帰郷、今年は妻子の都合が悪くオレ1人の旅に。
こんな機会はめったに無いのでロードバイクを車に積み込みました。
憧れのあの場所まで走ってみたかったのです。

「自力で行こかの 心のふるさと 高野山」

実は高野山(こうやさん)ってのは山じゃないんです。
和歌山の奥深く、山を深く分け入った森の中に忽然と存在する世界遺産の宗教都市なのです。
若い頃は全然興味無かったんですけど、死を意識するようになり仏教に興味を持ってからは
がぜん惹かれるようになった場所なのです。

今回のルートは高野山⇒龍神スカイライン⇒花園経由で有田戻りです。
ではルートラボ見てみましょう。⇒ ドン
あー なんかいい感じのルートだよねー 夢のようです。
楽しく走れるんじゃないかな?なんて思ってましたよこの時点では。

さて当日、薄くもり、AM6:30出発です。

さあ行こかー

有田川沿いを東へ、吉備、金屋とこの辺はまだ平地。路面がちょい荒いのが気になる。
その先は徐々に緩斜面のアップダウンに。脚が重くスピードは出ない、調子は悪いっぽい感じ。

おばあちゃん家があった岩野河のへん 昔よく泳いだわ

そろそろ休憩時間。休憩ポイントはもちろんここだ。

二川(ふたがわ)ダム


雨降るのかー?

そうこうしてるうちに、にわか雨がザザっと来た。
近くに民家はないけど幸運にも樹木の下で雨やどりができた。
汗と雨でぬれたウエアを脱いで上半身裸の大将で補給の羊羹を食す。

実はこうゆうのが思い出に残るんだろうね。

さて相変わらずアップダウンが続くのだが、何て言うのかなあ
アップダウンにキレが出てきて、しかもスケールがでかく?なってきた。
ジェットコースターのようだ。アウターでギア掛けて下ってる次のコーナーで5%登りみたいな。
1km登って1km下るみたいな。
脚の負荷が続けばそれなりに登れると思うけど、負荷⇒下り⇒負荷⇒下りの連続はきつい。
水は飲んでいるんだけど今思えばこまめに食糧を補給すんの忘れてるし・・・

そのまま最後のうねうね登りに突入。路面は非常に良いのだけど脚に力が無い。回らない。
しかも誰も通らない。静かだ。寂しい。
といきなりローディー複数降りて来てびっくり。「どうもー!」「どうもー!」
居るんだね。巡礼のローディー。

さてそろそろこの登りも終わるかなっとコーナーを抜けると
素晴らしく登りの先の先まで見渡せる風景。

ずっこけた。

失意のまま、黙々と登る。「あー 腹減った」とか、「何を食うかな」とか考えながら。

そしてコーナー抜けたら何か見えた。来たか?ついに来たか? 

大門さーん!

山道を登って登って登ってきた我々の目の前に、いきなり現れて驚かす大門さん=高野山の玄関
久しぶりだ。やっと着いたAM11:00。よく登ったよオレ。何か食おうぜ。

メインストリートを店を探してゆっくり走るのだが、
どうもこの街にレーパンジャージグラサンのこの格好は正直似合わない。雰囲気乱してすまん。
喫茶店ぽい店でうどん定食をいただき、しばしTVで甲子園に見入る。
その後、外に出て名物「焼き餅」を買い食い。これが美味いのよ。補給にも良い。
日陰のベンチにてしばし休憩、せっかく来たんで奥の院にお参りをと思ったが
結構暑く、またずいぶん歩くからそれはまた別の日にしよう(別の日の模様はまた後日)。

高野山の東端から龍神スカイラインに入る。少し下ってそれから6%6kmの登り。
飯食って塩も舐めたんで脚は回る。脚回ると楽しいぞ。
ええ感じで頂上っぽい場所に。

最高到達点 標高1100mくらい


遠くまで見えるねえ

ここまで来ると多少は涼しく、風もあったので非常にさわやか。
景色の動画です
鳥が喋ってた


まだあじさいが咲いてた。(高野あじさい園)

さてそろそろ帰路に着くかね。ここからは基本下りだしきっと楽ちんだ。
下りをさんざすっ飛ばし龍神スカイラインから花園に抜ける分岐に来たが、
何かバリケードっぽくなってるやん。

この先、1kmで土砂崩れ、車両通行止め!


まじでかっ!

ここまで来てこれかっ!

んー どっすかなー 引き返してまた登るのイヤやなー
もしかして自転車分の幅あれば通れるかも 行ってみるか ダメなら戻ってこよ

意を決して突入! 1km下ると・・・・

うわ

ウワサは本当だったのだ(そりゃそうやろ)
しかも道ぜんぶ埋まってるし・・・・
自転車を降りて近づいてみる。
壁ががっさり落ちてるけど幅は15mくらいか・・その先に道が見える。

担ぐか・・・

まずは自分だけで歩いて足場を確認。すげえ怖い。でも・・・「いける!」
自転車担いで突入!


