気になる写真!

このブログはその時々の好奇心で、気になった被写体を切り取り、・・・チョットだけ考えてみようと

王宮、ワット・プラ・ケオ は混雑していた

2018-04-29 | 旅行記

近年タイ王国は政権が不安定な状態が続き、その中で軍によるクーデターが起こり騒動が勃発、軍事政権化にあり、

重ねて洪水の被害やテロ騒動、国民から長い間尊敬された国王が亡くなり、息子が新国王に就任、・・・親日国家は今後も続くのでしょうか?

歴史を調べてみました。

貿易都市として重要な位置を占めていたタイ族によるアユタヤ王朝は、14世紀から約400年に渡り繁栄しましたが・・・

宿敵ビルマによって、1767年首都アユタヤは陥落、無残に破壊されてしまいました。

華人を集めてアユタヤ奪還に向かったタークシン(中国名:鄭昭)は無残な首都の光景に再建を断念、南に下りチァオプラヤー川左岸のトンブリーに王朝を建てます。

新王朝は清(中国)に認められず、周囲には敵対勢力が存在するので戦いに明け暮れる年月が続きます。

タークシン王は地元の寺院を改修し、これを守護寺院とします、その後この寺院はワット・アルンと呼ばれ今日に至ります。

タクシーン王国は、将軍チャオプラヤー・チャックリーの活躍もあり勝利を続け、1779年ヴィエンチャンを攻略しエメラルド仏を持ち帰り寺院に安置します。

15年間続いたトンブリー王朝に事件が発生します・・・人気のあったタクシーン王の最大の悩みはタイ族出身でないことだったようで・・・

副官から精神錯乱状態が続くと判断され幽閉されます、知らせを聞いて戦場から戻った部下により処刑されてしまいます・・・この王朝は、一代限りで滅亡しました。

・・・フェリーでチャオプラヤー大河を渡って右岸に向かいます。

船着き場から100mくらい先、左側一帯に白い城壁が続きます、この城壁内に王宮があるようです。

正面入り口は敷地の反対側(北側)になるようで、1kmくらい先まで歩きましょう。

持参のペットボトルを飲みながら、・・・観光客が吸い込まれる正面入り口に到着。

王宮にはふさわしくない・・・通用口と思われるような所で、上部を見上げる

よく見ると精緻な造りです。何やら金文字が

しかし、間違いないようです。ここは思ったより狭い正門(北門)です。

多くの観光客の流れに乗って中に入りましょう。

直ぐ左に王宮警備兵の詰め所があり、警備兵に右側の列に誘導され、服装チェックを受けます。

サンダルの人が結構多いのですが、最近は・・・入場黙認?のようでした。

左の芝生の先に仏塔が見えますが、直進します。

正面門の向こうに宮殿が見えます、しかし、ここのゲートからは入れないようです。

左右の角々に10か所以上の人混みができています。

大声で身振り手振り説明を始めるのはガイドさんでしょう。アジア系の団体客が多いようです。

・・・さてと、この先右側のトイレに行ってから、・・・チケット売り場の案内がある左の建物へ進みます。

室内に入り行列の先、売り場の窓口上部に、500B/人 との表示がありました。

n・・・ン!、1,800円? タイの物価で高すぎるだろう!、 50Bの間違いでは? 見直しても・・・確かに500Bです。

・・・一旦外に出て、手持ちのバーツ紙幣を確認する。

少ない・・・、この後食事、ホテルまでタクシー・・・、しかし、悩むことは全然なかった。

その様な外国人旅行客のために、・・・お金はこちらで・・・目の前、同じ建物のチケット売り場の横に、宝くじ売り場のような両替所の窓口が完備されていました。

・・・両替えは、1B=15円ほどで・・・両替完了。

再度チケット売り場に並びます、・・・外国人だけの列です・・・タイ人は無料のようです、・・・タイ国で一番の観光資源です、観光客相手に良い商売を考えたものだと感心です。

3列に並び、改札ゲートから入場です。

ゲートを抜けて・・・通路を進むと、・・・建物入口の上部に・・・直進と左折の矢印が

 文字が3行・・・上から〇△◇(・・・タイ語)、Entrance(英語)、入口(日本語)と手書きで・・・順路のようです。

足元に気をつけて下さい・・・アナウンスが必要と思えるような、ワット・プラ・ケオ(エメラルド寺院)の入口です。

狭い入口を進みます、両側の壁面描画は猿将軍でしょうか?

