消えた水平線・・訓練5日目

2005年07月17日 | 軽飛行機

今日はいつもと若干違う内容のいわゆるNAV FLT。ジャンボ機も離着着する大型空港へ先輩パイロットの操縦で飛んで一旦着陸し、復路となる帰りのコースを、私が訓練を兼ねて受け持つパターンとなった。

3000m級滑走路はさすがに広々としていて実に気持ちがいい。 風はほとんど無風だ。今日は離陸滑走中の左偏向に備えて、フルパワーにすると同時に右ラダーを意識して踏み込んでみた。大きく蛇行はしなかったがセンターラインをまたもや外してしまった。操縦桿をじわっと引き、テイクオフ。ところが・・

上昇姿勢に移った後、見えるはずの水平線がどこにもない・・・

 

ピッチ姿勢は約10度、昇降計により毎分400フィート/分あたりの上昇率で飛んでいると認識してはいたが、肝心要の機体の姿勢がつかめない。

教官の指摘でハッとして水平儀を見ると、なんと機体が右に10度以上も傾いている。考えてみれば傾かずに上昇していれば500フィート/分の上昇率が得られていたはずだ。

いつも教官に中の計器と外の景色を交互に見よ、中と外を見よ、と何度も言われているにもかかわらず、外の景色を追い求め続け、一点集中になっていた。

しかしながら飛行時間やっと3時間を越えたばかりの自分に、いきなりの計器飛行はハードルが高過ぎた。なんとか水平儀を見ながらバンクを戻したものの、気持ちはあせり、状況を見失いかけていた。もしかして、これが

空間識失調(バーティゴ)なのか・・・

自分ではバンクせずに上昇しているつもりが、水平線を探しているうちにいつのまにか傾いていたのだ。

自分が持っている平衡感覚が、いかにあてにならないかという事を実感した。 本当の空間識失調とは意味は違うのかもしれないが、今こうして日記を書きながら冷静になって考えてみれば、危険な領域に入りかけていたと言える。

いきなりこういう状況になろうとは思ってもみなかった。離陸前にATISで得た情報では視程10km。天気そのものはいいのに、実際上空へ上がってみると海上はガスに覆われて前はなにも見えない。 この状況は初心者にとってはかなりキツいものだった。汗が目に入ってなおさら良く見えない。

真夏の暑さで頭がボーっとしていたのも手伝って心の準備を怠っていた。このへんの甘さがまさに素人の浅はかさと言えるだろう。 なんでもいい、なにか見えてさえいれば目標が取れるのに・・・海上で視程が悪いと、ほんとに前はなにも見えないということを身を持って知る事になった。

パイロットが一度は必ず経験するという、バーティゴの恐怖をこの段階で味わう事になった。 手がかりとなる外の景色、情報が得られないとなったら、どう対処すればよいのだろうか? 

答えは計器を信じる、計器を見て飛ぶ、という事以外にない。VFR(有視界飛行)の条件を満たしていてもこういうことが起き得るということを知ったし、むしろ貴重な経験をすることができたと思う。

やれやれ、飛行機に体が慣れてきたのは実感するが、今日のFLTは暑さも加わって、わずか25分のFLTだったにもかかわらず、クタクタに疲れた。 『好きこそものの上手なれ』という言葉があるが、自分の場合は『下手こそものの上手なれ』という言葉が適当だと思う。下手なりにうまくなりたい!との一心で操縦訓練に取り組めば、今より少しは技量も上がるに違いない、という自分なりの哲学であり、勝手な解釈である。

少々の悪状況でも、仕事として飛ばなければならないプロパイロットの現実を私は知っている。冬場、北西風が強烈で気流が乱れまくっている時の飛行にも同乗経験がある自分には、気象が悪い時の操縦が、いかに大変かということを知っている。

そういう厳しさを知っているだけに、いつも天候の良い時ばかり飛ばせてもらうのは、申し訳ない気がしないでもないが、この際余計な事は考えずに頼りがいのある教官と先輩パイロットに甘えておくことにしよう。 こんなヒヨコ訓練生に付き合ってくれる

先輩パイロットと教官に敬礼!!

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叶った夢

2005年07月17日 | 航空祭

1996年、初めて見に行った航空自衛隊築城基地航空祭で見たF-15イーグルの迫力に圧倒された。あんな飛び方をする事ができるという事実には、正直驚いた。

特にイーグルの上昇能力は凄まじく、アフターバーナーを焚きながら、垂直上昇していくさまを見て度肝を抜かれた。 飛行機好きを自称する自分にしては、それまでなぜか自衛隊が行う航空祭のことをよく知らなかった。プロペラのついてない飛行機にはあまり興味がなかったせいもある。

航空祭では、普段見られない戦闘機のコックピットや派手な機動飛行を見ることができるのである。しかも何十億もするような航空機と、その飛びっぷりをたっぷり見れるにもかかわらず、お金は一円もいらない。

澄み切った秋の青空のもと、出かけていくだけでも気持ちがいい。かくして毎年秋に行われる航空祭見物は私の恒例行事の一つとなった。

一方で、私はセスナなどがプロペラを一生懸命回して飛ぶ、あのひたむきさというか、あの感じがなんとも言えず好きだ。クンクンクン、スパッ、スパスパスパ・・ブロロロォー、ブォーというエンジン始動時のあの音もたまらなく好きだ。鉄道ファンがSLにひかれるのと似たところがあるのかもしれない。

私がセスナに初めて乗ったのは30代になってからである。多くの人はビジネスや旅行などで旅客機に乗る機会はあっても、特に希望しない限り軽飛行機にかかわる機会はあまりないと思う。

初めて乗った時は整備士がランナップを行うところから見学させてもらった。無線のスイッチが入るとATISが聞こえてきた、初めて聞く英語による航空無線。出発前のパイロットとTOWERとのやりとり。意味はわからずとも胸が弾んだ。

航空無線では数字の9をナインと言わずに、ナイナーと発声する。これがまた私みたいな人間にとってはたまらなくカッコよく聞こえてしかたがない。

実は私がセスナに初めて乗ったのは遊覧飛行ではなく、学校で人文字を作って上空から撮影をする航空写真撮影の時だった。けなげに人文字を作って待っている子供達を上空から見た時、飛行機のコックピットに同乗できた嬉しさとが一緒になり、感激で目が潤んだ

こぼれそうになる涙をぬぐいながら、『俺は・・俺は、ほんとに飛行機が好きだったんだ・・』とその時あらためて自分自身、気づくことになった。

セスナという飛行機の操縦席に乗って飛んだ事によって、あらためて自分の存在なり、自分が心の底から望んでいたものにあらためて気づいたのだった。そしていつかこの飛行機の

 機長席に乗って操縦するんだ!

そう誓った。その夢はなんと、それから20年近くも経ってから叶う事になった。人生とはわからないものである。

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