17音の世界をかけめぐる

日々の証を綴ります。季節、人情、知恵など、みなの思いが沢山こめられています。

にれ東京句会(2008年6月) 

2008-06-18 21:54:18 | 17音の世界をかけめぐる

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迪子の俳句鑑賞(2008年6月) 

2008-06-18 17:26:24 | 17音の世界をかけめぐる
鑑賞   島原「蕪村忌」大句会(第三回)

句会の一句      眞鍋呉夫
  水玉の影の水玉冬泉    正木ゆう子

あれは確か、沼津の大中寺で行われた駿河梅花文学賞の選考会の帰りのことであったろう。私は正木さんに誘われて富士宮の浅間神社に詣で、暫く境内の「湧玉池」の池畔を逍遥したことがある。
 富士山の湧水ということで知られたこの池の水源からは、まさに冬麗と呼ぶにふさわしい日ざしを反射して、めまぐるしくその周辺を煌めかせながら、夥しい水玉が噴出していた。
 それでも、根っからのなまけものである私は、その辺をぶらぶらしているだけであったが、正木さんはそうではなかった。文字通り、我を忘れたいという感じで両手を水にひたしたり、藻の間を覗き込んだりしながら、飛び石伝いに池のまわりを一周して、漸く私の傍に帰ってきた。その姿は、観察というよりは、近世俳諧における所謂「生きうつし」ーつまり、命と命の一体化という意味の言葉を、私に思いださせた。

句会の一句     尾池和生
  水玉の影の水玉冬泉    正木ゆう子 
 地球は水の惑星とよく言われるが、宇宙にはたいへん多く水があって、水はそれほどめずらしいものではない。彗星も水の塊であるし、暗黒星雲にも水の粒がいっぱいで、天の川にも水が多い。地球全体も太陽系に存在する水玉と言えるかもしれない。
 細かく見ると水は宇宙の中でさまざまの形で存在する。宇宙船の中では水は球になって浮ぶ。風のない日に大地に落ちてくる雨粒はあん餅の形になる。
 活断層帯の泉は静かだが、間隙が多い火山体では麓の湧水の水圧が高い。激しく湧き出る豊かな湧水から飛び離れた水玉が、球に近い形になって光る。宇宙全体の影にも水玉がある。
 俳人は自然をそこまで見つめるのだと感激した蕪村忌大句会のなかなか経験できない貴重な角屋の空間の余韻が、年が明けてもまだ続いている。
                      (俳句研究二〇〇八・春号より)

   「折々のうた」 より    大岡 信

  老残のこと伝はらず業平忌     能村登四郎

 「咀嚼音」(昭二九)所収。明治四十四年生まれの現代俳人。業平忌は元慶四(八八〇)年没の在原業平の忌で旧暦五月二十八日。「伊勢物語」の主人公と目され、劇的な艶聞でしられる情熱的の歌人業平は、五十五歳で没した。この美男の老残の日々について、さだかなことが何ひとつ伝わらない点に、作者は業平という詩人の真骨頂を感じたのだ。ふしぎにも美女小野小町には衰亡伝説が多いのだが。

  せつせつと眼まで濡らして髪洗ふ   野沢節子

 「鳳蝶」昭(四五)所収。少女期に脊椎カリエスを病み、二十四年間闘病生活を送った。病床で俳句の魅力にうたれ、俳人への道を一筋に歩んだという。「冬の日や臥して見あぐる琴の丈」という句もある。掲出句は病癒えたのちの作だが、眼まで濡らして一心に髪を洗う動作の中で、作者は自分の内部の女人をも「せつせつと」洗っている。官能のうずきの中に女の夏のひそかな愉楽もある。

  蟇歩く到りつく辺のある如く      中村汀女

  「汀女句集」(昭一九)所収。ヒキガエルは春先冬眠から覚め、生殖・産卵の後また地中にもぐる。そして初夏のころはい出して蚊などを捕って食う。図体大きく、暗褐色の背中には大きないぼがあっていかにも醜い感じだが、生殖忌の鳴き声の美声ぶりには驚かされる。
 夏の夕ぐれ時のっそり歩くおおきな塊も見ものだが、この句はそんなガマ君の歩行を詠んで、あかしくもあわれな詩とした。
     