正面の寺院の屋根には、見事なクワガタの足?、・・・失礼、魔除け、鳥の頭部の様式でしたか

飾りの名称は、チョーファー:ここの寺院ではタイの守護神、聖鳥ガルーダ(ヒンズー神話から・・・タイ王室の紋章)

他にも想像上の水鳥や象の鼻など・・・これが無いと寺院とは認められないようです。

 ・・・案内に従い、左に曲がると

 

この入口を大きな1対の鬼(ヤック)が守っています。

入口付近は大混雑です、流れで左に進みましょう。

右側に開けた所で一旦停止、左に別の鬼が、赤鬼と緑鬼です。これは双子のようです、

赤が弟、緑が兄で多分あっているでしょう。

この寺院の鬼の手をジックリ見て下さい。

中指に金の指輪をしています。これらのヤックは、ラーマキエン物語に登場するようで名前もあるようです。

こちらは白い身体で小指に指輪をしています。

後ろの建物で日本語のパンフレットを頂いて来ましょう。

ここタイでは、ヤックが門番のような役目をしているので人々に人気があるようです。

表紙に大きく掲載されています。

ワット・プラ・ケオは地図の左角の部分で、王室の守護寺院、ここに王宮と共に1782年に建設を始めています。

お寺ですが・・・王宮の守護寺院で修行する僧侶はいないとのこと。

どうです、右側の奥から入ってきました。この右側の建物に2対のヤックが立っています。

スライド状のような屋根の建物が本堂です。

行列が出来ています、内部に入ってエメラルドの仏(高さ66cm)を拝観する列でしょうか?

先程の王宮のご案内によれば 実際は緑色の翡翠で彫られ、この仏像の由来は、1434年チェンライにある仏塔が落雷で破壊され、

漆喰で覆われた仏像が発見された。漆喰の剥げた部分から緑色の仏像が現れ、取り出された。

チェンマイの王が継承し、後継者の王女の主人がラオス王になり、ラオスに226年間留まっていた。

1778年ラオスの都ヴェインチャンを占領し、エメラルド仏を再びタイに持ち帰ったのがチャオプラヤー将軍。

この仏は、ワット・アルンに持ち帰り、置かれていました。

将軍が仕える王は、タークシン王でした。その王はその後、副臣に幽閉され、戦場から戻った部下に処刑されました。

その部下とは、チャオプラヤー・チャックリー将軍です。

1782年、チャオプラヤー・チャックリー将軍は、川向うからバンコクの地に都を遷都し、チャクリー朝を開きます。

(現在のタイ王家)後に「ラーマ1世」と呼ばれます。

1784年に、この王室守護寺院にエメラルド仏を安置しています。

残念ながら本堂内は撮影禁止です。

本堂の北側には、上部テラスがあり、ロイヤル・パンテオンなど特徴のある建物があります

人通りが多く、撮影は手早く・・・

ここでも、しっかり支えていました。

外側の建物には、ラーマキエン物語が描かれている回廊が続いています。

確か、北側が最初と思いましたが、順を追って観ていないので・・・何とも。

北東の建物では、日差しが強くて床に座って一休み・・・

こちらの建物は、陶器が素晴らしいです。

屋根もアップにしてみましょう。

独特のデザインです。

ブッダにふさわしいような花柄で、鮮やかな彩色です。

こちらは、経堂 プラ・モンドップでしょうか。

そして西側に、黄金の仏塔(チェーディー)

仏舎利が安置されているとのことです。

すごい人混みです、シッカリ門番してよ!

この方は、誰でしたか?