シクロクロス競技


無事通過!やったね!(良い子はマネしないでね)

この時はね すげえ嬉しかったよ。さすがにちょっと焦った。上手くいって良かったー!

その後、下って下って分岐っぽい場所に到着。左は引き続き下り。右は登り。
当然左の道へ。しばらく行くと登り開始、登って登って登り倒す。
「ん まてよ おかしいぞ」川沿いなのだが水の流れが逆じゃん
オレ上流に向かって漕いでないか? 清水町へは下らなアカンのにー
止まって地図確認、でも地図にはこの分岐は書いてないし うーんやばい ここで迷ったら死ぬ
その時、坂の上から車の音、こんなへんぴな道に車が来るのか!?
手を振ってその乗用車を止めて話しかける。
「すいません! この先は清水の方面ですか?」
「いやあ ちょっとわからないねえ」
「おじさんはどちらから来られましたか?」
「龍神スカイラインから降りてきたんだけど・・この先、だいぶ登るよ」
「わかりました!ありがとうございます!」
やっぱ間違ってた やばかった さっきの分岐や

引き返して分岐を右へ、ちょっと登るがすぐに下って見覚えのある場所に!
高野山へ登る途中で見た景色だ。やった!合流成功!さすがオレ!(それは違う)
自販機のところで補給&休憩 元気100倍 現在PM2:30
なにげにサイコン見たらここまでの平均時速18.8km
「20kmくらいまで上げたいなあ」

そっから帰路はすっ飛ばし。1時間ごとに休憩&補給。塩も補給。
脚はよく回る。平地区間でも33~35km/hは出てる。おかしい。
普通に普通に回してそれくらいの速度だ。しかも逆風なのに。登りはきついがでも普通に回る。
適切なエネルギーと塩の補給のせいか?それくらいしか原因はわからん。

そしてー


PM6:00 無事帰還! 走行距離162km Ave21.3km/h

今回のまとめ
・朝早く出ると陽が沈む前に帰ってこれる。
・水はもちろんだが、食いものと塩の補給もこまめにしよう。
・緑の中をたくさん走れて幸せ。
・1人で走るのもいいがみんなで走るのもいいが1人で走るのもいい。
・昼飯も夕食も美味かった。
・股ずれ起こした。
・シャーミークリーム検討する。

生まれ故郷の緑の中を走って高野山到達! 夢がひとつ叶いました。
また機会があれば走りたいのう。

みなさんも是非自転車で高野山へ!
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聖地巡礼・ゆっくり編

2011-08-19 11:57:44 | 生きる道
聖地巡礼・ロードバイク編ではゆっくり巡ることの出来なかった高野山ですけど
その翌日、車で浜松に帰る途中に再度立ち寄ってみましたよ。ゆっくり編です。


宿坊ネットの素晴らしいHPでございます。


<あらすじ>
弘法大師の空海さんが中国で真言密教を学んだのが806年。
帰国の船に乗る時、密教法具である三鈷杵(さんこしょ)を日本に向け投げこう予言する。
「三鈷杵は真言密教を教えるのに最適な場所に落ちるであろう」
その10年後、三鈷杵を探して紀州の山中を歩きまわる空海の前に二匹の黒犬を従えた猟師が現れ
「私がその場所を知っています」
案内された空海はとある松の枝に引っかかっている三鈷杵を見つける。
その場所が高野山の中心となる今の壇上伽藍(だんじょうがらん)というエリア
以後彼はそこに密教道場を開創し高野山に籠る。

さて車を駐車場に止め、まずは壇上伽藍に行きましょう。


メインの道場である根本大塔(こんぼんだいとう)、でかい。
拝観で中に入る。大日如来(だいにちにょらい)仏の迫力に圧倒される。
しでかしてきた悪事を全て見抜かれている気がしたw


寺のご本尊を安置している金堂。ご本尊は秘仏で公開されていない。ここもでかい。

壇上伽藍360度撮影

この動画のスタート時点で赤い根本大塔が写っていて、
さらにその手前に赤い柵で囲まれている松が映っているでしょ?
それが三鈷杵が引っかかってたと言われる「三鈷の松」ですな。


次に総本山の「金剛峯寺」(こんごうぶじ)に向かいます。


金剛峯寺 横に長いお寺。


拝観しましょう。

撮影できませんが寺内にはたくさんの仏間があり素晴らしいふすま絵がありました。
そんな部屋で一泊してみたいもんですね。無理ですがー


奥の間でお茶をいただきながら説法を聞きました。

「頑張っている自分を褒めましょう。顔つきが柔和になり周りにも好影響を与えます。」
という内容でした。染み込みました。 


素敵な庭園も

金剛峯寺に行かれるなら是非拝観(500円)してみて下さいな。大満足です。落ち着きました。


では奥の院に参拝しましょう。スタート地点の「一の橋」です。

奥の院には空海が祀られていて、高野山で最も神聖な場所です。
延々2kmの石畳を進みます。

霊気がヒシヒシと


五輪塔と呼ばれる供養塔。下から地、水、火、風、空を石でかたどり順に積みあがってます。


納経所を過ぎていよいよ奥の院へ

撮影禁止なので借り物の画像でどうぞ

奥に見えるのが奥の院(灯篭堂)