迪子の俳句鑑賞(2008年5月) 

2008-05-08 06:42:54 | 17音の世界をかけめぐる
鑑賞

 
春惜しむすなはち命惜しむなり       石塚友二
 いのちとてわがものならず冷奴       山崎冬華
 「命」と直截に詠っている句を、手近の歳時記に拾ってみると、その数の多さに驚く。
掲句、春を惜しむように、わがものでないと命を詠う。戦時下のような雰囲気も読みとれるが、二句とも命を客観視する冷静な思いがあり、季語のはたらきのよろしさに、ほっと快くうべなえる命の貴さなのである。
 栗をむくいまが晩年かもしれぬ       細川加賀
 朴落葉大きを拾ひ晩年へ          鍵和田秞子
 定年がそこに来てをり昼寝覚        福田蓼汀
栗を剥く細かな根気のいる手先の作業にも似た、やるせない晩年への思い。朴落葉のあらためて見なおす大きさに、はるけき晩年への思いを馳せる。また、昼寝覚の茫洋とした心に、現実の定年がかくも淋しい。晩年・停年という言葉に見えてくる静かな命の肯定であろう。
  砂糖水まぜればけぶる月日かな      岡本 眸
  青春のいつかな過ぎて氷水         上田五千石
  嫁がねば長き青春青蜜柑          大橋敦子
人生とは生きること。人の一生は、掲句のような過ぎ去った歳月の後にのこる、うっとりとしたやさしさなのであろう。    「命あかり」を いさ 桜子 

 思い浮ぶことより風土・十二ヶ月のうち
 「西行忌」      飯田龍太
 ー前略ー ところで、春の忌のうち、人気のトップといえば、なんといっても「西行忌」(旧二月十六日)だろう。古いところではほぼ一茶と同期の
  山住の友尋ねけり西行忌           成美
 があるが、むしろ秀作は現代俳句に多く見かけるようだ。

  人々の座におく笠や西行忌          蛇笏
  ひとりゐて軒端の雨や西行忌         青邨
  ほしいまま旅したまひき西行忌        波郷
  はるかより鴎の女ごゑ西行忌         澄雄
  口で紐解けば日暮や西行忌          湘子
 その他何句か思い浮ぶが、異色の作としては、
  花あれば西行の日とおもふべし        源義
 だろう。作者晩年の秀作であり、それが命終を観じての情念とおもえば、詩情の華やぎの裏に側々とした感慨をおぼえる。この句、忌の文字はないが、例えば    
  西行の死出路を旅のはじめ哉         基角
と同じ手法で、矢張り西行忌に入るべき内容だろう。
 波郷には別に、
  とまり木に隠れごごろや西行忌
という巧みな作があるが、おおらかな諷詠として、私は、
  「ほしいまま旅したまひき西行忌」の方により深い共感をおぼえる。
 旧二月十六日といえば、まさに花ひらく陽春の季。事実の詮索ほともかく、世を隔てた故人に対する胸中存問の詩として、まこと味わい深いものがある。

  「折々のうた」より   大岡 信

   ぜんまいののの字ばかりの寂光土     川端茅舎  (1897~1941)
 句集「華厳」(昭十六)所収。人っこひとりいない、やや湿りけをおびた森閑たる原野に、「の」の字に巻いた首をちょこんと立てたぜんまいが立ち並ぶ。その光景が、作者の心眼に、光明の遍照する寂光浄土を瞬時に開いてみせたのである。茅舎は岸田劉生に学んで画家を志したこともあったが、劉生没後絵を離れた。
 脊髄カリエスを病む。病苦の中で仏典に親しみ、句の中に清浄境を確立した。

   長持へ春ぞくれ行く更衣         伊原西鶴  (1641~1692)

  「落花集」所収。「更衣」は陰暦四月一日綿入れから袷に着替えた行事(秋は十月一日)。今も五月一日に更衣をする人があるが、要は夏の装いにかえること。
  日は厳密にはいわない。長持を明けて春に着た衣装を一枚一枚納めてゆく。お花見の楽しい思い出も花見衣装と一緒に箱に収まってゆく。春という季節が、こうして長持の中へと暮れてゆくのだ。機知の詩だが、おのずと優美を保っている。