仏塔の西側高台におられた方だと思うのだが・・・

連休明けに、整理の続きを・・・

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ワット・アルン

2018-04-10 | 旅行記

バンコクの観光は、王宮とワット・プラ・ケオから始まるなどと案内しているガイドブックが多かった。

当初はその順路を計画した・・・電車で王宮の最寄りの駅まで行き、そこからタクシーを利用しようと考えていた。

次に隣ブロックに進むと涅槃仏で有名なワット・ポー(ポー寺)があり、さらにチャオプラヤー川を渡し船で渡り対岸のワット・アルン(アルン寺)の観光コースだった。

・・・タクシーは、初乗り料金が安く捕まえやすいが、渋滞区間を通ることを理由に乗車拒否されたり、メーター不使用で高額料金を請求されることがある・・・などに注意ともあった。

ワット・アルンの後は、・・・どうするか、郊外の遺跡アユタヤーに行くには、・・・バンコクの北方約75㎞に位置していた。

江戸時代より長い400年以上の王朝が、日本の戦国時代に繁栄していたそうです。日本との貿易も盛んであの有名な日本人も・・・。

そんなアユタヤー遺跡を回るにはレンタカーが欲しい、無理だとすると電車と徒歩では、・・・熱射病になる、・・・ツアー!、オプショナルツアーがあった。

・・・バンコク到着前日に計画を変更し、対岸のワット・アルンを比較的時間に正確なフェリーで最初に訪問する方法を探しだしたのだった。

しかし、行き過ぎて結果的に早々にタクシーにお世話になった。メーター通りの料金にチップで50B未満だったと思う。

建屋の先に塔が見える。・・・飾り気のないここは裏門でしょうか?、 境内を見ると、・・・すぐ右側に切符売り場があった。

入場券:50B(180円位)

にぎやかな団体客が右側からやってきました。・・・高校生の課外授業でしょうか?

空を見上げるような塔が目前に迫っています。

この建物は、いきなり・・・メインディッシュ・・・でしょうか。

・・・雷門を抜けて、門前町、仲見世通りをユックリ散策してから山門、左に五重塔、右に手水舎、正面浅草寺本堂と徐々に気分が高揚するのは良いものです。

残念ながら、境内の情報を持たないまま裏から入ったので、突然の大仏塔に・・・この高い塔が多分タイのコイン(10B)に描かれた高さ75mの仏塔でしょう。

・・・左側に大きな掲示板があります。

仏像に登るのは厳禁・・・などの注意事項ですが、NOという文字と写真が目立ちます。

タンクトップ、背中の露出、短パン、全て入場にふさわしくない服装で、×と分かり易いです。

・・・空港で出迎えてくれた現地ガイドさん(女史)が車中で、この服装では寺院に入れませんよ、着替えて下さい

とアドバイスされたのがダメージパンツ、・・・ジーンズで若干膝頭が見える服装でもOUTとのことでした。

・・・看板の左下の部分は、・・・なぜか覆い隠されています。

この部分は従来は規制していたのですが、最近OK、入場認めましょう・・・と基準を緩めたのはなぜでしょう?・・・正解は?・・・ワカリマセン

少し左に回り込んで、塔から目一杯離れて全景を・・・、と思ったのですが思いのほか境内が狭く、後ろに下がれずファインダー内に収まりません。

階段の前には四天王のようなガードマン、・・・とにかく、ここは境内の中でどのような状況にあるのでしょうか?気になります・・・

目の前の階段を登り、出来るだけ高い位置を目指します・・・

周回できる廻廊があります。

床からの立ち上がり部には、陶板のようです。中国の影響でしょう、空間の処理が上手ですね。

 

