17音の世界をかけめぐる

日々の証を綴ります。季節、人情、知恵など、みなの思いが沢山こめられています。

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にれ東京句会(2008年12月)

2008-12-09 15:25:22 | 17音の世界をかけめぐる


俳誌「にれ」は本年12月号をもちまして終刊となります。
終刊号をクリックして俳句をみてね
長年ご愛読ありがとうございました。
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迪子の俳句鑑賞(2008年12月)

2008-12-01 05:54:00 | 17音の世界をかけめぐる
句 歌 歳 時 記  (秋より)   山本 健吉

   栴檀の若木の上も秋の空   飯田 龍太
「山影」より。双葉よりかんばしと言われる栴檀の若木。匂いやかなその若木をことほぐかのように、その上には澄み透った秋の空が拡がっている。すがすがしい一句。

   葛吹くや嬬恋村の字いくつ  石田 波郷
軽井沢に近い嬬恋村を通ったときの句。草津にいる義妹を迎えにゆく途中、一村が一郡の大きさを持つと言われる嬬恋村の字々を通り抜けた時の作。葛と嬬恋村という名がたいへんよく映り合っている。猿蓑風の古調を志したころの句。

   蜩や雲のとざせる伊達郡   加藤 楸邨
伊達、信夫とつらなって、一地域をなしている。福島盆地。一面の秋の田の上を雲が低く覆っており、ヒグラシの涼しい声がくりかえし聞こえてくる。大景にヒグラシの声が点睛を加えている。

   紫蘇の実も夜明けの山も濃紫  木下 夕爾
枕草子に言う夜明けの「紫だちたる雲」、濃い紫に染めた遠い山々のそして眼前の庭の紫蘇の実の紫とに、作者は一つの照応を見出した。

   黄をもつて一望を刷き秋深し   高浜 虚子
「冬の空少し濁りしかと思ふ」という句もある。あまりこだわらず、たいして苦労もなく詠んだのだろうが、及びがたい境地である。淡いこと水のような句で、その中に艶を点じたところが、虚子らしい。


 
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迪子の俳句鑑賞(2008年11月)

2008-11-29 17:09:26 | 17音の世界をかけめぐる
「 炭 に 思 う 」      高橋 治

炭のことを少し書こう。
  学問のさびしさに堪へ炭をつぐ    山口 誓子
いまから考えると信じられないことながら、金沢の冬を1火鉢ひとつで越した。ま、若くて元気だったこともあろう。周囲も似たようなもので、自分一人が虐げられていたわけではないというのも、つっかい棒になっていたかもしれない。それにしても、地球温暖化などは考えられないかもしれなかった時代である。
一度など、下校の途中で一本映画を見ている間に、市電が運行を取りやめてしまい、朴歯の下駄は歯の間に雪が固くつまって役にたたず、足袋裸足で帰ってきたことがある。     以下略   (ささやき歳時記より)

句 歌 歳 時 記     山本 健吉

  赤のまゝそと林間の日を集め     川端 茅舎
イヌタデ(あかのまま)のひっそり咲いた可憐さが、描き出されている。

  露草も露のちからの花ひらく   飯田 龍太
「百戸の谿」より。「紺という色は、すべて朝がいい」と、作者は言う。その朝露をふくんだ、可憐な朝の露草の花。

  梨食ふと目鼻片づけこの乙女  加藤 楸邨
「吹越」より。「目鼻片づけ」とは、的確でユーモラスな措辞。大口をあけ、小さな目、低い鼻をくしゃくしゃと一点に集めた、可愛い「梨食う少女像」。

  磧(かわら)にて白桃むけば水過ぎゆく   森 澄雄
「花眼」より。つぶらな実の多汁の、やわらかな白桃の感じが、「水過ぎゆく」に実によく生かされている。「行く水は各のごときか」  静かな時の経過。

  子等とまたながき八月きりぎりす   百合山羽公
八月の季節感をこれほど新鮮に描き出して4いる句はあまりない。「きりぎりす」が非常によく利いている。

  行き過ぎて胸の地蔵会明りかな    鷲谷七菜子
盆の二十四日は地蔵の縁日。関西で盛んで、楽しい子供たちの行事。たまたま通り過ぎても、何時までも心にその灯がともっている。

