歴史の日記

日本史についていろいろと書かせていただきます。

京都の旅2007 狩野派の絵画鑑賞

2007-10-20 22:39:24 | 日本史-博物館/美術館めぐり
今日は京都に出かけてきました。

目的は狩野永徳展です。

西のほうに史跡めぐりには良く行きますが、京都に行ったのは修学旅行以来もう15年以上行ってませんでした。

狩野派の絵はどれもすばらしく迫力あってとても興味深いのですが、今回京都まで行ってみようと思ったのは、信長や秀吉など当時活躍した武将たちが、どんな物を好んだのか、良く見てみたい。また、歴史上の人物が使用していた、襖や屏風などこの目で見れることはとてもうれしいことだと思ったからです。

絵はどれも豪華絢爛、とても迫力あり、威圧感がありました。
やはり一般的に言われているように天下人が自分の権力を示すために、迫力がある絵が飾られたのだなあと感じました。

それとやはり気になるのは花がどのように描かれているかが気になります。細かいところにも小さな花がいろいろと描かれていました。それとやはり牡丹の花が目立っていました。豪華ですね。見ているとついつい育ててみたくなってしまいます・・・


さて、展示はいつもそうなんですがやはり特別展非常に込んでいました。
特に洛中洛外図屏風はみんなのお目当て見るのが大変でしたが、やはり見事でした。

彦根城見学

2007-08-13 21:44:07 | 日本史-史跡めぐり
夏休みを利用して彦根城に行ってきました。

彦根城は関が原の戦の後井伊氏により琵琶湖の湖畔に立てられた城です。
まあそういうことで戦国の城でもないし比較的平地に建てられた城なのかなあと思っていました。

行ってみるとまあさほど高くはないですが結構急峻な山の上に立てられていて結構規模も思っていたより大きいなあと感じました。
その代わりなんか天守閣は小さいと感じました。

あと、玄宮園は見事な庭園でした。


その後は佐和山城を目指して歩いていきましたが、地図も持たず山へ向かって歩いていたため、途中でよくわからなくなってしまいました・・・

帰ってきて調べるとどうもその道でよかったらしいです・・・

ってな感じでこの夏の史跡めぐり第一弾終了です。
(第二弾は?)

2007年夏の旅は?1

2007-07-21 08:36:27 | 日本史-史跡めぐり
すみません、やはり春~夏は花関係で出かけることが多くてついつい更新が途絶えてしまいます。

そろそろ夏休みなのでどこかの史跡を見に出かけたいなあと思っているところです。

関東や東北にも行きたい所はいろいろとありますがどうしてもまずは
愛知~滋賀あたりで考えてしまいます。

今年は彦根城が築城400年祭見たいなのでまた琵琶湖周辺の城跡かなあと思っています。



写真は新幹線から見た掛川城です。
何度も通っているのに気づきませんでした。
ことは花菖蒲を見ながら見学に行こうかと思っていたのですが
時間がありませんでした・・・


万年青の展示会2007.3.3

2007-03-04 07:58:23 | その他
園芸の歴史に触れながら伝統園芸植物というものを実際自分で育てていますが、万年青もそのひとつです。
昨日は上野で万年青の展示会があったので見学にいってきました。

さすがにすばらしい作品ばかりです。
自分で育てているの品種も同じ品種かなあと思うぐらい違います。
まあ逆に上手く育てればそれだけ立派なものになるということだと思ってじっくり育てなくてはと思います。


万年青栽培の歴史や関連資料については、現在も万年青栽培が盛んであるということもあるのか比較的手に入りやすいと思います。
どのような感じで行われたか、それは今後勉強していきたいと思いますが、江戸時代から、万年青の愛好家が自分の栽培品を持ち合って展示会のようなものがあったようです。
古い時代の人が植物を見て何を感じたか非常に興味がありますね。

江戸時代のお酒でほろ酔い気分

2007-02-24 22:43:18 | 日本史-その他
江戸時代のお酒といっても当然ですが復元したものです。

あるデパートで各地の名品が集められた催しが行われていてそこに地酒コーナがありました。

そこでまず目に入ったのがこれでした。
民家の蔵から江戸時代約250年前のお酒が発見されそれの復元を目指して作られたものということです。

お味はというと試飲させていただいたときはおいしいなあと思ったのですが、家で飲むとう~ん普通の酒の方が良いかなあと・・・
でもなんとなく米の味がするようで甘みがあるお酒でした。

まあこういうことをきっかけに江戸時代の食文化なんてことを調べてみるのも面白いかなあと思いました。

写真は記事とは関係ありませんが、今日出かけた先で撮影した春蘭です。

太田道灌について1

2007-02-10 22:07:24 | 日本史-人物関係
せっかく太田道灌の話題を書いたのでもう少し詳しく・・・

大田道灌は室町時代後期に関東で活躍した武将で関東管領を務める家柄である扇谷上杉氏の家臣です。

室町時代の関東は鎌倉公方が納めていましたが京の将軍家と争いが絶えずこのため関東はずっと戦乱状態でした。

このような状況の中大田道灌は主家扇谷上杉氏のために勢力拡大を図ります。
江戸城はこの戦いの中、秩父平氏の一族江戸氏を追って築城したもので、当時鎌倉を離れ古河に本拠を構えていた古河公方と対立したり武蔵各地に勢力を伸ばしました。