 さらに上部にも回廊があるようです、これだけの絵柄を陶器で焼くのは、相当な資力です。。

この幾何学文様は中華のようで、・・・イスラムの影響も受けているのでしょうか

1/4周もすると、上段に続く階段がありました。

この階段は最近まで登れたのですが・・・、昨年秋、全体の修復工事が終了して喜んでいたのですが・・・、

国王が変わり、登坂は禁止となりました。上部の階段は相当急傾斜です、禁止でやむを得ないでしょう。

塔の上部に牙のような物が見えます。

牙が3本?・・・いや、大きく長い3本は、象の鼻ですが、3面象?頭が3つありました。

この像の上に騎乗している者がおります、右手に何かを持っています。・・・これは調べてみましょう。

・・・検索(ウィキペディア)で調べると、インドラ神が三つの頭を持つ象アイラヴァータの上に鎮座しているとありました。

インドラ神:古代インドの神話における天界の軍神、像に乗り金剛杵の武器を持つ。

・・・このタイ国は仏教王国ですが、仏教が生まれたのはインドです。

インドでは、紀元前カースト制度のバラモン教と後に呼ばれる宗教が生まれ、バラモンという最上位の身分の者は僧侶達でした。彼らによってインドの神様がたくさん作られたようです。

日本の奈良時代もそうだったようですが、特権階級の僧侶はやがて腐敗してしまいます・・・改革しようと仏教 が生まれ、バラモン教は衰退をしながらも変化して生き延びます。

その後、西からイスラム教も渡ってきます。偶像崇拝を禁止するイスラム教は、仏教を圧迫したでしょう。

今日、そのインドは身分の低い階層の信仰をも取入れ、バラモン教から変化したヒンドゥー教の国です。

インドの北部チベットのカイラス山(標高6656m)は、チベット仏教などでは信仰の山とされ聖地ですが、この山は古代インドのヒンドゥ-教でも聖地とされ、宇宙の中心の創造の山、須弥山(シュミセン)となって神話の世界に登場します。

この須弥山の頂上には天上界があり、忉利天(トウリテン)と称される所に喜見城(キケンジョウ)があり、そこに帝釈天(タイシャクテン)が住んでいるとのこと。

・・・まさにこの階段の上の一角が忉利天であり、神の乗り物とされる象と帝釈天がそこに存在しているようです。この頂が天上界の一部のようです。

・・・この階段の麓の回廊で振り返ると、黄金の仏像がありました。

よく見ると、これは珍しい・・・門弟のいる光景です。

こちらは、仏陀と菩提樹 では無いでしょうが、その様な雰囲気の構図です。

再度、振り返ってこの境内で一番高い仏塔を見てみましょう。

塔の先端は、写真で見るチベットのカイラス山に似ています。

これはシヴァ神の象徴の形(バラモン教)でもあり、神話の時代は・・・ギリシャ神話の神も元気で色欲です。

・・・ヒンドゥー教では、輪廻転生(六道の世界)の教えがあります。

六道の世界(六欲界)は日本の仏教でもよく見かけますが、・・・天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の世界を輪廻転生(リンネテンショウ)、・・・生死を繰り返すとの教えです。

須弥山(シュミセン)の中腹から下側は、・・・当然ながら人間界などの五道があり、上の方に天上界があるという。

階段でかつて登れた最上段までが人間界であり、それから上段は天上界を表わしているのでしょう。

天上界は、想像上の須弥山の山頂までが二層に分かれ、下天(ゲテン)・・・(信長が人間50年、下天に・・・使った下天です)その上に、忉利天(トウリテン)があるとされます。

・・・各種資料を斜めに目を通すと、高野山で空海が根本大塔で曼荼羅の世界を立体的に具現化しようとしたように、

神話の世界、宇宙論を具現化しようと、従来の高さ16mの仏塔を現在の約75mの大仏塔に大改修されたのは、19世紀、ラーマ3世の時代とあります。

中央に大塔、周囲に小塔を4塔配置し須弥山の世界を表現しているようです。

四方の峰に(4つの小塔)八天があり、(小塔は、下側はスリムな形だった)

これらを合わせると三十三天と呼ばれます。

・・・天上界はまだ続き、ここから上は四段階の層になり、山頂の上空・・・空中に浮いているそうです。(計六層が天上界との教えです)

 

