私にとって1,2次よりはるかに聴くのがしんどい予選でした。
その理由の第一に藤満健の《栗林の四季~庭園にて》これがものすごくつまらない。弱音でポツンポツンと奏でる和音、拍節にとらわれない間で自然でも表現しているつもりなのでしょうが、そんなものは武満徹あたりから吐いて捨てるほどある現代音楽のステレオタイプそのものです。さらに興ざめなのは、激しい指使いを要求される強奏部へと移行する様に何の必然性もないこと。演奏者の技量を測ることを目的としているのがみえみえ、栗林の自然のイメージなど一切感じ取れませんでした。それとも、作曲者は夏に栗林公園を訪れたそうですが、その日に台風でも直撃したんですかねえ?
藤満健は出発点こそ作曲家だったようですが、最近のキャリアはもっぱら演奏家のようで作曲家としてのキャリアを積んでいないような人になぜ委嘱したのか理解不能です。日本にはもっと面白い作品を作れる人はいるのですから、こういうところで委嘱料を出し惜しみしないでいただきたいものです。いずれにせよ、昨日の10回の演奏のみでもう二度と演奏されることも無いでしょうね。4年前の《屋島》のごとく。
第二の理由は個人的なこと、私はモーツァルトの良さが分からないのです。日本はアジアの中で最もモーツァルトの演奏頻度が高いらしいですが、皆さん本当に分かって楽しんでいるのでしょうか?あの作品って、相当に西洋音楽の理論やルール(和声とか対位法とか楽典とか)に精通していないと、ルールを知らずにアメリカンフットボールを見るのと同じくらいに楽しめないと思うんですが、一般的にはそうではないんですかね?
私は強弱の変化や音色の多様さ、豊かなリズム、身を切られるような痛々しさから人目もはばからずおおはしゃぎしてしまうような喜びの表現に心が惹かれる性質で、モーツァルトにそういう方向性の面白さを求めることは不可能なので、どこを楽しめばよいのか、今の私には分かりません。
そんなわけで、よほど突出した演奏で無い限り演奏の良し悪しは分かりませんでした。
またこういった理由のために、私が応援していた6名の演奏がどうであるかが主な興味の対象であり、他4名ははっきりいってどうでも良いと思っていたことを最初にお断りしておきます。
△No.7 イリーナ・ザハレンコバ
静かに奏でられる高音部の和音に透き通った冬のイメージを感じさせるのはさすが。しかし曲が進むにつれ音楽の持つイメージが伝わらなくなってきた。曲が悪いのもあるが、演奏者自身あまり理解し切れていないのだろう。
モーツァルトの1,3楽章は、演奏者の特性に明らかに合っておらず、音と戯れている感じが伝わってこない。2楽章こそロマンチックでいい演奏だったが…本戦でもう一度会いたいという期待を込めての△。叶わなかったが。
No.8 花田 えり佳
演奏の終了前後で唯一オーケストラに向かって握手も礼もしなかった人。
演奏にもそれと同じくらい礼儀もゆとりが無く、《栗林》は音楽の流れに対する配慮が全く出来ておらず、特にペダルの切り方はあまりにも雑。
《モーツァルト》そもそもなぜ3次まで残ったのか分からないほど突出した個性が無い人だから、ある意味音楽の邪魔をせずにすんでいて、安心して何も考えずに聴ける。だが、オーケストラと分離していたところがあったし、やはりここでもペダルの切り方が下手糞だった。
〇No.15 イ・ジンヒョン
《栗林》音の持つ性質を良くとらえており、あいまいにごまかすことなく、自然に入り込める演奏。あきらかに前二者とは違っていた。
モーツァルト、こういう曲では2次までのようにはしゃぐことができず、どこまでも正統派を突き詰めなければいけないため、悪くは無いが精彩を欠いていた。
No.19 マリアンナ・プリヴァルスカヤ
《栗林》不協和音にも品がある。良い意味で抑制された演奏。
モーツァルトは、1,2次と全く興味のもてない演奏者だったので、寝ながら聴いていました。「出来は良いかもしれないけど、彼女が本戦通ってしまったら、調子の悪かったNo.7が通らなくなるかもしれないなあ、まずいなあ」とか思いながら。
No.22 富田珠理
《栗林》弱音、間の取り方はいい感じだったが、難易度の高い強奏部で技術力の不足が露呈してしまった。
その技術の問題が、全くごまかしが効かないモーツァルトでははっきりと出てしまい、指のもつれで音楽の流れが澱む個所があちこちに見受けられた。。表現面では、全体的におとなしい。
これでは、残念ながら香川枠と言われても仕方がない。
〇No.23 ダニイル・ツベトコフ
《栗林》を一つの現代音楽と割り切った技術力アピールに徹しており、もはや栗林も自然も日本も感じさせることの無い、シェーンベルクとかブーレーズとかその辺を彷彿とさせる演奏。こういう方向性で責めきったのは彼のみ。意図してかどうかは知らないが、中身の無い音楽を効果的に聴かせるコンクールの戦術としては見事。
モーツァルトは高い基礎力を背景に知的で揺るぎの無い演奏。
〇No.25 ゲオルギー・ボイロチニコフ
No.23とは逆に、《栗林》をロマン派風の表現でとらえており、場面ごとの表情付けが優れていた。彼は音色に対する感性がとにかくすごい。
しかしモーツァルトは明らかに適性が無く、印象に残らなかった。
No.28 アレクサンドル・ヤコブレフ
悪くは無いのだが、印象としてはNo.23とNo.25を足して2で割った感じ。技術力が高いのは分かるが、前二者と比較すると、どうしても応援したくなる演奏ではない。
No.33 リー・ユンヤン
ロシア3人組の演奏の後で、彼らと比較しそれほど方向性も技術力も違いがあるわけではないので、驚きも感動も無く、全く印象に残っていない。
〇No.34 石村 純
《栗林》凛とした音色で、不協和音も強奏部も何かしらの美しさが表現されている点が、他の9人には無い音楽の組み立てであった。
1,2,3次とたくさんの演奏を聴き、素晴らしいキャラクター、個性のある演奏者に少なからず出会えた。しかしそういった演奏者も演奏曲目や順番によっていまいち実力が発揮できなかったり埋もれてしまったりすることもしばしばあった。そんな中、彼女の演奏は明らかに別次元にあり、ひとり音が浮き上がって聞こえる。多分、彼女は今、何を弾いても彼女らしい演奏ができる状態にあるのだろう。結果発表を聞く前から、通ることは確信していた。本戦のオオトリを楽しみにしたい。