そういえば箱根の坂という北条早雲のことを描いた小説に大田道灌と北条早雲のやり取りが出ていますね。


う~んやはり最近このあたりに関する本を読んでないせいかかなり怪しいです。
やはりこれを機会にまたいろいろと調べてみたいと思います。

大田道灌と江戸城

2007-02-04 18:35:47 | 日本史-博物館/美術館めぐり
申し訳ございません。

お花ばかりでしばらく歴史関係のお出かけがなかったものですから・・・
そういえば本は買っているが読んでもいない・・・
一応通勤電車で英語の勉強をする努力をしているので???

ということで久々に歴史関係のお出かけということで江戸城展に行ってきました。

江戸城の図面や模型(松本城の模型と比べてありましたがデカイ!)がいろいろと展示してありました。
本丸跡(皇居東御苑)には何度か行っているので想像しながらいろいろと見て回りました。

あと、展示の数は少なかったのですが、徳川家康以前の江戸城やその周辺に関する展示があったのも良かったです。
太田道灌の江戸築城に関する話もありました。

この時代関東は騒乱の時代で話も結構複雑ですが、身近な地域なので、たまに本を読んだりしていました。これをきっかけにまた興味がわいてきました。

江戸城址へ

2006-07-29 22:16:43 | 日本史-史跡めぐり
今日は朝顔の展示会のあとちょうどよいので、江戸城址へ行ってきました。
目的は、城跡見学というよりかそこにある三の丸尚蔵館で開かれている花鳥画の展示会です。

江戸時代の画家伊藤若冲の花鳥画が中心ですが、現在の期間中はどうも鳥のが多く私は、やはり花の絵のほうが好きで、これも江戸時代の画家酒井抱一の花鳥十二ヶ月図がよかったです。ちょうど、今日見に行った朝顔も描かれておりました。やはり江戸時代から夏を代表する花なんですね。

その他、博物学関係の本も展示されていました。昔の本でなかなか読めませんが詳しく書いてあるというように感じました。

絵の鑑賞の後は二の丸雑木林と二の丸庭園を見てきました。
二の丸雑木林では、ヤマユリが咲いているということで見てきました。

数多く咲いていたわけではありませんが立派ですね。
ヤマユリ育ててみたいと思っているんですが・・・
難しいらしいので。
それから今の時期はあまり咲いていませんがこんな花がリコリスの仲間かな?


二の丸庭園は菖蒲園がありますが当然もう咲いてません。ここは2台将軍徳川秀忠が作らせたのが最初らしいのですが今の庭園は江戸時代の資料を元に再現したもののようです。(詳しくは説明がありました。)

最後に城跡らしい写真を二の丸雑木林横から本丸方面へ


鎌倉権五郎景政

2006-07-22 08:11:47 | 日本史-人物関係
う~ネタが無く時代がさかのぼってしまいました・・・
今日は平安時代それも源義家の活躍した時代の話です。

たまに、鎌倉へ花の写真など撮りに行くのですが良く行くコースとして
極楽寺駅→成就院→古いお菓子や→御霊神社→長谷寺→どこか
ってなコースで歩きます。
今日はこの御霊神社に関係が深い鎌倉権五郎景政についてです。

鎌倉権五郎景政の一族はこの付近一帯を支配する平氏系のの武将で後三年の役に源義家に従って参戦した武将です。記録によるとそこでの奮戦はすばらしく目に矢を射抜かれても奮戦し、帰陣後も矢を抜こうと顔に足をかけた同僚の武将に、顔に足をかけられるなんて武士の恥だなどと言ったと伝わっています。

尚、この鎌倉権五郎景政からは、頼朝の時代に活躍した武将が出ます。

写真は御霊神社から見る江ノ電です。

あと御霊神社近くの古いお菓子屋は権五郎を冠した和菓子が売られており結構おいしいいです。甘党の方はぜひどうぞ。

毛利季光

2006-07-17 08:48:04 | 日本史-人物関係
源頼朝の家臣大江広元の四男で、毛利元就の先祖になります。
大江広元は文官系の家臣ですが季光は鎌倉武士です。
大江広元の領地のひとつ相模国毛利荘を与えられ毛利を名乗りました。
毛利荘は今の厚木市で今でも「毛利」の地名はありますが最近つけられた地名のようで実際当時の毛利荘の位置や季光の屋敷などは確実にはわかっていないようです。

この季光は、三浦氏と縁戚を組、執権北条時頼に娘を嫁がせるなど有力武将でしたが、北条氏と三浦氏の争い宝治合戦に三浦方について敗れました。

生き残っ子供が安芸国の所領を維持し戦国時代の毛利氏につながりました。