この天上界まで、欲望や煩悩と縁が切れない六道の世界、・・・輪廻転生の世界です。

ではその天上界の上には、声聞界(ショウモンカイ)、縁覚界(エンカクカイ)、菩薩界(ボサツカイ)、仏界(ブッカイ)があるという。

この古代インドの教えや、仏教では、六道と天上界の上の仏界まで合わせて十界(ジッカイ)であり、

仏界にあるのが、・・・天国ではなく・・・極楽浄土、・・・仏教の極楽浄土の世界は、この天空にあるとの教えです。

・・・境内の隅に移動して、小塔から奥の大塔を見上げてみます。

大塔の上部の階段が急傾斜なのが分かります。

・・・下界で、向こうに黄金の仏像が見えます。

優しい顔立ちの仏像でした。

境内の散策がほぼ終わり、思ったより狭い、正方形のようです。

・・・出口に向かいましょう。

ここにも恵比寿大黒様のような仏像がありました。

そして、警備員がいる正面から・・・境内を後にします。

大半の観光客はこちらの正面入り口からの入場となります。

左右にある建物・・・境内に向かって、右側の内部に入ってみましょう。

いきなり華僑の香り、中華の雰囲気です、提灯が下がり・・・

金色、赤、緑、鮮やかな色彩が溢れ、奉納品が所狭しと・・・

奥には、落ち着いた雰囲気の仏像が沢山・・・寺院を出て

ここまで離れてくると、やっとワット・アルンの全景が見えてきます。

左から小塔(大塔と形が同じ)、一つ飛ばして、中央に大塔、重なって手前に小塔、また一つ飛ばして右端木立の向こうに小塔と見えています。

残る小塔は、大塔の裏側にあり、四方を囲む配置が見て取れます。

更に川の上流側に少し移動します。

案内板がありました。

・・・北にあたる右側が川です、上流は上(西側)です。

上流に行き過ぎてタクシーで左側の道路を上から戻ってきて、中央よりやや下の小道を右側に進んで大きな正方形の境内に入ったのでした。

正方形の境内の右側に、小さな二つの長方形の建物があり、この間を通って正面入り口から出てきました。

そして上流(上方)に進むとこの案内板があり、近くには長方形の大きな建物があります。

これが、その建物です、このようなタイ国らしいオレンジの屋根の寺院は、温かみを感じさせてくれます。

タイ国政府観光庁のワット・アルンの案内文です。

アルンとは「暁」という意味で、三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれた寺院です。

アユタヤ時代に建立され、当時はワット・マコークという小さな寺院でしたが、1779年、トンブリ王朝のタクシン王がエメラルド仏を祀りワット・アルンと名付け、第一級王室寺院としました。

トンブリ王朝からチャクリー王朝となってからはワット・プラ・ケオが第一級王室寺院となり、エメラルド仏も移されました。

大仏塔の右にある本堂はラーマ2世の建立で、台座には王の遺骨が納められています。

本堂 です。

門番のヤック(鬼)がいます。

これは、タイ人は誰でも知っている「ラーマキエン物語」(古代インド、バラモン教の「ラーマヤナ」のタイ国版。

冥界が登場し王が王妃を取り戻すギリシャ神話のような、

昔話の鬼退治のような、ヤマタノオロチが登場する建国物語のような、

元祖インド版は悲しい最後、タイ国版はハッピーエンドで長い物語に・・・そんなこんなで鬼も人気があるのでしょうか。

船着き場は、何ヵ所かありましたが上流のこの建物から、対岸に渡りましょう。

WAT PHO と赤い大きな矢印で分かり易いですね。

片道切符4Bを購入し、間もなく乗船です。

 

少し上流に進みユーターン、横断です。のどかな春の海、下流に高層ビルが見えます。

 右にワット・アルンです。

・・・やはりワット・ポーから川を渡って、・・・この全景を、この景色を眺めてからワット・アルンに入場するのがお勧めです。

 

直ぐ対岸かと思っていましたが、なぜか横断と接岸に時間がかかっています。

大きなエンジン音を響かせて、危険なボートが結構走っています。

何故このような水しぶきを飛ばして走行しているのでしょう?

