読み方によってはいろいろな意味にとれるみことばであるが、
大変な指導者に解釈されると本当に大変なことになることがある。
公の場、すなわち日曜日の礼拝のときにはあまり見られないが、
早天祈禱など、身内だけでする祈り会のときには多く見られることがある。
つまりみことばを利用しての愚痴が語られているということである。
指導者は守秘義務があるので、他に漏らしてはならないのだが、
祈り会で実名をあげて語ればあっという間に全体的に広がってしまう。
これではみことばが何なのかわからなくなる。
昔政府と教会が繋がっていたときに、都合が悪い箇所は焼き捨てられた。
現在あるみことばは民衆を都合よく抑えるのに用いられたものなので、
指導者が会員を抑えるのに用いられてもおかしくはない。
本当のみことばをいただきたいと思うが残念ながら残っていない。
だから神様から直接いただくしかない。
神様、今日もみことばをください。
あなたご自身からくる愛のみことばを・・・