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「文書にサイン」要求認める 台湾問題でNHK放送総局長

2009年10月27日 | メディア・芸スポ
「文書にサイン」要求認める 台湾問題でNHK放送総局長
【10月22日 産経新聞】
 日本の台湾統治を扱ったNHKスペシャル「シリーズJAPANデビュー 第1回『アジアの“一等国”』」の番組内容に批判が相次いでいる問題で、日向英実放送総局長は21日の会見で、出演した台湾の人々に抗議の意思がない旨の文書にサインするよう、番組スタッフが求めたことを認めた。

 日向総局長は「放送直後の台湾の方々のリアクションは非常によく、抗議するつもりはないと聞いていた」とした上で、「(後に抗議があり)それまでに聞いていた話を確認したい気持ちでサインをいただいた」と説明した。

http://www.youtube.com/watch?v=gE4eWktTiCo




台湾問題「抗議意志ない旨の署名求めた」 NHK、会見で認める
2009/10/22 15:39
日本の台湾統治を扱った「シリーズJAPANデビュー」の第1回放送をめぐり、番組に出演した台湾の人に対して、番組に抗議の意志がない旨の署名をするようにNHK側が求めていたと報じられた問題で、日向英実放送総局長は2009年10月21日の会見で、番組放送後に署名を求めていた事実を認めた。一方、スタッフが番組終了後に台湾まで出向いて署名を求めていたことについては、番組担当者が放送後、出演者に会って感想を聞いたり、改めて番組内容を説明したりするのは当然のこと」とも述べた。
http://www.j-cast.com/2009/10/22052289.html


■放送総局長会見 2009/10/21
 http://www.nhk.or.jp/pr/keiei/toptalk/soukyoku/s0910.html
■井上和彦氏が「SAPIO」でNHKの隠蔽工作を暴露!
 http://www.melma.com/backnumber_100557_4647596/


「偏向報道」抗議者に「不問」求める 訪台のNHK番組関係者









【NHK問題】パイワン族の証言を補強する資料を発見!
   日英博覧会参加者の感想は高士村の人々が共有していた「美しい記憶」と一致

■NHKに対する第二次訴訟

 去る10月6日、4月5日に放映された「NHKスペシャル シリーズ JAPANデビュー
・第1回『アジアの一等国』」の内容が取材実態に基づかない歪曲報道だとして台湾のパ
イワン族37人を含む1946人が、NHKに損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した。第
二次訴訟だ。

 番組に出演した高許月妹さんと通訳をつとめた陳清福さんは各300万円、来日した華阿
財さんや李文来さんなどパイワン族の方35人は1人当たり3万円、そして1909人の方は1人
当たり1万円の損害賠償を求めて提訴している。請求額は2614万円に及ぶ。

 第一次訴訟は6月25日、8,389人が原告となって、原告1人当たり1万円、8389万円の損害
賠償を求め、東京地方裁判所に提訴している。

 つまり、第一次と第二次訴訟の原告数は10,335人、損害賠償請求額は1億1千3万円とな
り、原告数は第一次でもすでに日本の裁判史上最大となっており、ついに1万人を突破し
た形だ。

 また、(株)日本文化チャンネル桜(水島総代表取締役)も10月6日、この問題でNHK
を名誉棄損と営業妨害で東京地裁に提訴し、水島社長は司法記者クラブで開かれた記者会
見に、弁護団(高池勝彦団長)や台湾から来日したパイワン族の華阿財氏(元屏東県牡丹
郷郷長)や李新輝氏(元屏東県春日郷郷長)などとともに臨んでいる。

 記者会見で、華阿財氏たちはこもごも「NHKがなぜ民族の名誉を汚し、子孫の感情を
傷つけたのか理解できません」「クスクス村では博覧会出席者を喜んで迎えた経緯がある」
「なぜ事実にあわないことを発表して世界に伝えるのか。当時、日本人はわれわれに敬意
を持って接してくれた。民族の自尊心が傷付けられた」などと怒りをもって提訴に至った
気持ちを披瀝した。

■日英博覧会に参加したパイワン族「テボ・サドガイ」の感想

 ところで、華阿財氏はNHKが取材し、1910年の日英博覧会に参加した屏東県牡丹郷高
土村(クスクス村)を代表し、NHKの取材を受けた許進貴さん、高許月妹さん、陳清福
さんとの連名で「公開質問状」(6月21日付)を呈している。

