降って来るもの

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喝采の詩

2017-11-22 07:01:10 | 随想

               喝采の詩「びばる~ん賛歌」

 

その優しい音色を聴いて、僕の脳裏に”ある企みが”初めて閃いたのは今からもう随分と前の事になる。

あれは確かに縁の神様(絶対に居ると・・)の引き合わせで、四年前の始まりの秋の頃にその”癒し音”に巡り合った。

女房と聴きに行って”良かったな~”と言いながら九十分の道程を帰る車中での事だった。

それから己の小ささを嫌と言う程感じながら虚しく二年の月日が流れた。

ところが、その夢と目的の必然の帰結へと導くように、僕は去年の四月自治会の総会において”公民館館長”という願ってもない肩書を手に入れることになった。今思えば、その様に動いた事態はまさに”天恵”だったように思えるのだ。

それから一年、僕は想いを秘めて自治会役員としての実績を積んだ。用意周到に至るようにと真摯に活動と向き合った。そうして、いよいよ留任した役職のままでの今年の春の役員総会で、三年もの間胸で温めて来た「音楽会の開催」という秘蔵の計画を持ち出したのだ。

誰の反対もなかった。寧ろ即座に賛成の意思表示を貰って、遂に夢が現実になるべくの瞬間へと確実に動き始めたのだ。

一つの奇跡の紛れもない当事者として、その目撃者と成れる幸せな時間が間違いなく到来するのだ。

2017 11/19(日) 10:00 びばる~ん音楽会、開演

強い縁の結ぼれの象徴のような”癒し音”が、薄ら寒い晩秋の山里の風景をも癒すように山野に溶け込んでいった。

そうして、此の夢物語はまだまだ続きがある。僕はその先々で幾つの現実に小躍りするのか、それは大いなる幸せの未確認事項として厳然と僕の中に存在する。

それは多分periodのない物語になる。

そうして僕はその正夢の数だけ己の曼陀羅に色彩を足してゆける。願わくば、その縁の人にとっても、その様に回ってゆく愛しい物語で在り続けますように・・。

                  「夢の続きを」

 

 音楽会が無事に終了した。我が家の息子夫婦と孫二人も(我が家は全員癒し音を聴いた)数に含めて50脚用意した椅子の8割が埋まった。本当は席が足りなくてアタフタと追加する事態に遭遇したかったが、それは如何やら杞憂に終わったようで演奏者さんに申し訳ない気持ちも無きにしも非ずだったが、80戸の団地のイベントとすればそんなものかも知れないとも思う。

 要は何人の参加が有ったかではなく、何人の胸の音叉で共鳴したのか?なのだ。そうしてそれは勝手に慮るしかない代物だから、僕は成功したのだと自画自賛している。

 びばる~んさんにも、癒し音を届けられたと思って貰うしかない。少なくとも僕の家族は大満足で讃歌を惜しまなかった!!との僕の親書を添えて。

    

11/22 07:00 まんぼ 

 

コメント (3)
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