飯島志郎の昭和・平成覚え描き

さつまいも育ちのひとり言

全日空機・自衛隊戦闘機衝突事故

2012-07-20 16:39:42 | 日記・エッセイ・コラム

昭和46年7月30日午後2時過ぎ、岩手県・雫石町の上空で全日空ボーイング727と自衛隊F86F戦闘機が接触、戦闘機のパイロットは緊急脱出して生還したが全日空機は空中分解、乗員乗客167人が犠牲になった事故から30日で41年。日航ジャンボ機墜落事故が起こるまでは世界最大の事故だった。当時、盛岡支局勤務の記者だったが、県庁で仕事中、遠くで腹の底に響くようなズシンという衝撃音を聞き、不吉な予感がしたことが思い起される。

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一報は「宮城県・松島湾に墜落」、間もなく、雫石と判明。支局員数人で現場に急行、猛暑の中、山中に遺体が散らばる悲惨な状況に現実でない仮想の世界をさまよっているように感じた。年々、事故を知る世代も少なくなっていくが、最近、空の安全への関心が薄れていないかすこし気がかり。


国民の生活が第一・小沢一郎代表

2012-07-15 10:19:38 | 日記・エッセイ・コラム

小沢氏が初出馬した衆院選の県政担当記者だった昭和44年12月の開票日、小沢氏の地元の水沢のK記者と2人で通信部のこたつでTV速報を見ていたところ、小沢氏初当選の仰天ニュース。K記者の票読みでは全国最年少、大学院生の小沢氏は当選圏外。当選なら全国版扱いのニュースで普通は記者が事務所に待機、万歳写真をすぐに本社に電送(デジカメのない時代)しなければならないので大あわて。事務所にかけつけもう一度万歳をお願い、なんとか全国版に間に合わせた。小沢氏の父は建設相も務めた代議士で二世議員のはしりで、その強さを示した第一号。そんなことがあって、小沢氏に親しみを感じていたのだが、今回の結党には「第一」と持ち上げられてもとてもついていけない。

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