野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成26年11月3日 後編 越辺川遡行失敗 そして顔振峠越え

2014年11月07日 | 奥武蔵へようこそ
(越上沢の小滝)

顔振峠から東に行くと諏訪神社がある。諏訪神社からは東に尾根道を縦走するルートのほかに南へ車道を下りていくこともできる。しかしそれ以外に神社の駐車スペースから杉林の中を下っていく道がある。以前からここを下るとどこに至るのか気になっていた。ところで越生に陽山亭という合掌造りのお店がある。その陽山亭のご主人が製作したHPに越生の散策スポットを紹介したページがあり、「越辺川源流と龍の淵」という記事がある。この記事を読むと諏訪神社から北に下るルートは越辺川源流や龍の淵を経て笹郷へと下れるらしい。最近では新ハイキング誌699号でも「越辺川源流から越上山」という記事があり、結構歩かれているようだ。そこで黒山へ訪れる機会があったら、この越辺川の遡行ルートを歩いてみようと思っていた。

今日は既に一山越えて結構消耗していたのだが、時間はまだ早い。予定通り越辺川を遡行して、顔振峠から吾野駅へと下ろう。まずは黒山バス停へ向かう。途中売店や食堂があるが寄って行く人はいないようだ。ボクは売店で梅干しを買っていく。今日は食料がラーメンしかない。でも作るのは面倒だから、体力消耗したらこの梅干しを食べるつもりだ。黒山三滝周辺では紅葉はまだ進んでいなかったが、何故か下のほうが銀杏の葉が黄色く色付いていた。やがて瀟洒な建物が見えてくる。黒山鉱泉館だ。ここはいつか入ってみたいものだ。…え?玄関のドアには「八月三十一日をもって営業を終了しました」との張り紙がある。うわぁ、マジか…。貴重な入浴施設だったのだが。ここを過ぎると黒山バス停への分岐に出る。付近にはトイレもある。もう一つの入浴施設である東上閣もあるのだが、休業となっていた。ここって営業しているのだろうか?



(色付く銀杏)




(黒山鉱泉館だった建物)


(東上閣)

黒山から笹郷へ向かって車道を上がっていく。バスの転回場を過ぎると渋沢平九郎自刃の地がある。渋沢平九郎は明治の実業家渋沢栄一の親類に当たる人物で、戊辰戦争の一つ飯能戦争において幕府側について戦い、この地で自害したという。車道は顔振川に沿って延びていく。途中件の陽山亭があり、そこを過ぎると民家が点在する集落に至る。この辺りを笹郷というのだろうか。集落が終わる辺りに顔振峠あるいは役行者像への分岐がある。笹郷から顔振峠への峠道は奥武蔵では代表的な一般ルートなのだが、ここはまだ歩いたことが無い。ここもいずれは歩いてみなくてはならないだろう。

(渋沢平九郎自刃の地)


(顔振川)

顔振川を車道が横切り、左に大きく曲がる辺りに越辺川遡行ルートの入口がある。「バリエーションウォーキング」によるとかつては道標があったそうなのだが、現在は轍の付いた林道らしきものがあるだけである。林道を進むと沢によって道は寸断されている。この沢は越上沢だ。地形図にはこの沢沿いに道形が描かれているのだが、さてどこまで行けるのやら。一見すると沢向こうに踏み跡は無いように見える。しかしよく見ると靴跡っぽいものが対岸にあり、草が被ってはいるものの、踏み跡らしきものもある。踏み跡は意外と確りしており、何とか歩くことは出来そうだ。傾斜も思ったよりも緩く、この調子なら越辺川源流まで辿り着けるかもしれない。

(越辺川源流ルート入口)


(越上沢)


(草の被る道)

所々小さな道標があり、個人的に整備している人がいるようだ。それほど大きな沢ではないので、棒ノ折山の白谷沢のようなゴルジェはない。沢には小さな滝が無数にあり、道標が滝へと誘っている。ただ沢へと下りる踏み跡はかなり薄い。いくつかを無視すると沢を高巻き、石碑が置かれた岩場をトラバースしていく。高巻きが終わると踏み跡が沢へ近くなるので、道標にしたがって沢へ下りてみる。人の手が入らない自然の沢には落ち葉や倒木が散乱している。倒木を踏み台に河原へと下り、小さな滝を眺める。もう少し整備されていれば、落ち着いて見られそうなのだが…。踏み跡に戻ると石門と書かれたプレートがぶら下っている。門というほど大きくはないが、沢側にも岩の壁がある。石門を過ぎると踏み跡が消える。赤テープが枝に付いており、沢の中を進んでいくしかないようだ。踏み跡はことごとく草を被っているため、上りはともかく、下りだとかなり迷いそうだ。やがて両岸が高い壁となり、沢が右にカーブしていく地点に着く。赤テープを頼りに右岸の壁を登ると途中で踏み跡が消えてしまう。テープの類もない。道を間違えたか?沢へ戻ってみるが、沢の中を進むのは難しそうだ。この後、踏み跡を探してウロウロするも、先へ進む道を見つけることはできなかった。やむを得ない。戻ろう。



