goo blog サービス終了のお知らせ 

靖国神社:名称、施設、儀式の維持確認 非宗教法人化で

2006年08月11日 | 政治 経済
 靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)問題解決のため、政府・自民党内で非宗教法人化論が高まる中、靖国神社が非宗教法人化にあたっての基本方針を確認していたことが10日、わかった。宗教法人の解散と、国の関与する特殊法人化は否定しないものの、1963年にまとめた見解を大筋で踏襲し、(1)靖国神社の名称存続(2)施設の保持(3)儀式行事の保持--の3条件を求めている。宗教色の維持を目指す内容で、非宗教法人化の実現に高いハードルとなる。
 南部利昭宮司ら同神社幹部が今年5月、確認した。麻生太郎外相が8日に非宗教法人化の私案を発表した際は沈黙を守ったが、実際には政府・自民党内の動きを先取りしていたことになる。5月には日本遺族会会長の古賀誠自民党元幹事長がA級戦犯分祀の検討を提言したほか、麻生外相も私案を示唆するなどの動きが相次いでいた。
 1950年代以降、国家護持案が遺族会や自民党で浮上したのを受け、神社は祭祀制度調査会を設けて63年に「靖国神社国家護持要綱」をまとめた。要綱は神社の名称存続を求める一方、施設と儀式行事は「本態(主要部分)の保持を規定することが望ましい」と柔軟姿勢を示していた。しかし、今回は(1)「靖国神社」の名称(2)鳥居、社殿などの施設(3)「英霊」の合祀、慰霊などの儀式行事--の原則維持の方針を確認。3条件を厳守した場合は宗教色が強く残り、政教分離を規定した憲法20条に抵触する可能性も出てくる。 神社が麻生私案に沈黙するのは、自民党総裁選を前に政局に巻き込まれるのを避ける狙い。7月末には麻生氏側から私案を事前に示されていたが、新たに検討する予定はないという。【田所柳子】

 ◇宗教色めぐり、自民との溝浮き彫り 
靖国神社が確認した非宗教法人化への基本方針は、「麻生私案」など、政教分離の問題を解決しようとする自民党内の動きとの溝を浮き彫りにした。宗教色をどこまで残すかをめぐる温度差は大きいのが実情だ。ただ、「国営化」自体はかつて神社側が認めた経緯もある。非宗教法人化を全否定せず、今後の論議に余地を持たせたい狙いもあるとみられる。
 原点は60~70年代に議論された神社の国家護持案にある。戦前に陸軍、海軍が共同管理した経緯から日本遺族会は50年代以降、国家護持を要求。靖国神社も祭祀制度調査会が63年に「靖国神社国家護持要綱」を作成。宗教法人を解散した上で特別法人を作り、国が合祀(ごうし)や儀式の費用を支出するよう求めた。神社の名称存続や儀式行事の保持などの原則も盛り込んだ。
 ところが、自民党が69~73年に計5回、関連法案を提出すると、野党などから批判が続出。衆院法制局が74年に憲法との整合性から「拝礼形式の自由化」「鳥居など施設の名称変更」など宗教色を排する必要性を指摘した見解を発表すると、神社は反発し、自民党の法案自体に反対した。
 今回も宗教性について麻生私案が「祭式は非宗教的・伝統的なものにする」としているのに対し、神社関係者には困惑が広がる。麻生氏らが非宗教法人化をとなえる背後に見え隠れするA級戦犯分祀の思惑も警戒しているようだ。 基本方針は今後の政治の対応次第では協議の余地を残したが、安倍晋三官房長官が首相に就任した場合、非宗教法人化論がどこまで本格化するのか不透明。神社側は9月の新政権発足後の政府・自民党内が論議を継続させるのかを慎重に見極める姿勢も見せている。【田所柳子】毎日新聞 2006年8月11日 3時00分

靖国神社:名称、施設、儀式の維持確認 非宗教法人化で-政党:MSN毎日インタラクティブ
http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/seitou/news/20060811k0000m040152000c.html




ガーナで「日章旗」発見 インパール作戦“従軍”、返還へ持ち主捜し

 第二次世界大戦でインパール作戦に従軍した日本兵のものとされる日章旗2さおが、西アフリカ・ガーナ共和国の古都クマシにある軍事博物館に展示されていることが分かった。発見者の「ガーナ国民の友の会」代表の和田洽史さん(62)は、「存命なら本人に、亡くなられたなら遺族に返すよう働きかけたい」と話し、インド北東部で従軍した元日本兵などからなる「全ビルマ会」(三澤錬一会長)などを通じて持ち主を捜している。
 和田さんによると、日章旗は軍事博物館の日本軍コーナーに、機銃などの兵器とともにガラスケースの中に展示されている。

 1さおはほぼ完全な形で保存されており、「兼松尚子、柳原恭子、岩木喜代子」などの名前が明瞭(めいりよう)に書かれている。別の1さおは半分以上が欠落した状態だが、「田中役一、足立久治、横山岩吉」などの名前や「武運」を祈る言葉が判読できる。

 軍事博物館の学芸員は産経新聞社の取材に対し、「第二次大戦でイギリスが編成した英領西アフリカ軍が東インドのビルマ戦線から持ち帰ったもの」と説明している。

 また、同博物館には、日本軍コーナーとは別の部屋に日本刀2振りも展示されている。うち1振りには、「和泉守藤原国貞」と銘が入っているが、出所は不詳となっているという。

 全ビルマ会の相談役、能智昌一さん(86)は「会を通じてできるだけ多くの人に紹介したい」と話している。9日に開かれた同会定例会で、日章旗や日本刀の写真のコピーなどを回覧し、会員への協力を求めた。

 和田さんは「日章旗には、兵士を送り出した人々の心が込められている。持ち主かその家族に返されるべきだ。判明し次第、ガーナへ返還を働きかけたい」と話している。

        ◇

 寄せ書きに記された名前は以下の通り(いずれも順不同)。

 (1さお目)兼松尚子、高橋きよ、柳原恭子、岩木喜代子、橋田弘子、川合光子、河合昭子、上村時子、飯尾朋子、飯尾叔子、小林文子、大野智子、大野美恵子、竹原典子、池田麗子、笠原かよ子、鈴木さち子、山内かつ子、山田節子、松山久子

 (2さお目)田中役一、足立久治、横山岩吉、油部留吉
 
        ◇

【用語解説】インパール作戦

 第二次世界大戦で日本陸軍が昭和19年3月から6月にかけて、インド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦。参加した10万人の兵士のうち計約6万人が死亡し、大敗北を喫した。補給線が不十分なまま兵力を投入したため、戦死だけでなく、多数の病死、餓死者が出たとされる。

【2006/08/11 東京朝刊から】

(08/11 08:20)


最新の画像もっと見る