多分、他から取り外した中古エンジンを再利用しているようです。

エンジンを船底において水平にシャフトを伸ばし、船尾に孔をあけ(防水して)船外にスクリューを取り付けるには・・・難しい。

エンジンを船尾の甲板の台に取付け、台を上下左右に動くようにします。

そのままシャフトを長くして、スクリューを水面から水中に上下に動かしながら出し入れしているのです。

水平に近くなれば推進力が大きくなるので、水面近くでこのような水しぶきを上げながら他の迷惑顧みず商売に励んでいるように見えます。

 やっと、ワット・ポー側に接岸します。

桟橋から・・・この小屋を目指します。

建物内では、渡し船の切符売り場があり、食堂や売店もあります。

薄暗い通路を抜けて・・・AM9:40 まだ10時前でした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通勤ラッシュ前にバンコクの街へ

2018-04-02 | 旅行記

現地時間、AM6:30頃ホテルに到着、車から降りると・・・日が明けてきたようです。

早速 真夏のバンコク仕様に・・・着替えが必要となります。

フロントに荷物を預け、バンコク市内の観光案内地図を入手し、出かけましょう・・・今日の予定は、PM1:00まで自由行動。

午後にオプションツアーで、アユタヤ観光を予約しているだけだった。

・・・バンコクの通勤ラッシュは道路以外に電車も相当混雑するそうで、早めに電車に乗ろう・・・気が焦る。

時間は朝7時ちょっと前、繁華街のスクンビット通りを最寄りの駅に向かって歩く。

右側の道路、・・・車は日本と同じ左側通行です、これは良い、行き先に向かってタクシーを拾うにも分かり易い。

さて、道路の上を走っているのは・・・高速道路ではなく・・・上の方に架線が見えます、これが高架式の鉄道です。

道路の渋滞緩和に期待されて、1999年に開業した天空を走る鉄道スカイトレインです。

目前に横断橋のように道路に架かった橋が見えてきました。

左に見える大きな曲面が特徴のモダンな建物は、ターミナル21、有名なショッピングモールです。

ターミナル21は、2階で右側の電車の駅と繋がっていました。帰りに寄りましょう。

・・・手前の階段を上がって、これから道路の中程の通路を100mくらい駅に向かって歩きます。

このスカイトレインは、券売機がコイン専用が多いとのことでホテルで適当に両替してきました。

駅到着。・・・改札の手前で券売機が1台見えました。その横には路線図で駅名が表示されています。

この駅はASOK(アソーク)と言うことが解りました。

これから乗る緑の路線から、青の路線に乗り換える駅は・・・4駅先のSIAM(サイアム)のようです。

・・・そして5つ目くらいでチャオ・プラヤー川の手前の駅、SAPHN TAKSIN(サパーン・タクシン)が目的地です。

その駅には、数字が37か42か忘れたが表示されていた。券売機にも数字が表示されたボタンが並んでいる。

最近値上げされたばかりのようです。

では切符を購入しようと券売機に小銭を適当に投入するが、なかなか表示の数字に達しない。

適当に7~8個以上入れても反応が無い・・・一番大きなコインが10B(バーツ)で、それ以下はあまり役に立たないのに気が付いた。

これで3人分を購入するには、・・・大量のコインは・・・無い、・・・日が暮れると気づき、リセット、返金を受ける。

・・・改札横の窓口で購入するのが早い、担当はスキルアップのために娘の役目、係員に行き先の数字と人数を説明し、カードサイズのプラスチック製切符を購入することができた。

カードを投入し自動改札を通り抜け、右側の階段で上階のホームへと思うが・・・表示されている行き先のタイ語は理解不能

係員に、コートート、サイアムと言うと右側の階段を指示して丁寧に教えて頂けた。

初のバンコク、BTS(スカイトレイン)ホーム、ここは地上3階のようです。

んn、何か?、ホームの縁にあるのは、安全扉のようで扉でない、デジタル・サイネージ(電子看板)が置かれているようだ。

駅構内、正面のビル壁面、あちこちに・・・多くの大型映像が流れているのに驚いた。

この街は雑然としているが、最近再び経済が上向き、活気にあふれた大都会、想像以上です。

電車が入って来て、多くの人が降りてきました。

ここから多少歩くが、メトロ(MRT)地下鉄に乗り換えができる利用客の多い駅です。

先程入手した路線図を見てみましょう。(メトロは青の細いコの字、一路線のみ)

