数字なんか嫌いだ!これが殆どの人でしょう。飛行機事故で死ぬ確率より100倍も可能性が少ない宝くじを買う人や、「たった1日タバコ1箱分ですよ」と言われて高い買い物をする人が跡を絶たないのがその証拠です。自分もイチキュウッパ(¥1、980)に弱い一人です。そんな「善良」な我々をたぶらかす数字好きの割合は50人に1人だと信じています。これには懐かしい根拠があります。
当時(昭和20年代)の小学生は、今のインドやベトナムで「沢山勉強して国の役に立ちたいと思います」なんて答える立派な小学生とは大違いです。食料事情は多少好転していましたが、甘いものも遊び道具もありません。こうした状況下では勉強より「即戦力」、即ち「何かを作れる子」「何かを調達できる子」が偉かったのです。何しろ先生自身(堀田先生、後に静岡サッカーの礎を築いた人です)がその代表で次々と面白い遊びを見つけてくるので、50人のクラスで勉強、特に算数が好きな子はいませんでした。一人の例外を除いて・・・。
それが河合君でした。身体は大きい方ですが動きが鈍いので「いちご作戦」のような重大任務には連れて行けません。なぜ仲間になっているかと言うと、彼が我々の宿題をやってくれるからです。報酬は我々が身体を張って「獲得」したいちごです。言わば「うつぼ」と「エビ」のような「共生関係」であった訳です。しかし「エビ」にはエビの意地があったのか、ある日突然言い出しました。「おまいら、どこから宇宙か知ってるか?」「・・・」
当時「宇宙」とは途方もなく広く、時々火星人が地球の様子を見に来る程度の認識しかありません。自分も幼稚園の頃、円盤を見たことがあるので、宇宙戦争になったら「タコ」には「イカ」で対抗しようとは思っていましたが、どこから「宇宙」なのかなんて考えたこともありません。彼の説明では「空気がなくなって人間が生きられないところ」から宇宙だそうです。ガキのことで数字で答えられないので、ここ(清水)からどこらまで、と考えます。一番「近い」距離で答えたのが「北海道」、一番遠い距離は「アフリカ」でした。全員大外れでした。
彼は誇らしげに正解を告げます。「12キロさ!」「・・・」早速地図で調べると隣の静岡市程度です。そしてこの距離は我々の「いちご作戦」の攻撃目標である久能山への往復距離よりも短いのでした。つまり我々は1週間に1度は宇宙遠征をしていたことになります。いちご作戦の前途に不安を感じていた我々がいきなり「地球戦士」になったのは言うまではありません。しかし、この勇気が仇となって我々の作戦は学校の知るところとなり、貴重ないちごを盗み食いしたガキ共は全員ビンタを食らって「りんご」になった顛末は前のブログに書いた通りです。勿論、「当事者」ではない彼の名前は出しませんでした。(その後、宇宙は上空100キロとの目安ができましたが、それでも東京から直線で伊東温泉までです。)
10年ほど前の同窓会で、某国立大学の理系を出て三菱グループの部長になっていた彼から「あのいちご」のお礼なのか、けっこうな差入れがありました。やはり数字に強かったのです。そう言えば最近の経済事件で逮捕された村上某などを見ると、ガキの頃は喧嘩も弱くその分勉強、特に数字に強くなったであろうことは容易に想像できます。我々はこうした実感のない数字を操る連中に復讐されているのかの知れません。
当時(昭和20年代)の小学生は、今のインドやベトナムで「沢山勉強して国の役に立ちたいと思います」なんて答える立派な小学生とは大違いです。食料事情は多少好転していましたが、甘いものも遊び道具もありません。こうした状況下では勉強より「即戦力」、即ち「何かを作れる子」「何かを調達できる子」が偉かったのです。何しろ先生自身(堀田先生、後に静岡サッカーの礎を築いた人です)がその代表で次々と面白い遊びを見つけてくるので、50人のクラスで勉強、特に算数が好きな子はいませんでした。一人の例外を除いて・・・。
それが河合君でした。身体は大きい方ですが動きが鈍いので「いちご作戦」のような重大任務には連れて行けません。なぜ仲間になっているかと言うと、彼が我々の宿題をやってくれるからです。報酬は我々が身体を張って「獲得」したいちごです。言わば「うつぼ」と「エビ」のような「共生関係」であった訳です。しかし「エビ」にはエビの意地があったのか、ある日突然言い出しました。「おまいら、どこから宇宙か知ってるか?」「・・・」
当時「宇宙」とは途方もなく広く、時々火星人が地球の様子を見に来る程度の認識しかありません。自分も幼稚園の頃、円盤を見たことがあるので、宇宙戦争になったら「タコ」には「イカ」で対抗しようとは思っていましたが、どこから「宇宙」なのかなんて考えたこともありません。彼の説明では「空気がなくなって人間が生きられないところ」から宇宙だそうです。ガキのことで数字で答えられないので、ここ(清水)からどこらまで、と考えます。一番「近い」距離で答えたのが「北海道」、一番遠い距離は「アフリカ」でした。全員大外れでした。
彼は誇らしげに正解を告げます。「12キロさ!」「・・・」早速地図で調べると隣の静岡市程度です。そしてこの距離は我々の「いちご作戦」の攻撃目標である久能山への往復距離よりも短いのでした。つまり我々は1週間に1度は宇宙遠征をしていたことになります。いちご作戦の前途に不安を感じていた我々がいきなり「地球戦士」になったのは言うまではありません。しかし、この勇気が仇となって我々の作戦は学校の知るところとなり、貴重ないちごを盗み食いしたガキ共は全員ビンタを食らって「りんご」になった顛末は前のブログに書いた通りです。勿論、「当事者」ではない彼の名前は出しませんでした。(その後、宇宙は上空100キロとの目安ができましたが、それでも東京から直線で伊東温泉までです。)
10年ほど前の同窓会で、某国立大学の理系を出て三菱グループの部長になっていた彼から「あのいちご」のお礼なのか、けっこうな差入れがありました。やはり数字に強かったのです。そう言えば最近の経済事件で逮捕された村上某などを見ると、ガキの頃は喧嘩も弱くその分勉強、特に数字に強くなったであろうことは容易に想像できます。我々はこうした実感のない数字を操る連中に復讐されているのかの知れません。