ほばーりんぐ・とと

ただの着物好きとんぼ、ウンチク・ズッコケ・着付けにコーデ、
あちこち飛んで勝手な思いを綴っています。

昭和の花が…

2012-06-28 08:23:00 | つれづれ

 

昨夜遅く、NHKで「ザ・ピーナッツの伊藤エミさん死去」のニュースが流れました。

まぁ、昭和を彩った芸能人の方の訃報は、今年に入ってからでもいろいろありますが、

昨夜はさすがに、えっ?!と、手が止まりました。

なんだか、人生の思い出アルバムが、手からズリッと落ちた感じです。

 

私が、小学生になったころに、ボチボチ「テレビ」が家庭の中に入り始め、

我が家にテレビが来たのは、たぶん1960年ころ、10歳くらいだったと思います。

ちょっと調べましたら、ピーナッツの看板番組、かの有名な「シャボン玉ホリデー」は、

1961年6月から始まったのだそうです。

元々「ピーナッツ・ホリデー」が原題だったものを、スポンサーの牛乳石鹸がゴネて、

スポンサーのイメージの「シャボン玉」になったというエピソードは有名ですが、

「牛乳ホリデー」でなくてよかったです。

オープニングコントがいつも「モォォォ」という牛の鳴き声のオチだったのも懐かしいですね。

「牛乳石鹸提供・シャボン玉ホリデー」「○○○○だよ、ピーナッツ!」

♪ シャボン玉ルンルルルルルル…シャボン玉ランララララララ

  ロマンティックな夢ね 丸いステキな夢ね リズムの乗せて運んでくるのね…

You Tube で探したら、画像がいくつかありました。

決して美人でもなかったピーナッツですが、花がありましたね。

歌もダンスもじょうずでした。コントも楽しくて、毎週楽しみに見ていました。

 

11年続いた長寿番組でしたが、私はそのころもうハタチすぎ…。

言われてみれば、最後は知りません。

ただ、あの番組のおかげで、それまで音楽といえば歌謡曲、演歌で、

母が口ずさむ「港町13番地」だの、「わーらにまみれてよぉ」なんて歌ばかりだったのが、

洋楽、というものにものすごく近づけてくれた…私にとっては、そういう世界でした。

6年生の時の友人が、当時ナマイキなことに「プレスリーファン」で、初めて「ハウンドドッグ」を聞いたのでしたが、

シャボン玉ホリデーでは、よく外国の曲に日本語の歌詞をつけて歌っていました。

今聞けば「まんまやないか、ダサッ」ってとこですが、当時は一生懸命覚えて歌ったものです。

ピーナッツの歌は今でも口ずさんでいますが、当時は「恋のフーガ」とか「恋のバカンス」「ウナセラディ東京」なんて、

友達とケンメイにハモって歌っていましたっけ。

 

あの番組にゲスト出演していた人たちも、のちのちスターになって行きましたね。

悲しい最後を迎えてしまわれた坂本九さんも出ていました。「悲しき60歳」、面白い歌でした。

面白いといえば、一緒くらいに出ていた「森山加代子さん」の「じんじろげ」は、

今に至るも忘れられない「迷?曲」、あれを覚えましたねぇ。

今でもでてきますよ「ジンジロゲヤジンジロゲ ドレドンガラガッタ ホーレツラッパノツーレツ

マージョリンマージンガラチョーイチョイ ヒッカリコマタキワーイワイ」…。

このまえに「ちんちくりんのつんつるてん まっかっかのおさんどん」という日本語の、

これまた意味不明の歌詞があります。はっきりわかるのはこのあとの「お宮に願かけた 内緒にしとこ」だけ。

カタカナ部分の元歌は、インドの「雨期礼賛」の歌だと聞いたことがあります。

現地語を耳できいた日本人が、おもしろがってそのままカタカナで覚えた…とか。

 

子供のころに覚えたことというのは、忘れないものですね。

シャボン玉ホリデーでの、ピーナッツの歌とクレージーキャッツとのかけあいコントは、

きっと私の「音楽」とか「笑い」という部分での感覚を、磨いてくれたと思います。

いまだに「おとっつぁん おかゆができたわよ」は、やりますからねぇ。

 

その後中学でビートルズ、高校でタイガース、ハタチすぎは吉田拓郎(ファンということでなく傾向です)と、

音楽の好みもいろいろかわって、私にとってピーナッツは過去の人…になってしまいました。

終了した72年といえば、私は成人式を過ぎていましたが、こちらの「全放送の内容」を見ても、

ゲストや内容に、全く覚えがありません。

ギリギリ「塚田茂さん」やGSのグループ、奥村チヨさんあたりまで、かすかな記憶が…。

 

