快読日記

日々の読書記録

「紫式部のメッセージ」駒尺喜美

2013年02月04日 | 言語・文芸評論・古典・詩歌
《2/2読了 朝日選書(朝日新聞社) 1991年刊 【文学 評論】 こましゃく・きみ(1925~2007)》

源氏物語、実はしっかり読んだことがなくて(昔、現代教養文庫のダイジェスト現代語訳を読んだだけ)、正直なところあまり関心もなかったんです。
なんだか絶世の美男の、恋を中心とした一代記みたいなものらしい。
でも、そのやりたい放題の男が主人公なら、そんなのをどうしてわざわざ女が書くのかな?
ちゃんと読みたいという気が起こらなかったのはこの根本的な疑問のせいです。
ところがこの本、その辺りにのっけからズバッと答えてくれるんです。

筆者は、そもそも「この時代に女であること自体が悲劇」(139p)であるとし、
「式部はまずここで、女の状況をさし示したのである。どのように立派な男から愛されたとしても、女にとっては悲劇であること、男がどのように主観的には善意にみちあふれていようとも、身勝手な存在であり、本質的に残酷であること、を。わたしは、紫式部は女の不幸を閉じられた円環と見ていたのではないかと思う。どこにも脱出口のないものと見ていたのではないだろうか。それが深い深い動機となって『源氏物語』が書かれたのだ」(63p)と指摘しています。
つまり、源氏はむしろ女たちを描くための狂言回しだと。
加えて、紫式部自身の置かれた状況にも触れ「自己否定と自己肯定に引き裂かれたところに、彼女のシンドさがあり物思いがあったと思う。(略)それこそが『源氏物語』の創造力の源泉」(47p)であると考察し、
「紫式部は、結婚幻想・恋愛幻想に陥っていない女だった」(47p)からこそ、女たちの苦しみ・悲しみをとことん描いたのだと結論づけます。

その意図に沿って、「源氏物語」がどんなに巧みに書かれているかという証明が続き、本当に興奮します。
また、それを見抜けなかった従来の研究者たちの主張を軽やかに論破していくので爽快この上なし。
まさか1000年後に真意を理解してくれる人が現れるなんて、紫式部も草葉の陰で喜んでいることでしょう。

じゃあ、現代に生きる女たちはそんな悲劇に陥らずにいるかと言えばそうではなく、「奴隷は主人の頭でものを考える」(108p)という言葉通り、構造は巧妙に、ますます見えにくくなっているようです。
確かにフェミ視点の論評ですが、そんな食わず嫌いは大損ですね、読めてよかった。

源氏、もし既読でもこの本読んだら再読したくなること必至だから、むしろ先にこの本で正解かも。

/「紫式部のメッセージ」駒尺喜美