にれ東京句会(2008年5月) 

2008-05-06 00:49:35 | 17音の世界をかけめぐる


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迪子の俳句鑑賞(2008年4月) 

2008-04-16 14:44:32 | 17音の世界をかけめぐる
鑑賞
  俳句とわたし       その二
短さの豊かさ   三枝 昂文  (歌人)

 思い出すシーンがある。数年前偶然目にした「NHK俳壇」である。選者は著名な女流俳人、ゲストは俳句も楽しむ芸能人。ところがある投句についての選者の詠みが、どう考えてもおかしい。芸能人が妥当な読みでフォローしても気がつかないまま。いくら忙しいといっても、俳句や短歌には多義性が避けられないといっても、一歩立ち止まれば避けられる読み。この人は自分の読みを相対化する契機を持っていないのではないか。取り巻きに囲まれて自分が読めばそれで世界は決まり、と錯覚しているのではないか。そんなことを感じた。まあこのときだけのミスかもしれないけれど。
 大衆化の加速自体は短歌と俳句にとって悪いことではない。しかしこういう時代だからこそ、若い俳人たちには、業界内だけで通じる俳論、俳句鑑賞ではない、土台の確かな論考を求めたい。           中略                   
 堅苦しいことを書いてしまって反省しきりだが、いろいろあっても俳句はやはり楽しい。
     虚も実も限無く食べて秋なり     金子兜太
     ちちははに今近く居り日向ぼこ    岡本 眸
     こんもりと在所はひとつ鏡餅     広瀬直人
     係累に一事一月来り去る       宇多喜代子
                
                 「俳句研究」平成七年一月号より

   「平成の秀句100句」より学ぶ          上田日差子

   貝の名に鳥やさくらや光悦忌       上田五千石 
 句集「琥珀」に所収。平成二年作。まず作者の自註より引く。「貝の名」を採集してみると、その名付けの面白いこと、  (中略)   動植物に擬しての先人の思いが「貝」のそれぞれに沁みついている。「鳥やさくらや」はその代表としてえらんでみたままで「光悦忌」と取合せてみると、なんとなく心もちがいい。たしかに、ある種のポエジーが春の気分をかもしている。
 芸術家として名を馳せ、ことに蒔絵に長じていた光悦。優美な意匠は、江戸初期の文化を象徴とも。そこに欠かせないのが自然美の代表である花と鳥。あたかも花鳥が化したかのような感じがある。春の情趣が光悦の名において結ばれ、動かない。「さくら」の平仮名遣いに、一句の清澄が深まった。

    名句鑑賞読本      藍の巻     行方克己・西村和子
    
   
      隠岐や今木の芽をかこむ怒濤かな       加藤楸邨
 季題は〈木の芽〉で春。後鳥羽院の配流の地としての隠岐島にひかれて楸邨はこの地に遊んだ。この句はその折に、院の火葬塚を訪ねた時の作である。島全体を鳥瞰するような高さに視点を置いて、風景を凝縮するような捉え方をしているところがこの句の特色であろう。
 木の芽時の美しい緑の島周辺を真っ白な怒濤が囲むように広がっている。この緑と白とのコントラストは美しく印象的である。「木の芽」という小さなものと、怒濤という大きな広がりを持ったものを一句の中できわめて近接したものとして結びつけている手法は、ある意味で現在の映像処理の技術に通じる新らしさがある。「隠岐や今」の今という何かを感じとっている作者のこころのたかぶりが感じられる。
 (水温むとも動くものなかるべし)は同時作である。   (克己)

  
 「後鳥羽院のかゝせ給ひしものにも、これらは歌に実ありて悲しびをそふるとのたまひ侍りしとかや。さればこの御ことばを力として、その細き一筋をたどりうしなふことなかれ」という芭蕉の言葉を呪文のようにして、楸邨は隠岐へ旅立ったのだった。「隠岐紀行」にはその旅の諸作百九十余句が見られる。
   さえざえと雪後の天の怒濤かな
   東風の濤谷なすときぞ隠岐見え来
   春怒濤巌喉あげてゐたりけり
   炎だつ木の芽相喚ぶごとくなり
   その日萌え今日萌え隠岐の木の芽かな
                              (和子)
      