(石碑のある岩場)


(滝を示す道標)










(越上沢の小滝)


(石門)


(引き返した辺りの道標)


(引き返した辺りの越上沢)

登ってくるときにも予想したように下りだと踏み跡を探すのがより困難だ。引き返すことを決めた地点にあった道標には「沢を渡って登る」とあり、そのアドバイスがなければ、無理に沢の中を下っていってしまっただろう。石碑の立つ岩場まで戻って来れば車道は近い。車道に下り立ったところで一息入れる。さてどうしようか。時間は早いが体力は限界に近い。地形図を見ると顔振峠の峠道は傾斜が比較的緩めな上、九十九折になっている。標高差は300mくらいだから一時間もあれば峠は越えられるはずだ。どうせいつかは歩きに来なければならないと思っていたし、顔振峠を越えてみよう。車道を下り、笹郷の入口から峠道に入る。道はブルドーザーかパワーショベルで作られたのか、広くまた轍が残っている所もある。ヨロヨロと登っていくと次々と下ってくる人とすれ違う。きっとすれ違った人たちはボクが死にそうな顔をして登っているように見えたに違いない。沢沿いの緩やかな道からやや急な斜面の九十九折になる。道が広くて歩きやすく、傘杉峠から黒山三滝への峠道に比べると安全度は高い。高度計を眺めつつ只管登ること30分。前方に建物が見えてきて、脇を抜けると顔振峠の頂上であった。建物は普段使われていない茶屋のもので、近くの茶屋が管理しているようだ。顔振峠には数軒の茶屋が健在で、多くの人で賑わっていた。南側の眺めが良い所だが、雲が出てきて、景色としてはあまり冴えない。茶屋で食事をするつもりもないし、一先ず摩利支天まで下ろう。

(笹郷にある顔振峠への登山口)


(峠道)


(顔振峠の頂上)


(茶屋)


(奥は大岳山)


(奥中央は川苔山 右に日向沢ノ峰、蕎麦粒山 右手前には子ノ権現)

峠から少し下った摩利支天には中高年の女性が一人休憩しているだけであったが、そばにザックを置くと入れ違いで峠へ向かっていった。先ほど買った梅干しを取り出し、口に放り込む。う~ん、酸っぱいねぇ。でもこれで元気が出てくるのだ。摩利支天からは風影集落と武甲山を望むアングルが良い。奥武蔵を代表する景色の一つだ。摩利支天からは九十九折を下っていく。九十九折が終わると沢沿いに下っていく。車道に出ると山道が分かれるが、山道は滑りやすいので、場合によっては車道を進んだ方が速いかもしれない。疲れもあったせいか、何度か転ぶ。下長沢の集落へ下りてくれば、吾野駅は近い。道標は学校を迂回して駅へと向かう道を指すが、それだと遠回りなので、道標とは反対側へ向かって歩く。信号の無い国道を渡ると吾野宿の入口だ。宿場町といっても往時の雰囲気を残すものはあまりない。いつも気になっていた若松屋さんで東郷せんべいを買い、駅へ向かう。石段を登ると駅前には多くの観光客がたむろしていた。駅前の駐車場にはかつての奥武蔵あじさい館、現在の休暇村奥武蔵行きのシャトルバス乗り場がある。以前日帰り入浴は15時までで、なかなか寄ることができなかったのだが、経営が変わり、16時まで入館できるようになった。黒山の入浴施設があの状況だとすると、今後は吾野方面へ下りたほうが都合が良さそうだ。駅には多くの人がいたにもかかわらず、入線してきた電車は思ったよりも空いていた。越辺川源流を訪ねるルートはいずれまた挑戦しなければならない。決意新たに帰路に着いた。

(摩利支天)




(風影と武甲山)




(吾野の鉱山を見下ろす)


(登山者は多い)


(アザミ)


(吾野駅への近道)


(下長沢集落)






(吾野宿)


(弁天岩)


(休暇村奥武蔵行きのシャトルバス乗り場)

DATA:
黒山三滝10:58~11:11黒山バス停~11:25越辺川歩道入口~12:06引き返す~12:25顔振峠入口(笹郷)~13:03顔振峠13:20~14:04吾野宿
~14:19吾野駅

地形図 正丸峠 原市場 越生 飯能

関連HP 飛騨観光陽山亭 バリエーションウォーキング 休暇村奥武蔵

笹郷から越辺川源流を目指すルートは本文中にもあるとおり、藪が多く、踏み跡も消え勝ちです。増水時は危険なので立ち入らないようにしてください。笹郷から顔振峠への道は整備良好で、エスケープにも最適です。峠から吾野方面も歩きやすい道です。エスケープとして使うのなら車道を使った方が安全でしょう。黒山から帰る場合には川越観光バス越生駅行きが出ています。


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