ザ・ピーナッツは1975年引退ですが、実質16年の活動、引退したときは30代半ば。

亡くなったエミさんは、ジュリーと結婚しましたが、離婚されました。

お子さんいましたよねぇ、二人の子なら歌うまいと思うんですが…。

妹さんの方は結婚したような話もききましたが、このお二人は、見事に表舞台から姿を消しました。

私は引退したことすら、記憶にありません。ひどいもんです。

年齢的に自分のことしか考えられない、恋愛だとか仕事だとかファッションだとか…

そんな時期だったのですね。

40過ぎてからでしょうか、なつかしの番組、だとか、あの人は今…なんて番組が

放送されるようになって「あぁテレビも昔を懐かしむものになってきているのだなぁ」と思ったころ、

「シャボン玉ホリデー」は、私にとってのお宝ナンバーワンだわ…と思いました。

時代劇もウルトラマンも好きだったけど、小さなまるっこいブラウン管の、モノクロ画面の中で、

踊りながら歌っていたザ・ピーナッツは、美人ではないけれどステキな女性たちだったなぁと。

 

一度も表に出ていませんから、71歳になった彼女の面差しの想像がつきません。

いくら考えても、あの丸っこいムチッとしたカオしかわからない…。

それでいいのかもしれません。

私も既に60をすぎて、最近の歌手もアイドルもさーっぱりわかりません。

心惹かれる歌もなく、AKBナンタラは、どの子を見ても同じに見える…。

それでも思い出せる「うまい歌手」「いい歌」があることは、幸せなのだと思います。

 

昭和の花がまたひとつ落ちて、切ない思いです。今夜のお風呂での歌は「恋のバカンス」かな。

エミさん、ステキな青春をありがとう。「合掌」。


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12 コメント

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Unknown (陽花)
2012-06-28 20:40:28
今でも歌声とあのふわふわドレスが
目に浮かびます。
まったく姿を見かけなくなりましたが
今どきの71歳ってまだまだお若いのに
残念ですね。
Unknown (惠)
2012-06-29 00:23:29
つい先日 懐かしのテレビ番組の話をしたばかり
坂本九の悲しき60歳も森山佳加代子もじんじろげも
そして ザ・ピーナツの歌も しっかり思い出す事が出来ます。

71歳なんて・・・もうすぐだわ
Unknown (heboi)
2012-06-29 05:06:42
はじめまして。
>なんだか、人生の思い出アルバムが、手からズリッと落ちた感じです。

同感です。

単に、伊藤エミさんが亡くなられただけでなく、日本の文化遺産も同時に喪失したように思います。

ご冥福をお祈りいたします。







Unknown (古布遊び)
2012-06-29 07:51:09
時間はアッと言う間ですね~
私の中ではあの番組の中の印象しか浮かびません。71歳になっていらしたんですね。。。
自分の事を棚に上げてなんだかびっくりです。
懐かしさいっぱいになりました。

ご冥福をお祈りいたします~
こんにちは (sansyu)
2012-06-29 14:47:15
とんぼさんと同年代の私は やはり yahooのニュースで知ったときは、思わず同じ思いでした。 うちの母も 同じようなうたを口ずさんでいましたので、思わず 噴出してしまいましたど。。。
今日のブログを読んで、懐かしい青春時代の一こまを振り返ることができました。
そういえば、20代で逝った私の姉も生きていれば 伊藤エミさんと同じ歳でした。
きょうは 先ほどのニュースで 地井武男さんの訃報が報じられてましたね。御歳70歳、元気でいれば まだまだ ご活躍できるお歳ですのに・・・ ご冥福をお祈りいたします。
Unknown (とんぼ)
2012-06-29 18:43:19
陽花様

当時はモノクロで。色はわからなかったけれど、
お姫様みたいなドレス、憧れました。

71歳なんて、バリバリスポーツしてる人もいるというのに、
ホントに残念ですね。
Unknown (とんぼ)
2012-06-29 18:44:30
惠様

あのころの歌は、しっかり覚えてますねぇ。
たまにフロソージで歌ってます。

そう、70なんてすぐ近く…なんですよね。
元気でいたいものです。
Unknown (とんぼ)
2012-06-29 18:46:46
heboi様

ほんとうに、ごそっとなくなった…みたいな、
喪失感があります。

ブログ拝見しました。
私は50年生まれですので、ちょっと古いことも
知っておりますが、洋物…の進出は、オドロキでした。
ホイホイミュージックスクール、勝ち抜きエレキ合戦、
楽しい思い出です。
Unknown (とんぼ)
2012-06-29 18:48:32
古布遊び様

ほんとに「パァーッと思いだせる」…ですね。
自分の老齢化も、改めて思うわけですが、
全く表に出ていらっしゃいませんでしたから、
私の中でもいつまでも、あのふたり…ですね。
Unknown (とんぼ)
2012-06-29 18:51:34
sansyu様

なんだか、いい時代に若い時間をすごせた」という気がします。
私も、今でも母のうたっていた歌を覚えていて
港町13番地も、ラバウル小唄も歌いますが、
やっぱり「自分の歌」となると、
あの時代の歌ですねぇ。
ほんとにまだまだこれからなのに…。
二日で3人ものかたが逝去されて、みんなまだまだお若くて…。
残念でなりません。

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