にれ東京句会(2008年4月) 

2008-04-12 06:47:29 | 17音の世界をかけめぐる



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にれ東京句会(2008年3月) 

2008-03-26 01:55:55 | 17音の世界をかけめぐる

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迪子の俳句鑑賞(2008年3月)

2008-03-07 17:14:46 | 17音の世界をかけめぐる
鑑賞     高田正子

  蝋梅の咲くゆゑ淡海いくたびも     森 澄雄
句集「鯉素」所収。淡海といえば森澄雄というほど淡海に足を運んだ人である。淡海は近江であり琵琶湖の国である。森澄雄には次のような句もある。
  紅梅を近江に見たり義仲忌
  寺置いて湖国色づく唐辛子
「蝋梅」「紅梅」「唐辛子」の植物が風土と融けあいながらイメージを豊かにしている。さて頭掲の句にしても、ロウバイが好きで淡海を訪ねたというのではない。「淡海」という言葉から伝わるやわらかさとロウバイの透けるような淡い黄色とが一体化して淡海へと心誘われるのである。ロウバイは冬、他に花のない時期に馥郁と咲く。冬の花でありながら、とろけそうであたたかみのある花である。ロウバイの咲く湖国淡海は、どこか桃源郷のおもむきがある。

  冬菊のまとふはおのがひかりのみ    水原秋桜子
しずかな寂びた句である。「冬菊」だけが漢字で、あとは仮名表記であるのも、その感じを深くさせる。
さらにいうなら、「寒菊」ではなく、フユギクというしっとりとした語感も胸に染みる。「おのがひかりのみ」というのだから、晴天ではない
雲のたれこめた日か、夕方のキクであろう。大輪のひかりではなく、小さな花のひしめき合う小ギクのひかりなのである。

  まだもののかたちに雪の積もりをり   片山由美子
    (俳句研究平成九年二月号  作品十五句より)
作者の自解によれば、新潟県の瓢湖へ白鳥を見に行く途上に出合った景である。この句の形になるまでに数年をようされた由。「深く雪を積んだ家の近くに、小さな雪の柱のようなものがいくつか見えた」「よく見るとそれは墓石だった」「雪は降り続いており、雪にまるく包まれた墓石もやがて雪の底に隠れてしまうにちがいなかった」とある。
作者の中で二転三転した句というが、一息に詠み下されたかのような声調である。時間をかけて醸された思いが、平明な形で顕れたときこそ、深い光りを放つものだと教えてくれる。


   俳句とわたし
   短さの豊かさ      三枝昂之(歌人)

俳句はよく読む。歌人として隣の芝生が気になるからということもあるが、端的な世界提示が快感だからである。どんな俳句が好きか、と問われればいつも次の句を挙げる。
    なにはともあれ山に雨山は春     飯田龍太
俳句形式から自由でありながら、たっぷりと俳句的な豊かさ、表現のそんな感触がまずこころよい。
主題は早春の雨の嬉しいなつかしさだろう。「なにはともあれ」が導くから、そこに人生的な嘆息が淡く広がる。ゆっくり口ずさむと、〈なんとかなるから、もう少しがんばってごらんよ〉といった励ましがこの句から聞こえてくる。
表現の短さは豊かさだ。そんな自明をあらためて教えてくれる句である。兄弟詩型の短歌に関わる者も、こうした俳句体験からは勇気をもれえる。
しかし折に触れて読む俳句には、季語と相性のいい何かを組み合わせて一丁上り、と感じさせるものも少なくない。具体例をあげるのは憚られるから思い付きのプランを示しておくと、「啓蟄や狭庭の虫も動き出す」といった、いわば幕の内弁当のような俳句である。見えてくるのは作品そんものではなく、形式という制服に身の丈を合わせることに懸命な作者の姿。あるいは逆に、制服のボタンをわざとはずして得意がっている姿。
短歌と俳句は運命共同体。そう思うことが少なくない。一方だけが反映して他方が衰退するということはない。
占領期の第二藝術論から昭和三十年代の前衛短歌と前衛俳句。程度の差はあっても、趨勢としては、この兄弟詩型は同じ困難に遭遇し、通底する手探りで克服してきた。
その短歌と俳句に共通する近年の特徴は、恐ろしいまでの基盤の広がりである。歌人も俳人も、作る人であるよりも選ぶ人であることを強いられ、たちまち宗匠に祭り上げられる。私の見るところ、そうした趨勢は俳句の方が十倍ほど顕著である。

