特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第505話 地上げ屋殺し(後編)

2009年10月24日 01時19分26秒 | Weblog
【あらすじ】
特命課の捜査により、被害者が地上げに関わったビルの所有者も、「あけぼの荘」付近の土地買収を進めているのも、すべて神代の旧知の男が勤める不動産会社だと判明する。そして、男もまた神代と同様に、かつて「あけぼの荘」の住人だった。当時を懐かしげに振り返る神代。「みんな痩せこけて貧乏だったが、心は豊かだった。街もね・・・」布団まで質草にして小銭を得ていた質屋。故郷への手紙を投函したポスト。日々の温もりを得ていた銭湯・・・だが、そんな風景も、今はすべて過去のものだった。「みんな変わってしまった。変わらないのは、この「あけぼの荘」だけだ・・・」
そんななか、神代は男から酒席に誘われる。被害者との関係を訪ねる神代を遮って、関連会社社長の椅子をちらつかせる男。露骨な買収を一顧だにせぬ神代に、男は苦笑を浮かべる。「昔のままだ。ちっとも変わらんな」「私も貴方が変わってないことを祈りながら、ここに来ました」そう応じる神代に、男は答える。「私は進歩したよ。世の中も進歩した。我々が進歩させたんだ。我々は東京を、いや、日本を住みよくするために汗を流してきた」誇らしげに語る男の言葉に、不動産業者としての仕事、そして自らの歩んできた日々に対する強固な自負が窺えた。だが、神代は男の主張に異論を呈する。「「あけぼの荘」のようなアパートを取り壊して、ビルやマンションを建てることが、住みよくすることですか?」「違うと言いたいのかね?」「違わないかもしれません。しかし、「あけぼの荘」に住んでいたような住人が、新しく建て替えられたビルやマンションに住めますか?」
静かな口調ではあったが、神代の言葉は男を、そして地上げに象徴される現代社会の矛盾を厳しく糾弾していた。毎日うどん粉を食べて暮らす苦学生にとって、その学生が栄養失調で苦しんでいるときに卵を分け与えていた貧しいお人好しにとって、そして今も少なからず存在するであろう貧しい人々にとって、現在の住宅事情は、果たして「住みよい」と言えるものだろうか?そして、それ以上に許せないのは、そのお人好し(=老人)が、卵の返礼として(=卵を与えた苦学生=男から)殺人の罪を背負わされようとしていることだった。過去を引合いに、老人に汚名を着せた真犯人ではないかとの指摘を受け、「貴様!」と激昂する男。だが、神代はそれ以上追及することもなく「そういう事件でないことを祈ります。失礼」と席を立つ。それは、いまだ確たる証拠がないからか。それとも、かつての友人に良心が残っていることを信じたいからなのか・・・
その後、神代の推測どおり、男がかつて被害者の村で用地買収に当たった責任者だと判明し、被害者と接点が明らかになる。また、男の強引な手法に対して社内でも批判が高まり、危うい立場にあることも分かる。神代は男の身辺を徹底的に調査するよう命じる。
一方、桜井は犯行現場を割り出すため、被害者に付着していた土を分析。そこにはリン酸が大量に含まれていた。同じ頃、橘は老人の飼っていたニワトリの死因が伝染病だと知る。その伝染病は東京近郊に発症例がなく、最近では埼玉県の養鶏場で発生していた。橘からその情報を得た桜井は、養鶏場に的を絞る。鶏糞には大量のリン酸が含まれているからだ。
その頃、時田は被害者の葬儀を訪れていた。弔問客もない寂しい葬儀で、妻の嘆きが時田の胸に染みる。「補償金で新しい家に住めて良かったという人もいます。でも、水の底に沈んでしまった、あの古い家に住んでいられたら、こんなことには・・・」それでも妻は、もはや取り戻しようのない過去を振り切って、東京で子どもたちを育てることを決意していた。少なくとも、東京には故郷の村とは違って働き口があるのだ。感慨にふける時田の眼に、一冊の手帳が映る。被害者が「金になるネタだ」と言っていたその手帳には、これまでの地上げの記録が、金の流れとともに記されていた。それによれば、実際の買収額と不動産会社の支払額には大きな差があり、その差額は男の懐に入っていた。被害者はこれをネタに、男を強請ったのではないか?
同じ頃、男の事件当日のアリバイが偽装だと判明。さらに、埼玉県の養鶏場から男と被害者の目撃証言も得られる。犯行現場と思われる養鶏場から採取した土は、被害者に付着していた土、そして男の車に残っていた土と一致した。逮捕状を手に、不動産会社に乗り込む神代。憮然とする男を見つめながら、神代は手錠を掛けた。
「あけぼの荘」の前で、男は全てを告白する。男は「あけぼの荘」付近の再開発が片付けば、被害者にまとまった金を渡す約束をしていた。少しずつ渡せば、バクチと酒に消えてしまうと考えたからだ。男はその金で、被害者が故郷の家族のもとに帰ることを願っていた。だが、バクチの借金に終われる被害者に、待つ時間はなかった。手帳をネタに脅迫する被害者を、男は乱闘の末にロープで絞め殺した。だが、だからといって、なぜ恩人である老人に罪を着せたのか?その問いに、男は質問を返す。「神代君、君はここが好きか?私は大っ嫌いだ!今でもうどん粉しか食べられなかった日々を夢に見て、寝汗をかくくらい嫌いだ。早く地上から消してしまいたかった・・・」そんな男の前に立ちふさがり、他の住人まで説得して立ち退きを拒んだのが老人だった。「あの人は、この私に反抗したんだ!」自らの消し去りたい過去、その象徴である「あけぼの荘」と老人を葬り去るために、男は老人に罪をかぶせようとしたのだ。男の消したい過去も、神代が懐かしむ過去も、すべて背負って「あけぼの荘」は建ち続ける。いずれ地上から消えてしまう「過去」を、神代と男は、それぞれの想いを込めて見詰めるのだった。