 この中で「NHKの番組『JAPANデビュー』において、台湾での取材から『パイワ
ン族の人々を人間動物園としてイギリスの日英博覧会で見世物にしたのです』という不適
切な表現を放送したと知り、非常に驚いています。高士村の人間として、非常に辱めを受
けたと感じております」と述べる。

 なぜ「非常に辱めを受けたと感じ」たのかというと、それは村に伝わっている「美しい
記憶」と違うからだという。公開質問状では「高士村の人々が共有する博覧会の美しい記
憶として後世に語り継がれてきたものを、なぜ突然『人間動物園』という見方に変えてし
まったのか。大変理解に苦しみます」とつづっている。

 そこで、NHKに日英博覧会の真相を明白にするよう求めているのだが、実は最近にな
って、日英博覧会に参加したパイワン族の方にインタビューした記録が残っていることが
判明した。

 それは2つあり、1つは、昭和7年(1932年)に台湾史籍刊行會から出版された鈴木作太
郎『台湾の蕃族研究』(復刻版は昭和52年10月1日、青史社)で、もう1つは、山口守編著
『講座 台湾文学』(2003年3月24日、国書刊行会刊)所収の河原功「日本人作家の見た
台湾原住民」だ。

 河原功氏(1948年生まれ)の「日本人作家の見た台湾原住民」には副題として「中村古
峡と佐藤春夫」とあり、中村古峡を扱った「中村古峡の視点─『蕃地から』」に日英博覧
会に参加したパイワン族が出てくる。

 中村古峡(なかむら・こきょう)の「蕃地から」という作品は、1916年(大正5年)の
『中央公論』7月号に掲載されたもので、河原氏は「台湾南部の原住民を旅行しての
記録を、友人宛への書信形式で綴った作品である。おそらく、商業ベースの総合雑誌に
みる、台湾原住民を本格的に扱った最初の作品となろう」と紹介している。

 この中村の記録の中に、日英博覧会(1910年5月1日~10月31日)に参加したテボ・サド
ガイという名のパイワン族の感想がつづられている。中村がこのパイワン族と会ったのが
いつかは不明だが、掲載されたときからそう離れた時ではないだろう。また、パイワン族
は1911年6月に帰台しているから、まだ記憶は鮮明だったはずだ。

 テボ・サドガイと中村とのやり取りは、台湾を出たときのことから始まり、「門司と上
海は寒かったが、新嘉坡(シンガポール)は『ベリ・ホット』だつたなどゝ折々は英語の
片言まで交ぜる」という話し振りだったという。

 中村が一番なにに驚いたかを聞いた場面では、「身振や手真似を加へながら半時間も熱
心に雄弁を振つた」と記している。

 しかし、ここではそれ以上に重要なポイントとして、日英博覧会に参加した感想をご紹
介したい。

 中村の通訳をしていたI君が「英国に居る間に台湾へ帰りたいとは思わなかつたか」と
尋ねると、テボ・サドガイは「少しも帰りたいとは思はなかつた。却つて妻子を台湾から
呼寄せて何時までも向こうに住んでみたかつたと答へたさうだ」と中村は記している。

 NHKが番組で伝えたように、参加したパイワン族が「人間動物園」として「展示」さ
れ、「見世物」にされていたとしたら、民族の誇りと名誉を傷つけられ、とてもこんな感
想は出てこないだろう。ましてや、「博覧会の美しい記憶として後世に語り継がれて」も
来なかったはずだ。中村古峡が紹介するテボ・サドガイの感想は、まさに高士村の人々が
共有していた「美しい記憶」と一致していたのである。

■鈴木作太郎の紹介するテイポ・サロンガイの英国人歓迎の辞

 河原功氏は、日英博覧会にパイワン族が参加したことについて、鈴木作太郎が『台湾の
蕃族研究』で紹介した箇所も転載して紹介している。

 鈴木作太郎は、当時の原住民がどこに観光したかを取り上げた第5章「理蕃事業」の第2
節「領台後」において、明治30年に原住民が来日した「第1回内地観光」を記し、その次
にパイワン族の日英博物館に参加したことを紹介している(原文は漢数字)。