にれ東京句会(2008年2月) 

2008-02-06 17:31:49 | 17音の世界をかけめぐる


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迪子の俳句鑑賞(2008年2月)

2008-02-03 11:40:36 | 17音の世界をかけめぐる
狐川の谷  (続)   ー龍太追悼ー   広瀬直人
 
 三月六日は葬儀の日であった。前日まで曇天が続いていたが、当日の甲府盆地は早春の快晴になった。わけてもふかふかとしたあおぞらと南アルプスの雪の山脈とのくっきりとした対比は参列の人々の悲しみをよりふかめたように思われた。斎場の雰囲気も龍太先生の思いそのまま、簡素静謐と言うのがあたっていよう。祭壇の右手の空間に置かれた一輪だけが花開いた辛夷の一枝は、心憎いばかりの配慮が感じられた。この辛夷は、屋敷のすぐ裏手の狐川のほとりにあってもう十メートルほどの高さになっている。折も折、丁度葬儀に合わせるかのように開いたという。長男の秀実さんが梯子をかけて、まだ蕾の数輪と合わせて切り取ってきたのであった。
   満月に目を見ひらいて花こぶし
   花こぶし灯のまどろみの凍てに耐え
   花辛夷昼月もまた花のごと
   「満月に」は第一句集『百戸の谿』(三十三才)、「花こぶし」は第五句集『春の道』(五十才)、「花辛夷」は第十句集『遅速』(六十七才)にそれぞれ収録されている。
 この花は、いちも身近にあって見慣れた花の中では龍太先生の好きな花のひとつではなかったか。
 わけても第一句集、折柄、狐川の谷の水源の上空に現れた「満月」の夜に花開いた辛夷の花を「目を見開いて」と形象化した表現は作者の心象そのままの風姿である。ここから見えてくる自然の美しさと詞の力強さは龍太俳句の太い支柱の一本であると言っていい。
 作られた年代に違いはあるが、この三作、同じ辛夷の花を主題にして背景にそれぞれの年輪を感じさせる。潔癖なまでの白さを愛した人の美意識のいさぎよさが作り出した風景と言葉の世界である。
                      ウエップ通信38号より


  「動詞を少なく」

  流れ行く大根の葉の早さかな          虚子
  年の夜やもの枯れやまぬ風の音        水巴
 
  極寒のちりもとどめぬ巖ふすま         蛇笏
  啄木鳥や落葉をいそぐ牧の木々        秋桜子
  方丈の大庇より春の蝶              素十
  しんしんと雪降る空に鳶の笛           茅舎
  玉菜は巨花と開きて妻は二十八        草田男
 これらの句を読んで、他の詩形の歌などと比べて表現上気づくことがある。それは短いからそうなるんだというような理由をぬきにして、すぐ気づくことなのだが、一句の中に動詞が少ないということである。
 ここに現代の句ばかりあげたが、古典句になると、これはいっそうきびしく動詞は少ないのだ。現代になって、むしろ俳句も動詞が多く用いられるように変って来ているのである。            
                    俳句哀歓  石田波郷  より

  語りかける季語   
    ゆるやかな日本       宮坂 静生   より
    ササラ電車(冬・生活)

  遠くよりササラ電車の覇者の貌          古畑 恒雄
 ササラは竹を割って束ねたもの。それを路面電車の車両の前後に取り付けて回転させ、雪を吹き飛ばす除雪電車が「ササラ」電車。大正十四年(1925)札幌の電気軌道会社の技術長が考え出して以来、「ブルーム式」というこの雪掻き装置が使われている。札幌の木村敏男氏に伺うと、現在も冬に大活躍だとか。なんとも楽しい電車ではないか。
 ササラ五十本を一枚のように台木に固定させる。そのような台木を八本回転軸に取り付けて回転させる。八枚の羽根に使われているササラは四百本。 中略
車両の前後に付けるので一両電車に八百本のササラが必要になる材料の青竹は山口県から取り寄せている。  節の間が長く強靭で質がいいとか。