【感想など】
変わってしまう社会への不信感と、消え去っていく過去への郷愁を、今では死語となりつつある「地上げ」(ある意味、バブル社会の象徴とも言える)をテーマに描いた傑作。そこで描かれているのは、「現在の整備された都市は、本当に“住みやすい社会”なのか?」という問い掛けであり、その問いの背景には、その都市から弾き出されてしまう弱者の怒りと、そうした弱者の存在を無視して豊かな生活を享受する上流階級(さらには、彼らを主体とする社会全体)への怒りが込められているように思われますが、そうした弱者からの一方的な「強者への糾弾」で終わらないのが、今回の脚本の凄さではないでしょうか。

ドラマ的には、「貧しくとも(ある意味では)豊かだった過去」を、「懐かしく、尊いものと」して振り返る神代と、「思い出したくも無い、消してしまいもの」忌み嫌う男、という対比が(当然ながら、神代の意見が好意的に)描かれています。しかし、注意深く見てみれば、一見して正反対に見えた両者の立場が、実は同じコインの裏表のようなものではないか、という見方も成り立ちます。
神代の意見の背後には、「貧しいお人好し」である老人や、「ダムに沈んだ村」から追い出された被害者とその妻子などが、弱者の代表として描かれているわけですが、彼ら弱者が望んでいるのは、実は「弱者の居場所を守れ」という消極的なものだけではありません。その裏で、「本当は自分たちも強者の側に立ちたい」という積極的な望みを持っていることも見過ごせません。
「あけぼの荘」を守り続けたいと願う一方で、「あけぼの荘」を出て息子家族と同居したいと願う老人。「いつかは家族のもとへ」と願いながらも、地上げ屋の走狗となって都会の安易な享楽に走ってしまう被害者。「今はダムの底に沈んだ旧宅で暮らしていたら・・・」と過去を懐かしむ一方で、働き口のある東京で働くことを選ぶしかない被害者の妻。こうした描写の背景にあるのは、守りたい「古き良き時代」というものが、実は「恵まれない現状」から逃避するための幻想(神代の立場からすれば、「功成り名を遂げた者の郷愁」)に過ぎないのでは、という問い掛けではないでしょうか。