 鈴木は「明治43年2月21日時の大島民政長官と日英博覧会余興部『シンジケート』代表
者『ジュリアン・ヒツク』との間に契約し『パイワン』族男女24名を博覧会に出場せしめ
ることとし、石川警部補及び板倉巡査引卒の上同日門司を出帆し郵船加賀丸で渡英した」
ことから記し、佐久間左馬太総督が帰台した彼らを招待して労を慰めたこととともに、そ
の感想について、次のように紹介している。

「倫敦市街の宏壮佳麗なこと、商工業品の精巧なこと、機器機関の雄大なこと、人馬物貨
の往来織るが如きこと又は金銀財宝の融通流るるが如きこと台北に幾十百倍なるかを知ら
ない」

 また、「彼等は滞英中得る所の余費を積むこと少きも200円多きは500円に上り、且つ二
三の者は簡単な英語を操るやうになつたとのことで、彼等が此の行に依つて著しく知識を
啓発されたことは云ふまでもない」とも記す。

 さらに、「翌45年5月10日より6月4日まで英国人『ウィリアム・プライス』氏が動植物
採集の為に」訪台し、「滞英中の恩に酬ゆるため」この英国人をクスクス村の人々が招待
して宴を開いたことも記している。

 この招待宴の席で、恐らく村のリーダーと目されるテイポ・サロンガイは「我等は未だ
蕃地を発せざる前と入英後の感想とは全く一変じたのである。惟ふに世界中我等の如き野
蛮なる人種はないであらう。速かに此の蛮習を脱せねばならない。之を脱せんとするには
須く学問の力に依らねばならぬ。今後は力を子弟の教育に努め漸を逐つて開明の域に進み、
英国までも留学すべき者を出し、終には世界の人々と同等の生活をなす日の来らんことを
庶幾ふのである」と歓迎の辞を述べたという。

 これに対して鈴木作太郎は「彼等蕃人と雖も教育を重んずる抱負は文明人と毫も変らな
いことが知れる。而して彼等は宴闌(たけなわ)なるに及び約略記憶してゐた英語で応酬
対話し一夕の歓を尽したとのことであつた」と、パイワン族が「文明人」と変わらないこ
とを得心した様子で記し、「英語で応酬対話」したパイワン族の歓待を驚きをもって紹介
している。

 ここで思い出すのは、8月に来日されたパイワン族の李文来(サルガイ・チャパヤル)
氏の言葉だ。李氏はクスクス村の教育程度は他の村と比べて相当に高いと、誇らしげに話
していた。李氏自身も台湾では著名な高雄医学院出身の医師で、台湾省議会議員もつとめ
た経歴を有している。

 テイポ・サロンガイは「今後は力を子弟の教育に努め……英国までも留学すべき者を出
し」と歓迎の辞を述べた。

 クスクス村からは多くの優秀な人材が輩出されているというが、これは日英博覧会に参
加したクスクス村の人々が帰郷後、教育に力を入れた結果であり、歓迎の辞で述べた誓い
は嘘ではなかったことを証しているし、李文来氏の言葉と一致しているのである。

 やはり、参加したパイワン族が「人間動物園」として「展示」され、「見世物」にされ
ていたとしたら、師弟の教育に努めようというような希望も持ち得なかっただろうし、ま
してや英国人に反撥し、歓迎の宴を開くことも申し入れなかったことは想像に難くない。

 クスクス村の日英博覧会参加者は「滞英中の恩」を感じていたのである。それに酬いよ
うとして歓迎の宴を開くことを申し出たのだ。だから、この英国人の訪問も含め、日英博
覧会に参加したことを「美しい記憶」として今に伝えていたのである。

 NHKがこの2つの資料を参考にしたのかどうかは分からない。しかし、知っていたと
しても、NHKが無視したことは明白だ。

 つまり、NHKは一次史料というべき日本のこのような資料を無視し、「人間動物園」
を取り上げた近年の海外文献のみに拠り、日本がパイワン族を「人間動物園」として「展
示」して差別したという、ありもしない歴史事実を捏造し、それを証するために許進貴さ
んや高許月妹さんを利用したことになる。

