昭和46年7月30日午後2時過ぎ、岩手県・雫石町の上空で全日空ボーイング727と自衛隊F86F戦闘機が接触、戦闘機のパイロットは緊急脱出して生還したが全日空機は空中分解、乗員乗客167人が犠牲になった事故から30日で41年。日航ジャンボ機墜落事故が起こるまでは世界最大の事故だった。当時、盛岡支局勤務の記者だったが、県庁で仕事中、遠くで腹の底に響くようなズシンという衝撃音を聞き、不吉な予感がしたことが思い起される。
一報は「宮城県・松島湾に墜落」、間もなく、雫石と判明。支局員数人で現場に急行、猛暑の中、山中に遺体が散らばる悲惨な状況に現実でない仮想の世界をさまよっているように感じた。年々、事故を知る世代も少なくなっていくが、最近、空の安全への関心が薄れていないかすこし気がかり。