分かり難いが、黄緑の路線(スクンビット線)右横から9個目の駅から中央で紺色の(シーロム線)で左下の青い川岸の駅まで行きます。

後にこの路線図が失敗の要因になりましたが、・・・

電車の中は、清潔な車内で安心・・・

(東京で昨夜、浜松町に向かう電車、・・・何故か黒いカラが沢山ぶらさっがているような異様な光景に出会いゾッとしました。

車内には、幅広のトライアングル状の取っ手と長い柄が、全て真っ黒な樹脂製で・・・無数に狭い間隔でぶら下がっていたのです。

黒は再生樹脂が使えるし、汚れが目立たない?・・・そんな下らない理由ではないでしょうが、久しぶりに乗った電車が、

・・・いつの間に、こんな黒い物体がぶら下がったデザインが採用されていたのか、これが最先端の東京?・・・何故話題にならないのか?・・・驚いたばかりでした)

そんな事を思い出していると、・・・乗り換えです。

さてと・・・人々の流れは一方向・・・下りエスカレータに乗りましょう。

下の階で、多分左だろうと・・・左に進むと・・・違う電車のホームのようです。

ここは3階、先程降車したホームは4階だったのでしょう。

しばらく待っていると、右側から隣の始発駅を出てきた電車が入って来ました。

電車に乗り込み、ドア近くに立っていると、こんな風景がありました。

AM7:37、この路線に乗り換えて間もなく、カーブの所で郊外から都心に乗り込む高速道路の渋滞が目に飛び込んできました。

走っている車は圧倒的に日本車です。バイク通勤が多いのは、アジアの特徴・・・走行が?、3車線が当然のごとく6車線になっています。

・・・降車駅を間違えずに下車し、進行方向の出口に進みます。

進行方向に川があるはずです。

改札を出て高架鉄道の下の道を川に向かって進むと、船着き場が・・・左に一か所と思ったが右側にもボートが見えた。

何かタブロイド版のようなペーパーを配布している人に話しかけようとすると・・・手を振り、何故か避けられた。

古風な船や、高速ボート、小型観光船、乗合船・・・イヤーいろんな船が人々を運んでいるので、これは困った。

先程の路線図で、川の左岸にお寺のマークの表示が2,3個あった・・・行き先は川の左岸のお寺。

路線図の寺の名前は、・・・文字が小さくて読めなかった。

・・・左に進み家族の者が小さな案内所の係員に、地図を差して、どこの乗り場のどの列に並ぶのか教えてもらった。

一番左の大勢の列のようです。途中で切符を買う、予想外に安かった。

計画ではチョプラヤエクスプレスボート、50B、高速船で15分くらいの予定だったが、忘れていた。

他の代替手段でも良いだろうと列に並んだ。

10分弱並んでいただろうか、異様に高音のホイッスルの音がして乗合船が接岸し、乗船が始まった。

 

この付近で川幅は、・・・200mくらいかな。

川の右岸で、船着き場らしいのが見えた、通り過ぎてから船員のホイッスルが鳴り、停船、バックし始めた。

まもなく発進、乗り降りがあったのだろう。

乗り降りは、船体後部の甲板が桟橋と同じくらいの高さになり、この後部から乗船します。

屋根が付いた船室に階段を降りて入り、中央に通路があり左右に2座席の椅子が並ぶ。

通路にも客が並び、100人位は乗船しているでしょうか。

年配の女性が検札にやって来た。乗り場から新しいお客が乗船すると、検札に周って来る。

欧米の観光客も結構乗り込んでいたが、もちろん地元の人が、通勤を始め気軽に利用する安価な交通手段です。

川の右岸に独特の屋根を持つ寺院が見えている。

やがて、外人観光客が後部に移動し始めた、・・・川の右側を上流に向かってずっと走っていた。

ワット・ポー(涅槃の巨大な大仏で有名)や王宮は後で行く予定だった。

高速船は川の左岸の寺院に停船するらしいが、通常の各駅停車は川の右岸を次々に、・・・エッ、左岸には行かない?。

・・・チャオプラヤー川の右岸を次々と弓上に上流に続く航路が書かれていたのを思い出した。

この船はワット・ポー側に着いてしまう、一旦降りて、往復切符を買って(8Bと安価)川を横切るしかないか?