  闇ふかき天に流燈のぼりゆく    石原 八束
「黒凍みの道」より。沖に流れる流燈が天に上るような錯覚を持たせる、否、錯覚ではなく、真実昇天のさまなのだろう。

  日暮れ待つ青き山河よ風の盆    大野 林火
越中姉負(ねい)郡八尾町で、九月一日から三日間、風の盆と言って全町夜明けまで唄いまた踊りぬく。出身の青年男女も、大方この故郷の山河の懐ろに帰ってくる。

  私の鑑賞     北村 進

   子の葛藤母の葛藤サングラス    眞知子
葛藤とは辞典には「物事がもつれてごたごたすること又はもめごととある」。子は成長し自我にめざめるといろいろな悩みが生まれる。
この句は母と子の心の行き違いにより生じたそれぞれの葛藤であろう。又葛藤による感情的な心の動きをさとられたくないと思うのも人情である。
目は一番心をあらわすものといわれる。それをかくすため色の濃いサングラスをかけたいと思う。この句は人間お心理をよく表現している。
上五中七が子の葛藤、母の葛藤という抽象的な言葉なので、下五はサングラスという物の季語により句に安定感が出た。春愁とか時候・天文の季語ではおちつかない。
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にれ東京句会(2008年11月)

2008-11-29 16:40:27 | 17音の世界をかけめぐる
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にれ東京句会(2008年10月) 

2008-10-14 10:20:53 | 17音の世界をかけめぐる
30周年記念誌クリックして
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迪子の俳句鑑賞(2008年9月) 

2008-09-17 21:43:24 | 17音の世界をかけめぐる
夏の秀句鑑賞・・・・・先人が詠んだ夏
                高田 正子
女性俳句の先駆者にして自然体のひと   長谷川かな女
  
     西鶴の女みな死ぬ夜の秋      長谷川かな女
西鶴の女とは、一連の心中物に登場するお夏、おせん、おさん、お七、おまんであろう。むろん相手の男も死ぬのであるが、西鶴の女はいざというときをイニシャティブをとる凛々しい女たちなのだ。
 かな女は芝居を観るのが好きだったようだ。足が不自由だったそうだが、新宿柏木の家に住んでいたころは、芝居見物にも出やすかったのではないだろうか。
 この句は昭和二十年の作。「胡笛」所収。すでに浦和に住んでいるうえ、終戦の直前である。昔観た芝居を思い返しつつ、原作を繙いているのだろうか。男たちは戦場、女たちは銃後で、それぞれ悲しい運命を生きていた。みな死ぬ、実際具体的な事実が身辺にもあっただろう。また自身も女性のひとりとして覚悟を決めていたことだろう。
 つまりこの句は直接芝居を詠んだ句ではない。しかし突飛でないのは、かな女にとってこなれた素材だからだ。夏の退潮を思わせる〈夜の秋〉を選んだのも自然である。夜の一文字が灯りの色を思わせ、おのずと舞台のきらびやかさへ読者をいざなうあたりは、見事としか言いようがない。
    蛇が這ひし跡の草ふむ跣足かな
    埼玉全図風あり青き麦穂立つ
    嘘のやうに銀座に出たり夏浅し
 支障のあった足で久しぶりに踏んだ草、とか転居により好きな銀座から足が遠のいていた、とかいった事情を知らないと正直に読み取れない部分もあるにはある。が俳句はもとより説明する詩形式ではない。かな女は溢れる感慨を吐露するのに何の躊躇もしなかった人ではなかろうか。新奇な素材や言葉遣いを求めるのではなく、身の内にあるデータを惜しげもなく駆使して。         (「俳句」二十年六月号より)


 言葉と語順
         石井ケエ子

「言の葉が初句と結句において水と油ではないか、同じグループに入れてよいかに気を付けている、」卒寿の歌人森岡貞香氏は自己の歌の技法と結句についても異質であれば棄ると。
 続いて「なお最も気を付けているのは語順です、幾度も入れ替えて落ちつくまで推敲する」と。芭蕉のいう「舌頭千転」であろうか。
 「歌を作るのは塔を作るようなものだ、下から作ってゆく」これは聞き手佐々木幸綱氏の言、「大歌人俊成も云っている、歌を書く時は初句を脇に小さく書いておき、全体の姿が決まってから改めて入れる。」と、「現代短歌を作った人々に聞く」公開講座に出た、呟きがふと語順を替えてみて、やや句らしいものになるとよいがと思いつつ帰途についた。
    たましひを投げ打つやうなこゑなりき       
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にれ東京句会(2008年9月) 

