快読日記

日々の読書記録

「八番筋カウンシル」津村記久子

2013年03月21日 | 日本の小説
《3/20読了 朝日新聞出版 2009年刊 【日本の小説】 つむら・きくこ(1978~)》

「あの人たちは何でも言う。ちょっとしたことでも、自分たちの有利になることなら何でも言う。自分らの言ってることを信じてなかっても」(80p)

今年に入ってから、小説は津村記久子しか読んでいないことに気づきました。びっくりです。
いつの間に、こんな愛読者になっちゃったんだ。
たぶんわたしにとっては6冊めになるこの本を読みながら、その理由をつらつらと考えてみるに、
主人公が、「世間」と歯を食いしばって闘う“大人になりかけの人たち”っていうのが津村作品の共通点かもしれない。
ここで世間というのは、立場と損得勘定に基づく発言しかしない人々が形成する謎の集合体で、
その理不尽な相手に正面からまともに取り組むと痛い目に遭い、油断してると足をすくわれる。
太宰治の作品(何だったか思い出せない)の中に、「そんなのは世間が許さないぞ」と言われた男が心の中で「俺を許さないのは世間でなくおまえだろう」と呟く場面があったんですが、まさにそれです。

“大人になりかけの人たち”とは年齢不問、ふと「もう中学生には戻れないという当たり前のことが、自分でも不思議なほと胸を突き上げ」(202p)るような人たちで、羞恥心や逡巡をいつも抱えている人たちのこと。
単純に「世間vs.ナイーブな人」という対立を描くのではなく、
さまざまな種類の人間のごった煮である「世間」を、皮肉と諧謔を交えて丁寧に書いているところがとっても信頼できる書き手だなあ、と思うわけです。
あとは「好きな人間のタイプ」がこの作家とわたしは同じ、そんな気もします。

ストーリーは、30歳を目前にしたタケヤス・ヨシズミ・ホカリの同級生3人を軸に、地元商店街「八番筋」の青年部とのあれやこれや、というところで(いいかげんな紹介ですが)、喜劇であり苦い青春ものであり、群像劇でもあり、ちょっと謎解きでもある。

小さなエピソードがピリッと効いていて、さらにそこを無理にストーリーで回収せず、読者の胸にかすかにひっかき傷を残すところがしびれます。

そうそう。「カヤナ」というホカリのいとこの女性が出てくるんですが、この人物造型が見事です。
こりゃ絶対モデルがいるな。
リアルすぎる。

/「八番筋カウンシル」津村記久子