17音の世界をかけめぐる

日々の証を綴ります。季節、人情、知恵など、みなの思いが沢山こめられています。

迪子の俳句鑑賞(3月) 

2007-03-10 02:19:10 | 17音の世界をかけめぐる
「折々のうた」より

 幾千の木漏日いだき山眠る    松本幸四郎
「俳遊俳談」(平10)所収。歌舞伎俳優には俳句や絵をたしなむ人がかなりいるが、作者は母方(松正子)の祖父初代吉右衛門の筋を引き、俳句にとりわけ熱心。祖父は高浜虚子門の名ある俳人だったし、先代幸四郎(白鸚)夫人だった母は句にも小唄にもすぐれていた。右の句、もう春をかかえてこんで眠っている冬山の感。   以下略

捨てる勇気が秀句を生む (場所を捨てる)    中村堯子
 寒鯉の大量死あり山の國    堯子

昔、熱海の山の方に暮らしたことがあった。雪の降った翌朝、庭の池の鯉が大量に浮いて死んでいたことがあって、その印象をなんとか詠もうとして、この一句ができた。しかし、〈山の國〉という場所の設定があるせいか、こんなむごたらしい思い出があったんですよという報告めいた句になった気がして・・・推敲。
 山は紫寒鯉の大量死
〈山の國〉を捨てて〈山は紫)としてみた。こんどは一句から場所を捨てるのではなく、山の語を残して紫という色を足し、追憶の場を私の個人的な感性で表してみた。また〈山は紫)という打ち出しが、大量に鯉が死んでしまう、私の怖いイントロ的役目をはたしてくれるようであったら、という思もをこめて。

洛北や碧梧桐忌の泥けむり    堯子

鬱蒼とした森の奥に沼のような池がある。池面の箇所がもぞもぞと動いたかと思うとしゅっと泥けむりがたった。ちょうど河東碧梧桐の忌だった。
 カワヒガシヘキゴドウ忌の泥煙
場所を捨て、忌日の主である碧梧桐みにだけ焦点をあててイメージしてみた。虚子と対峙しつづけた猛烈な情熱は新傾向俳句やルビ俳句の提唱かつ実作に向けられた。しかしその熱さは還暦を機に嘘のように冷め、俳壇からさっと身をひいてしまう。その怪しさぶりを弔電の形式にのせて詠んでみた。・・・攻略


  「歳月は人を待たず」        榛名次郎
 テレビで「自由が丘近辺・九品仏浄真寺」が放映され懐かしさが込み上げてきた。昔、目蒲電鉄KKに入社、三ヶ月後車掌試験に合格、兵隊に行く迄勤め、終電は奥沢駅へ入庫であった。
 特に思い出深いのは、まだ蒲田に松竹撮影所のあった頃、女優さん達が乗込んできて、「ファン」からの差し入れと思われるお菓子の箱ごと「食べなさい」と置いていったこと、女優の一人が田園調布で消えた。
 九品仏の周辺が、畑だった頃ののんびりした時代の話。晴耕雨読を楽しみに群馬に引越してみたものの広々とした麦畑がバイパスに変り、大型店(イオン)の出店にともない、がらりと風景がかわってしまった。梅林は切られ、桑畑はなくなり、安アパートの乱建する有様、三十分ほど山の方へ行かねば「田舎」は見られない。
 「歳月は人を待たず」けだし名言である!。俳句の「ワビ」「サビ」を追いかけている古い人間は取り残されるばかりである!。
 さて余談、一月号の私の句 「クリスマス患者の奏で囂し」
キリスト誕生の日、信者達が静かに祝うべきなのに信者でない者が飲み食い騒ぐ、また商品売り出しの道具にされる。暴走族と同じくらい騒がしい。その騒がしさを強調したくてこの「囂し(かまびすし)」を使った。