2008-09-01 12:04:28 | 17音の世界をかけめぐる

9月号をお届けします。表紙をクリックしてね
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にれ東京句会(2008年8月) 

2008-08-05 23:41:12 | 17音の世界をかけめぐる

表紙をクリックすると、何が飛び出すでしょうか
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迪子の俳句鑑賞(2008年7月) 

2008-07-05 23:00:37 | 17音の世界をかけめぐる
鑑賞     桐の柾目のような「抜粋」

 仕事をしているところを見たわけではないので、正確には書けないが、湯と水を使って、次第に浮き上がらせて来るのだそうだ。恐ろしい技術があるものだし、恐ろしい木があるものではないか。
    桐の花薄化粧して老いんかな     原 コウ子
    桐の花港を見れば母遠し       石田 波郷
 一、二ヶ月して二棹のタンスは新品とみまがう顔をして戻って来た。くぼみを浮き出させるという話も本当で、子供の頃に私自身がつけて母にさんざん叱られた傷が消えている。この特性があればこそ、洪水にあった時に、桐タンスはふくれ上がって水を遮断するのだという話が、初めて理解出来た。      中略
    死者生者ゆきあふ坂の桐の花     垣本 章子
    過ぎし日を桐の花ささげてゐてくれる  細見 綾子
    桐咲くや笑顔のままに女老ゆ      油布 五線
    桐咲くやあつと云ふ間の晩年なり    田川飛旅子
          「ささやき歳時記」  高橋 治 より

   句会の一句
    蕪村忌の板の間暮るる鼠かな     岩城 久治
 さらっと詠まれているけれど、引き出されるイメージは豊かだ。。旧家の厨だろう。蕪村の忌日が歳末であることが効いている。あわただしい一日を終えて、夕暮の薄明かりが心にしみる。
 この句会のレギュラーめんばーである岩城さんの作品と知れば、これは会場の角屋への挨拶に違いなく、さらに間もなく子年を迎えることなで踏まえているように思われる。しかもそんなことはそ知らぬ顔でいる句の風情が心憎い。ただただ脱帽するばかりである。
 句会場には蕪村の白梅図屏風が立てられ、絵師としての蕪村を身近に感じながらの句会だった。蕪村忌を春星忌と呼ぶ場合には絵師としての蕪村を念頭に置いて詠むのだと今さらながら教えられた。茨木和生さんの〈青墨を色濃くおろす春星忌〉、正木ゆう子さんの 〈竹幹の節に和毛(にこげ)や春星忌〉などは確かに絵師蕪村を彷彿とさせるものだと感心した。

      「折々のうた」  より

    しんしんと肺碧きまで海の旅    篠原 鳳作(1906~1936)
 昭和十一年三十歳で急逝した新興俳句運動の俊才。鹿児島に生まれ、沖縄や鹿児島の中学で教えるかたわら、いくつかの俳誌に関係したが、晩年は新興俳句運動の、とりわけ無季俳句の有力な推進者だった。上の句、無季俳句の傑作として知られる。「しんしんと」沁み入る感覚と「肺碧きまで」の鮮やかな色感のみごとな融合によって、忘れがたい印象を生む。もこと南国人の句というべきであろう。

    新月や蛸壺に目が生える頃     佐藤 鬼房(1919~2002)

 「何処へ」(昭59)所収。蛸壺を詠んだ句では芭蕉の
「蛸壺やはかなき夢を夏の月」が文句のない傑作である。どんな俳人もあの句を無視て蛸壺は詠めまい。
 現代俳人鬼房のこの句は、あえて芭蕉とおなじ月を取り合わせにして蛸壺を描き、現代の新感覚を盛るのに成功している。壺に「目が生える」のはもちろん蛸が中に入ったからだが、この表現を得て句に生気と飄逸味が生じ、さらに幻想絵画的なおもむきも生じた。
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にれ東京句会(2008年7月) 

2008-07-04 16:33:45 | 17音の世界をかけめぐる

ジャンプの勢いを持って夏を乗り切ろう。クリックして俳句16句を
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