長い間人間をやっていると、それなりに黒歴史というのが出来てくるものだが、
それにどう向き合ってよいのかわからなくなるときがある。
わたしは前にいた教会の牧師と別れるときに、今度会ったら刺すと言った。
それくらい言わないと決別出来ないと思ったからだ。
やさしいときと、ひどい言葉を発するときとよくわからないひとだった。
自分の両親がそうだったため、もうこれ以上ひどい目にあいたくない一心だった。
わたしが懸命に努めてなれなかった聖職者に、牧師のふたりの息子はなっていて
何事もなかったかのように普通に牧会しているらしい。
おそらくわたしの受けた訓練とは違うものだと思われる。
ひとであればあの訓練では倒れないわけがないからである。
さあそれではどのようにして救いにもっていくかだが、
何事も神様のご計画であり、すべてが益となるということだ。
わたしもこれを受け入れるまでに長い時間がかかったし、
いまも思い出すと腹が立つことが多い。
しかし、やさしい旦那と子どもたち、またこの十勝みのる教会の開設。
いろいろなものが与えられている。
一番良いようにしてくださる神様を見つめながら、
いまを生きている。
本当の救いだと信じながら・・・。