後方に移動しようとすると・・・椅子に座っていた家族が手にしている路線図をのぞいて、後ろの座席の老紳士が尋ねていた。

家族が指さすのは、・・・川の左岸にある寺院マーク。

老紳士・・・ここではない、まだ先、大丈夫・・・と下船は早いとアドバイス。

船内からは後部甲板は見えないが・・・ホイッスルが鳴り、多くの人が下船したようです。

チャオプラヤー川の左岸の寺院と言えばマークが三つあったが、暁の〇〇寺院は別格で有名だから説明しなくても間違うことは無いだろう。

しかし、気になるのは、ワット・ポーの川の反対側に位置するので、先程がワット・ポーだったと思う、・・・多分通り過ぎた。

ウーン、地図を取り寄せ左岸を見ようとすると、老紳士、大丈夫まだ先、安心させようとする。

結局10分以上走ったか、・・・マア、川の左岸に着けば多少行き過ぎても大きな街でしょう、何があるか散策も楽しみです。

陸続きだったら、・・・タクシーでなんとかなるでしょう。

思案していると・・・老紳士、・・・後ろへと親切に下船の移動を勧められた。

お礼を言って下船

ここで降りたのは、他に数人だった。時間は、AM8:17。

何か、観光地の大寺院とは違う、学生街、役所?

改札を出ると、ロータリーや広場は無く極小寺院が出迎えてくれた。

少し歩くと、緑の街路樹?公園?右側に近代的な建物

予想外の散策コースに戸惑い、ここはどこ?

船着き場からの道は、公園内の遊歩道のような感じです。

50mくらい進むと、突然目の前にUの字の道路が現れた。

この先前方100mくらいに交差点があり、右側のビルに沿って2車線の道路が目の前にきてUターンして、左側のビルに沿って交差点に戻っていく。

両端の道路の真ん中に下り坂の2車線の道路があるが・・・多分地下駐車場に出入りする道路でしょう。

左の建物に沿ってビルの横の軒下のような歩道を進んで交差点にたどり着いて、右前方は塀の中に駐車場、内部に小規模な寺院が見える。

左は狭い道路、左前方は古びた塀の前に露店が並び朝の食事の人々が見える。

予想外だった、散策するには刺激が無さすぎる・・・ロータリの交差点を渡り、塀の中の寺院へ

100mくらい進んで断念した、多分この先に駅がある、目的の暁の寺院より相当上流に来てしまった。

・・・戻ろう、先程のロータリに近づくと、派手な女性に声を掛けられた。

スーツケースも引いてない、ガイドブックも開いていないが、交差点から駐車場に入り5分もしないで違う所から戻って来た。

・・・困りごとですか? どこに行きたいのでしょうか?。

忘れていた、スマホのエバーノート(メモアプリ)にスケジュールをメモしておいた。

調べ始めると画像が表示されるのかと彼女ものぞき込むが、文字ばかりで・・・、

・・・”ワット・アルン”と言うと、すぐに納得して、ロータリの警備員?にタクシー を止めさせた。

そして、親切にドライバーに行き先を説明し乗車させてくれた。

丁寧に礼をしなければ・・・コップン・クラップ、コップン・カ と皆でお礼を述べてタクシーへ。

改めて、路線図を調べると、川の左岸に3か所寺院のマークがあったのですが、目的地は中ほどのマークが Wat Arunでした。

ここは目的地から2.5kmくらい上流の一番上のマーク Wat Rakhang でした。

寺院のマークの横に駅のマークがありThon Buri RailWay Station の表示がありました。

先程の両側のビルは病院でした。

多少渋滞に巻き込まれることになったが、ワット・アルン(暁の寺院)の裏側付近の道路で、タクシを降り、

真っ直ぐとのアドバイスで、・・・

裏側の入口に向かいます。時間は8:45です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする