この7月、サッカーのワールドカップ決勝戦をテレビで観戦するうち、ふっと靖国論議を思った。 決勝の試合はヒトラーが1936年にベルリン五輪を開き、侵略や虐殺につながる国威発揚の 大演説をしたオリンピック競技場で催されたからだ。だが「大虐殺を働いた独裁者が政治利用 した場所での競技は人民の感情を傷つける」と非難する声はどこにもなかった。
中国の靖国非難は「靖国が軍国主義の精神拠点だったから」という主張が基盤となっている ようだ。その種の主張を拡大すると、ベルリン競技場のいまの使用もけしからんということにな りかねない。その主張のもう一つの基盤は日本が過去に中国に対し悪事を働いたから、中国 は日本の戦没者の追悼の方法など命令や指示をする資格がある、という思考のようだ。だが この世界に過去に他国への何の悪事も働いたことのない国など存在しない。国際社会での各 国は悪事へのそれなりの制裁や自省の後はみな相互に妥協し、許容していくことが基本である。
私は日本の首相を含む国民の靖国神社参拝は信仰かつ礼拝であり、日本自身が判断するこ とであって、米国も中国も韓国も介入すべきではない、と考える。私は妻とともに自分たちで選 んだ教会に毎週、通う。私たちの隣人は教会にはまったく足を向けない。だが、お互い何も干渉 しない。これこそ米国で最も深く保たれる礼拝や信仰の自由なのだ。他国の人たちに信仰の有 無を問い、求めることはない。
日本の首相や国民が靖国を参拝することはこの信仰や礼拝の自由に基づく慣行であり、他者 がその方法を非難すべきではない。とくに死者を悼む行為は悼む側には重大かつ深遠であり、 外部の押しつけがあってはならない。
靖国神社はある面でワシントンにある国立のベトナム戦争記念碑に似ている。同記念碑には ベトナム戦争の死者の名がすべて刻まれ、遺骨などは埋葬されていない。私は時折、友人や いとこの霊を悼むために記念碑を訪れる。私個人の信仰や礼拝だといえる。記念碑の友人た ちの名に祈りをささげても、ベトナム戦争全体への礼賛や支持を意味はしない。ベトナム戦争 に反対する人が私の祈りを止めることもできない。同様に一国の政府が自国の基準だけで他 国の指導者や国民の戦没者の追悼に文句をつけることは、不当であり傲慢だと思う。
私は長年、軍備管理とともに中国をも研究してきたが、中国には一面、自国を中華帝国として 世界の中心にみる傾向が強く、物事への対応にしても「中国方式でなければ間違った方式だ」 という思考が消えていない。外国の言動に満足するということが少ないのだ。日本の首相が靖 国参拝の停止を言明すれば、中国が満足するという主張は無知に近い。中国は必ず日本に対 し他の案件を指摘し、抗議や要求をぶつけてくる。だから日本側は日中関係全体を人質にとって の靖国攻撃という中国側の戦術の危険に陥ってはならない。
中国では毛沢東主席が数千万の中国人の死に責任を有することはいまや明白だろう。日本の A級戦犯も他者を死に追いやったという点では毛氏の軌跡には足元にも及ばない。中国は国家 全体でその毛主席に弔意を表明し、日本の指導者が靖国の戦没者の霊に弔意を表することは 許せないというのだ。矛盾といわざるを得ない。中国には日本の戦没者追悼に対し一定の方法 を命令する権利はないのだ。
米国の一部にも日本の首相に靖国参拝を停止することを求めるべきだと主張する人たちがいる。 首相が参拝をやめれば、日中関係が改善されるという前提だろうが、その前提が間違っている。
日中関係は靖国問題をはるかに超える、きわめて複雑な利害や権益のからみあいなのだ。米国 にとっていまの日本は全世界でも最も信頼のできる貴重な民主主義の同盟パートナーである。 その日本が自国の判断で決めた方法で戦没者を追悼することを米国も中国も尊重すべきだ。(談)
◇ 【プロフィル】トーマス・スニッチ
1970年代にアメリカン大学で中国問題や軍備管理の研究で修士号と博士号を取得。同大学の 助教授を経て81年から87年まで米国政府軍備管理軍縮局上級顧問(核兵器管理、アジア安全 保障担当)。現在は科学技術調査企業「リトルフォールズ・アソシエイツ」社代表。
▽ソース:産経新聞 2006年8月5日付 3面
【産経】トーマス・スニッチ氏:「靖国神社での戦没者追悼に対する中国の非難は不当・傲慢だ」 [08/05]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1154734965/-100
「中国、戦術的な優位狙う」 靖国参拝で米紙コラム
【ワシントン=山本秀也】小泉純一郎首相による終戦の日(8月15日)の靖国神社参拝について、米紙ワシントン・ポストは20日、首相の参拝中止を求める中国などの主張は「(日本に対し)戦術的に有利な立場」を得るのがねらいだとして、むしろ戦後日本の民主化努力を評価するコラムを掲載した。17日付の同紙は次期首相に参拝中止を迫るリベラル派国際政治学者の日本批判論を掲載したが、首相参拝に対する批判が目立った米言論界の変化をうかがわせている。
保守系論客の同紙コラムニスト、ジム・ホーグランド氏は、第二次世界大戦の旧枢軸国の日本とドイツが戦後約60年間で完全な民主主義国家に転換したことを国際社会が評価すべきだと主張。国連安全保障理事会の常任理事国入りでは日本をまず選任することが「国連改革の第一歩」と論じた。
靖国神社に関して同氏は「戦犯賛美」と受け止められるものを取り除くことが常任理事国入りの道を開くとしながらも、中国などの参拝批判については「日本より道徳的に上だと振る舞うことで、史実ではなく、戦術的に有利な立場を追求している」と指摘した。
17日に掲載された米プリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授(国際政治)の寄稿は「日本は首相参拝を終わらせる名誉ある道を探すべきだ。あるいはA級戦犯の分祀(ぶんし)をひそかに神社関係者に促す必要がある」と論じ、その上で次期首相が中韓首脳と東京で会談すべきだと指摘した。
教授は近隣諸国との「歴史をめぐる和解」について、日本が戦後のドイツにならうよう求めるなど中韓の立場に通じるリベラル派の主張を展開した。「普通の国」を目指す日本の取り組みについて、教授は「再軍備」として懸念を表明。米政府が「東洋の英国」といった同盟パートナーを日本に求めるのをやめ、欧州との関係を重視したドイツの道を日本にも歩ませるべきだと指摘した。
≪米・軍備管理軍縮局元上級顧問 トーマス・スニッチ氏≫
アイケンベリー・プリンストン大学教授の寄稿は、日本の首相が靖国参拝を取りやめさえすれば、中韓首脳会談の実現など、すべてが順調に運ぶという趣旨だが、こうした見解は間違っている。日本の事情や日本社会における靖国神社の意味を理解していないのではないかとも思える。
小泉純一郎首相はこれまで何度、第二次世界大戦に関しておわびを述べてきただろう。この数年でも多くの日本の指導者が謝罪を繰り返している。あと何度謝れというのか。謝罪とは一度きりであるべきだ。
寄稿では、日本が目指す「普通の国」への歩みと、周辺国との間にある落差が論じられている。「普通の国」への歩みについて、教授は日本が「憲法改正」「再軍備」「平和主義の停止」にただちに踏み込むかのように論じるが、日本での憲法改正のハードルは極めて高い。まずこの点で寄稿は誤っている。
再軍備の話もナンセンスで、日本の防衛予算はむしろ引き下げられる傾向にある。平和主義についていえば、日本人の骨の髄にまで染みこんでいる。日本は絶対に侵略国家などになり得ない。
教授は日本がドイツを手本にすべきだというが、これは不条理な話だ。冷戦時代に米ソがともに得た教訓を挙げると、ある国のモデルを別の国に移植することは不可能だ。米国は東南アジアで、ソ連はアフリカで似たようなことを試したが全部ダメだった。
そもそもドイツは、戦後の分断国家であり、東西ドイツの国境がすなわちソ連軍との前線という状況だった。北大西洋条約機構(NATO)のメンバーだった西独は、他のNATO諸国との関係構築の上に戦後の発展を進めざるを得なかった。日本にはこうした状況はなかった。
靖国神社が仮に地上から消え去ったところで、中国が他の問題で日本を問い詰めるのは間違いない。多くの国内矛盾を抱える中国にすれば、靖国問題は国内の注意を国外にそらして日本を指弾する格好の材料なのだ。次期首相が参拝を中止すれば状況が好転するとの見方はあまりに楽観的で、どうみても現実的とはいえない。
(08/21 22:11)
Sankei Web 国際 「中国、戦術的な優位狙う」 靖国参拝で米紙コラム(08/21 22:11)
http://www.sankei.co.jp/news/060821/kok083.htm
中国の靖国非難は「靖国が軍国主義の精神拠点だったから」という主張が基盤となっている ようだ。その種の主張を拡大すると、ベルリン競技場のいまの使用もけしからんということにな りかねない。その主張のもう一つの基盤は日本が過去に中国に対し悪事を働いたから、中国 は日本の戦没者の追悼の方法など命令や指示をする資格がある、という思考のようだ。だが この世界に過去に他国への何の悪事も働いたことのない国など存在しない。国際社会での各 国は悪事へのそれなりの制裁や自省の後はみな相互に妥協し、許容していくことが基本である。
私は日本の首相を含む国民の靖国神社参拝は信仰かつ礼拝であり、日本自身が判断するこ とであって、米国も中国も韓国も介入すべきではない、と考える。私は妻とともに自分たちで選 んだ教会に毎週、通う。私たちの隣人は教会にはまったく足を向けない。だが、お互い何も干渉 しない。これこそ米国で最も深く保たれる礼拝や信仰の自由なのだ。他国の人たちに信仰の有 無を問い、求めることはない。
日本の首相や国民が靖国を参拝することはこの信仰や礼拝の自由に基づく慣行であり、他者 がその方法を非難すべきではない。とくに死者を悼む行為は悼む側には重大かつ深遠であり、 外部の押しつけがあってはならない。
靖国神社はある面でワシントンにある国立のベトナム戦争記念碑に似ている。同記念碑には ベトナム戦争の死者の名がすべて刻まれ、遺骨などは埋葬されていない。私は時折、友人や いとこの霊を悼むために記念碑を訪れる。私個人の信仰や礼拝だといえる。記念碑の友人た ちの名に祈りをささげても、ベトナム戦争全体への礼賛や支持を意味はしない。ベトナム戦争 に反対する人が私の祈りを止めることもできない。同様に一国の政府が自国の基準だけで他 国の指導者や国民の戦没者の追悼に文句をつけることは、不当であり傲慢だと思う。
私は長年、軍備管理とともに中国をも研究してきたが、中国には一面、自国を中華帝国として 世界の中心にみる傾向が強く、物事への対応にしても「中国方式でなければ間違った方式だ」 という思考が消えていない。外国の言動に満足するということが少ないのだ。日本の首相が靖 国参拝の停止を言明すれば、中国が満足するという主張は無知に近い。中国は必ず日本に対 し他の案件を指摘し、抗議や要求をぶつけてくる。だから日本側は日中関係全体を人質にとって の靖国攻撃という中国側の戦術の危険に陥ってはならない。
中国では毛沢東主席が数千万の中国人の死に責任を有することはいまや明白だろう。日本の A級戦犯も他者を死に追いやったという点では毛氏の軌跡には足元にも及ばない。中国は国家 全体でその毛主席に弔意を表明し、日本の指導者が靖国の戦没者の霊に弔意を表することは 許せないというのだ。矛盾といわざるを得ない。中国には日本の戦没者追悼に対し一定の方法 を命令する権利はないのだ。
米国の一部にも日本の首相に靖国参拝を停止することを求めるべきだと主張する人たちがいる。 首相が参拝をやめれば、日中関係が改善されるという前提だろうが、その前提が間違っている。
日中関係は靖国問題をはるかに超える、きわめて複雑な利害や権益のからみあいなのだ。米国 にとっていまの日本は全世界でも最も信頼のできる貴重な民主主義の同盟パートナーである。 その日本が自国の判断で決めた方法で戦没者を追悼することを米国も中国も尊重すべきだ。(談)
◇ 【プロフィル】トーマス・スニッチ
1970年代にアメリカン大学で中国問題や軍備管理の研究で修士号と博士号を取得。同大学の 助教授を経て81年から87年まで米国政府軍備管理軍縮局上級顧問(核兵器管理、アジア安全 保障担当)。現在は科学技術調査企業「リトルフォールズ・アソシエイツ」社代表。
▽ソース:産経新聞 2006年8月5日付 3面
【産経】トーマス・スニッチ氏:「靖国神社での戦没者追悼に対する中国の非難は不当・傲慢だ」 [08/05]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1154734965/-100
「中国、戦術的な優位狙う」 靖国参拝で米紙コラム
【ワシントン=山本秀也】小泉純一郎首相による終戦の日(8月15日)の靖国神社参拝について、米紙ワシントン・ポストは20日、首相の参拝中止を求める中国などの主張は「(日本に対し)戦術的に有利な立場」を得るのがねらいだとして、むしろ戦後日本の民主化努力を評価するコラムを掲載した。17日付の同紙は次期首相に参拝中止を迫るリベラル派国際政治学者の日本批判論を掲載したが、首相参拝に対する批判が目立った米言論界の変化をうかがわせている。
保守系論客の同紙コラムニスト、ジム・ホーグランド氏は、第二次世界大戦の旧枢軸国の日本とドイツが戦後約60年間で完全な民主主義国家に転換したことを国際社会が評価すべきだと主張。国連安全保障理事会の常任理事国入りでは日本をまず選任することが「国連改革の第一歩」と論じた。
靖国神社に関して同氏は「戦犯賛美」と受け止められるものを取り除くことが常任理事国入りの道を開くとしながらも、中国などの参拝批判については「日本より道徳的に上だと振る舞うことで、史実ではなく、戦術的に有利な立場を追求している」と指摘した。
17日に掲載された米プリンストン大学のジョン・アイケンベリー教授(国際政治)の寄稿は「日本は首相参拝を終わらせる名誉ある道を探すべきだ。あるいはA級戦犯の分祀(ぶんし)をひそかに神社関係者に促す必要がある」と論じ、その上で次期首相が中韓首脳と東京で会談すべきだと指摘した。
教授は近隣諸国との「歴史をめぐる和解」について、日本が戦後のドイツにならうよう求めるなど中韓の立場に通じるリベラル派の主張を展開した。「普通の国」を目指す日本の取り組みについて、教授は「再軍備」として懸念を表明。米政府が「東洋の英国」といった同盟パートナーを日本に求めるのをやめ、欧州との関係を重視したドイツの道を日本にも歩ませるべきだと指摘した。
≪米・軍備管理軍縮局元上級顧問 トーマス・スニッチ氏≫
アイケンベリー・プリンストン大学教授の寄稿は、日本の首相が靖国参拝を取りやめさえすれば、中韓首脳会談の実現など、すべてが順調に運ぶという趣旨だが、こうした見解は間違っている。日本の事情や日本社会における靖国神社の意味を理解していないのではないかとも思える。
小泉純一郎首相はこれまで何度、第二次世界大戦に関しておわびを述べてきただろう。この数年でも多くの日本の指導者が謝罪を繰り返している。あと何度謝れというのか。謝罪とは一度きりであるべきだ。
寄稿では、日本が目指す「普通の国」への歩みと、周辺国との間にある落差が論じられている。「普通の国」への歩みについて、教授は日本が「憲法改正」「再軍備」「平和主義の停止」にただちに踏み込むかのように論じるが、日本での憲法改正のハードルは極めて高い。まずこの点で寄稿は誤っている。
再軍備の話もナンセンスで、日本の防衛予算はむしろ引き下げられる傾向にある。平和主義についていえば、日本人の骨の髄にまで染みこんでいる。日本は絶対に侵略国家などになり得ない。
教授は日本がドイツを手本にすべきだというが、これは不条理な話だ。冷戦時代に米ソがともに得た教訓を挙げると、ある国のモデルを別の国に移植することは不可能だ。米国は東南アジアで、ソ連はアフリカで似たようなことを試したが全部ダメだった。
そもそもドイツは、戦後の分断国家であり、東西ドイツの国境がすなわちソ連軍との前線という状況だった。北大西洋条約機構(NATO)のメンバーだった西独は、他のNATO諸国との関係構築の上に戦後の発展を進めざるを得なかった。日本にはこうした状況はなかった。
靖国神社が仮に地上から消え去ったところで、中国が他の問題で日本を問い詰めるのは間違いない。多くの国内矛盾を抱える中国にすれば、靖国問題は国内の注意を国外にそらして日本を指弾する格好の材料なのだ。次期首相が参拝を中止すれば状況が好転するとの見方はあまりに楽観的で、どうみても現実的とはいえない。
(08/21 22:11)
Sankei Web 国際 「中国、戦術的な優位狙う」 靖国参拝で米紙コラム(08/21 22:11)
http://www.sankei.co.jp/news/060821/kok083.htm