快読日記

日々の読書記録

「飼い喰い 三匹の豚とわたし」内澤旬子

2013年01月20日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
《1/18読了 岩波書店 2012年刊 【ノンフィクション】 うちざわ・じゅんこ(1967~)》

「世界屠畜紀行」の著者が、自ら豚を飼い、(は自分でやっちゃうと犯罪なので業者に依頼)し、食べてみた、約1年間のイラスト&ルポ。

豚を飼うと簡単に言っても、行うは難し。
犬を飼うのとはわけが違います。
クリアしなきゃならない問題も多く、筆者はもちろん、何より協力者たちの尽力ぶりには驚きました。
3頭はそれぞれ伸、夢、秀と名付けられ、筆者の、まさに悪戦苦闘の連続の中で育っていきます。
想像以上にハードで、読み応え満点でした。

だけど、「飼う」「する」までは手に取るように詳しく書かれているのに「喰う」場面になると一変、不思議なくらいあっさりなんです。
なぜだ。
彼らを飼育中、筆者の乳癌の手術から1年経過したという話がチラッと出てくるので、自らの生命の危機とこの「命を預かり、育て、つぶして、喰う」一連の作業は決して無関係ではないと思うんだけど、どうなんだろう。
水木しげるのような「人間はいろんなものを食べますが、死ねば大地に食べられるわけです」の境地にたどり着いている御大ならともかく、ここではしっかり「生命」と「食」についてがっぷり四ツに組み、実感のこもった食レポを書き上げてもらいたかった。

ところで、生前の姿はイラストでしか見られない3頭ですが、内澤ブログにはその画像がアップされています。
読んでから見ると余計にかわいい。
その画像を見ながら、名を呼びかけ、一緒に暮らしてその人柄(豚柄?)に触れ、互いに親しんだ相手を食うことが、はたして自分だったらできるだろうかと考えました。
養豚場に勤めて、そこで可愛がった豚を食う、ならできるかもしれない。
でも、大勢の人に助けられながらも1人で育てたらどうかなあ。
やっぱり難しい。
かわいそうとかそういうんじゃなく。

植物ならどんなに愛情を注いでいても、刈り取って喰うことに何の抵抗も感じないのに。
不思議ですね。
このテーマ、もう少し考えてみたいです。

→「身体のいいなり」内澤旬子

→「世界屠畜紀行」内澤旬子

→「おやじがき 絶滅危惧種中年男性図鑑」内澤旬子


/「飼い喰い 三匹の豚とわたし」内澤旬子