この建物の裏に空海さんが入定した御廟があり、そこで線香を焚いてお祈りをしました。
ぼけーっと10分くらい座っておりました。

高野山ではいろいろと歩き回ったワケですが
食事の時間も休憩の時間も移動の時間も含めて
「自分が高野山に居る、高野山の空気で息をしている」ということだけで
身体がキレイになるような、何かに守られているような そんな気がしましたとさ。



奥の院への石畳に司馬遼太郎の文学碑があってその碑文を書いてみましょう。

「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。山上はふしぎなほどに平坦である。
そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、
ひさしを深くし、練塀をつらねている。

枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃な場所があり、
寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔むした中世以来の墓地があり、
もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時、勤仕されている。

その大道の出発点には、
唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。
大門のむこうは、天である。山なみがひくくたたなづき、四季四時の虚空がひどく大きい。

大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、
空に架けた幻影ではないかとさえ思えてくる。

まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。」
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聖地巡礼:ふるさと編

2011-08-18 14:55:50 | 生きる道
さて今回の帰郷では自転車が使えるということで、
子供の頃に遊んだ場所や学校などを一通り走ってきました。
高校卒業まで有田市箕島町に住んでましたけど、後年実家が隣町の宮原町に引っ越しまして
なかなか箕島の散策が出来なかったのでした。
当時私が遊んでたというか自転車で走り倒した道は、今見返すと車の入れない狭い道で
それを今回、時空を超えて再び自転車で走りましたよ。
そしてここでもレーパンジャージメットのロードバイクは浮きまくっていたのでした・・

私の記録帳的なものになります。つまんないと思います。すまん。


箕島小学校
元の実家から歩いて2分の母校です。少年野球を始めたのもこのグランドですな。
今見ると狭いですな。子供の頃は広いグランドだったけどね。


箕島小学校の体育館内部
耐震の工事中か何かで扉開いてたんで覗いちゃった。
2階の奥の壁にでかい銅板が掛ってるでしょ?
オレの代の卒業記念で銅版に釘で穴あけて各自自画像を描いたんだー
さすがに近づけなかったけどねー。 
そういえばどこかにタイムカプセルも埋めたような気がするけど・・連絡来ないな


東燃の団地
石田君が住んでた。彼は4年の時に引っ越して行った。
大事にしてたナナハンの超合金の模型をあげた。
石田君は元気だろうか? このブログ見てたらコメント書いてくれw


有田川(港地区)
小学3年の頃か、港の土井にそそのかされて小さい船でこのへんから対岸まで
有田川横断を決行した。当時は余裕で成功したがその後両親にばれてこっぴどく叱られた。
今から思えば危ない遊びであった。


地の島(初島地区)
大学3年の頃か、当時の仲間とここに泳ぎに行った。渡船で島に渡ったのだ。
水が澄んでてキレイだったなあ。あの頃はスリムだった・・・


港小学校グランド
中学の野球部を引退した後、仲間有志でここで遊びで野球の試合をした。
オレはライトオーバー柵越えのホームランを打った。中学生活唯一のホームランだった。


箕島神社
小学校時代、近くの駄菓子屋で20円のイカフライ(今でも売ってるよねこれ)を買って
駒犬のとこで座って食べた。ビー玉でも遊んだねえ。


箕島保育所跡地
元の実家から2分の距離。今は引っ越したらしい。黄色いフェンスは当時のままだ。
朝あずけられて、帰ってゆく母親に向かって「待ってー 待ってー 置いていかんといてー」
とフェンスにしがみつきながらずっと泣いていたそうだ。
覚えてないけどねー、いや すごくちょっとウロ覚えているような気がする・・


箕島中学校グランド
ロードバイク降りてグランドに立った。明らかに心拍上がって身体が熱くなったぞここw


打席に立ってみる


マウンドの投手に対してみる
初ヒットはレフト前のライナーのヒットだった。


センターからホームを望む。
この頃はどんなフライでも捕れていた。


最後の夏の大会で負けた日、学校に帰って来てみんなでスイカを食べた。ここで食べた。


岩野河のおばあちゃん家跡
この写真は高野山に行った時に撮影した。元々の家は道路を挟んだ大きな母屋だったが
いろいろあってこの小さな建物に住んでいた。アイスやパンを売っていたが
オレ達孫にはいつも無料で分けてくれていた。
悪いなあと思いながら勧められるままに飲み食いしていた。

小学6年の時だったか、思い立って自転車で元の実家からここまで来た。
直線距離で35kmくらいだったが、あれはひと夏の大冒険だった。
前のかごにラジカセを積んで高校野球を聞きながら走った。急な登りは押して歩いたなあ。




<番外編>
兄弟家族&両親で龍神温泉に行ったのだけど
その途中で寄った道の駅が、あの番組のあの班が立ち寄った場所だったぞ。


さあさあさあ


かき氷で対決だ


オレのカブにもなんか積ませろ


おおう 鹿の角あるじゃん こいつを積むかー
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