今回のテーマとなる「古き良き時代への郷愁」は、放送当時から20年以上を経た現在の方がより顕著です(その意味では、特捜らしい時代を先取りしたテーマ設定と言えるかもしれません)。しかし、昨今のいわゆる「昭和ノスタルジー」が、現実を無視して必要以上に過去を美化した「いいとこ取り」ではないか、との批判は良く耳にするところです。
郷愁の対象となる1950~60年代(昭和30~40年代)が本当に「良き時代」だったかどうかといえば、放送当時と、そして2009年現在と比べても、一概に「その通り」とは言えません。物価や住まいなどの住環境をみても、犯罪発生率や公害問題といった社会環境をみても、実際に当時の暮らしに戻りたい、という意見は、おそらく少数派でしかないでしょう。
男が(そして神代も)そうであったように、「こんな環境から抜け出したい」という社会全体の想い(当時の人々の総意)が、当時の日本を経済的に成長させる原動力になったというのは、否定できない事実です。その一方で、当時の人々の努力の結果として誕生した現在の社会が、手放しに歓迎できるものでないというのも、また事実です。いざ手に入れた成果を見たとき、そこには「捨ててしまいたかったもの」だけでなく、「残しておきたかったもの」までが失われてしまっていた。そうした喪失感の代償が「昭和ノスタルジー」ではないでしょうか。

「同じアパートの病人におかゆを持っていく」という美しい行為が現在には失われてしまっていることは事実ですが、それは人々が「プライバシー」や「安全性」を極端なまでに望んだ結果だというのも事実であり、自分で望んでおきながら、その結果として失われてしまったものを懐かしがる、というのは少々身勝手な気がしないでもありません。
とはいえ、相矛盾した二つの願いを抱いてしまう「身勝手さ」こそ、社会を進歩させてきた原動力であり、なんとか双方を調和して実現しようという工夫こそが人類の叡智ともいえます。
そう考えたとき、今回の脚本が描きたかったのは、「自分たちが望んだ社会は、本当にこんなものだったのだろうか」という疑問であり、「よりよい暮らしを追求するあまり、気がつけば大切なものまで捨ててしまった」という嘆きであり、さらには「取り返しがつかなくなる前に、もう一度、本当に望むべき社会のあり方を考え直そう」という提言だったのではないかと思えてきます。本作の放送から20数年を経た今、そうした疑問や嘆き、提言がどのように受け止められ、どのように消化されたのか、改めて検証してみる必要があるのではないでしょうか・・・

話を特捜に戻しますと、こうしたストーリーが最終3部作の直前に展開されたところに、何か「特捜最前線」というTVドラマが放送された10年間、さらには前作である「特別機動捜査隊」も含めれば四半世紀以上に及ぶ、まさに一時代の終わりを締め括るという意味合いが感じられ、感慨深いものがあります。
言ってみれば「あけぼの荘」とは、私たち視聴者にとっての「特捜最前線」であるかもしれず、長きにわたって大切な時間を与えてくれた存在が、遠くない将来(3週間後)には地上から消え去ってしまうという悲しみが、本作を裏から彩っているのかもしれません。もちろん、それは制作スタッフたちにとっても、視聴者と同様、あるいはそれ以上に悲しいことであり、だからこそ、特捜の歴史を影から支えてくれたゲスト俳優を動員し(老人役の今福将雄は言うまでもなく、チョイ役でしかない中年夫婦に北条清嗣を擁するあたりが、集大成的なものを感じます)、彼らもまた通常以上に迫力ある演技を見せてくれたのだと思います。

7 コメント

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考えるための生。 (コロンボ)
2009-10-24 19:12:03
 先日NHKで放送された「銀の匙」(灘校の元国語教師・橋本武さん(97歳!)の特集番組に触発されて80年代末期の「東大現代文ゼミ」(故・堀木博礼先生)を本棚から引っ張り出して再読しました。

 第10問が小原信の「豊かさは無駄をはぶく」の感想を200字で作文させるモノで、堀木氏が作文例の骨子にしたのが「一般社会の事象を解する学力や能力は、粘り強く、執拗に取り組み続ける中でこそ培われる」で、偶然か東大が求める人物像と合致してます。

 要は「無修正の原典・文献に喰らいつける能力の持ち主」を欲している点で、「忍耐」力を計ろうとしてるのでしょう(推測ですが・・・)。

 「この世に悪ばかりが栄え、神も仏も無いものか」と不如意に悶え、私に怒り(?)をぶつけた方がいたようです。何故神(便宜上使います)は人間に意の如くなるを禁ずるのか。なぜ地を這い回らせるのか。

 困難を克服し、やがては人間を自分(神)の次元・領域に引き上げたいと願って、心を鬼にして人間に「考えて」ほしいからこそ叩き落とすのでしょう。

 お釈迦様の掌の上の孫悟空に忍耐し、思慮深く考えてほしいのでしょう。GHQの洗脳工作により戦後の日本人が喪わされたのが「忍耐と思いやり」ですが、アメリカの没落・自公政権の崩壊を契機に覚醒・再生される事を願います。因果律は永遠不変なのだから。

 ちなみに私事ですが親族が「あけぼの荘」を営んでたので本作の今福さん・北条さん諸氏の演じられた様な等身大の住人を思い出してます。おすそ分けは卵ならぬ柿・夏みかん・ゆず等の果物でした(笑)。

 あっ、そろそろ柿の収穫時期です。お知らせのメールを送ったのですが届きませんでした(他に話も)。メールアドレスを変更されましたか。袋小路さんの休日などに返信を頂けると助かります。


>袋小路さんへ 今回の感想のまとめ方、感心しきりでした(流石!)。
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感動しましたね。 (bikki)
2009-10-24 20:16:37
私、この回が特捜最前線の最高傑作だと思います。
自分のサイトで、私見も書きました。
どうぞごらん下さい。
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Unknown (疫病神を拾った男)
2009-10-26 13:54:36
本放送時はまだ学生でしたので何となく良質な回だったなという程度の印象でしたが、まぁ年取ってから観たら実に密度の濃い脚本で良かった。
それにしてもパート主婦不倫心中といい、終盤における阿井文瓶2作品の上質さには舌を巻く訳ですが、これはたぶん阿井氏が何年もこのドラマを手がけている内に「特捜最前線」という作品世界を完全に掌握しきったからでしょうね。ある意味作風の個性が強すぎる長坂、塙、佐藤、石松氏とは対極にある感じがします。つまり自己主張が強すぎる他脚本家とは違い、「特捜最前線」という作品世界をきちんと尊重・昇華した上で勝負しているというか。何かそんな気がします。だからか、時田刑事の使い方が他脚本家よりも上手いというか。この回の地道な捜査で地上げの存在を突き止めたり、被害者への遺族への心配りが新たな手がかりを見つけるきっかけになったり、ただキャラを立てるだけでなく、本当に上手に時田を使ってますしね。
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コロンボさんへお返事 (袋小路)
2009-10-27 00:53:40
コロンボさん、いつも含蓄あるコメントありがとうございます。
私も「粘り強く、忍耐強く考えること」を心掛けたいとは思いますが、なかなか理想どおりにはいきません。今回の感想も、コロンボさんからは過分にお褒めいただいてはおりますが、自分で読み返してみると、いかにも冗長で、何が言いたいのやらはっきりしない文章だと反省しきりです。
残り3話の感想はじっくりと考え抜いた上で投稿していきたいと思いますので、よろしくお付き合いください。

メールの件ですが、変更してはいないのですが、どうしたことでしょうか?こちらからメールさせていただきますので、よろしければご返信ください。
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bikkiさんへお返事 (袋小路)
2009-10-27 01:00:22
bikkiさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
bikkiさんのサイトも拝見させていただきましたが、何とも凄い!思わず読みふけってしまったため、返信が遅くなってしまいました。
刑事ドラマや特撮作品に限らず、TVドラマ全体について、私などとは比べ物にならないほどの知識と愛情をお持ちの方に、私ごとき半可通のブログをお読みいただいているだけでも何やら恐れ多いのですが、コメントまでいただけるとは何とも恐縮です。
bikkiさんのサイトはとても短時間では読みきれませんでしたので、改めてお邪魔させていただきます。今後ともよろしくお願いします。
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疫病神を拾った男さんへお返事 (袋小路)
2009-10-27 01:06:58
疫病神を拾った男さん、いつもコメントありがとうございます。
阿井脚本の集大成ともいえる本作は、本当に良作でしたね。特捜における阿井氏の功績は、量的には「両輪」と呼ばれる長坂氏、塙氏に及ばないかもしれませんが、質的には匹敵するものがあると思います。

また、ご指摘のとおり、本作では時田氏の使い方が絶妙でした。ラストで神代と一緒に男の会社に乗り込んだ桜井、橘の両腕とはまた別に、本作における「陰の主役」とも言える活躍ぶりは、まさに時田のキャラクターならではだったと思います。
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Unknown (警視庁刑事部長)
2016-06-15 12:06:08
この作品

是非映像を観てみたい

特捜最前線のようなシリアス系ドラマ大好きです。
神代警視正をはじめ重厚感溢れるメンバーばかり、なによりストーリーも素晴らしい。

オープニング曲もエンディング曲も素晴らしい。
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