 それは、公共放送としての公平性を損ねる、意図的制作だったと指弾されても致し方あ
るまい。ましてやこのような番組制作は、放送法に抵触する明白な犯罪行為であろう。

 最後になったが、この一次資料は三重県にお住まいの本会会員からご教示いただいたも
のだ。この場を借りて深謝申し上げたい。この資料も裁判に提出される予定だ。

                 (メールマガジン「日台共栄」編集長 柚原 正敬)

http://www.melma.com/backnumber_100557_4645287/









【サッカー】韓国では控え室の湯船に釘  名古屋、初のACLで貴重な体験
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1256972603/-100

ACLこぼれ話
2009年10月31日 紙面から
ACL準決勝でアルイティハドのホームスタジアムに入場する名古屋グランパスの選手たち=21日、サウジアラビア・ジッダで(畦地巧輝撮影)

 名古屋グランパスが初めて挑んだアジアチャンピオンズリーグ(ACL)。決勝進出はならなかったがアウェーの海外遠征は貴重な体験の連続だった。訪れたのは韓国、中国、オーストラリア、サウジアラビアの4カ国。DF吉田が「勝ち進めば進ほど、新たな魅力が出てきた」と振り返った大会のこぼれ話をまとめてお届けします。 (グランパス取材班)
◆サウジ 王族用のVIP待遇
 4カ国の中で「もっともインパクトがあった」(DF吉田)と選手を驚かせたのは、準決勝のアルイティハド戦が行われたサウジアラビアだった。
 チャーター機が到着したジッダの空港で、いきなりVIP待遇を受けた。王族用ターミナルに誘導され、スタッフが「あっという間だった」と驚くほどのスムーズ入国。しかもアラビアコーヒーを供されるもてなしまで受けた。もっとも、粗びきしたコーヒー豆を香辛料と一緒に煮立てた独特の風味は、普通のコーヒーと全く別物。それでも「出されたものは残せないよね」とスタッフたちは苦笑いで飲み干した。その後の練習でも天然芝グラウンドを用意されるなど好待遇だった。
 日本人にとっては、異なる食文化もハードルの一つ。記者は脂っこいケバブに苦しんだが、チームは一足早く現地入りした先乗り部隊が1・8リットルの大型炊飯器4つと大量のカリフォルニア米を調達して対応。バイキング形式の夕食では鉄板焼きなども用意され、選手から好評を博した。炊飯器は今もクラブハウスに保管されている。「(クラブW杯が行われる)UAEにも持って行くはずだったんですけどね」(スタッフ)。今回は大敗したが来季以降も使う機会があってほしいものだ。
 競技場では約150人の日本人がグランパスに声援を送ったが、勝利を願っていた人がほかにもいた。試合前日、選手宿舎を、同じジッダ市内でバレーボールのコーチをしているセルビア人が訪問していた。ストイコビッチ監督の古巣レッドスター(セルビア)でも指導していた人で、旧交を温め「健闘を祈っているよ」と激励された。さすが世界のピクシー、人脈は中東でも健在だった。
 試合翌日、塚田記者は思わぬ人と遭遇した。帰国前に何気なくビーチへ立ち寄ったところ、そこにはアルイティハドのカルデロン監督がいたのだ。しかも水着にサングラス姿。ひとりで日光浴を楽しんでいた。
 アルゼンチン人の敵将は「女性を見に来たんだよ」とニヤリ。サウジでは、街中の女性はみな黒い民族衣装に身を包んでおり、“目の保養”ができるのは外国人向けホテルのプライベートビーチくらいのもの。戒律が厳しく飲酒もできず娯楽の少ないこの国で、ささやかな楽しみだったようで……。
◆韓国 控え室の湯船にくぎ
 開幕戦となった蔚山現代戦の韓国では、アウェーの洗礼を受けた。試合前日練習の文珠スタジアム。控室の湯船にくぎが5本ほどまかれていたのだ。事前にスタッフが競技場職員に清掃を頼んだ時には「何もなかった」という。別メニューで調整し、先に練習を終えていたバヤリッツァが「こんなものが入っていた」と血相を変えて風呂場を飛び出してきて発覚。出番がなかったバヤリッツァの、場外“ファインプレー”だった。これでアウェーのワナを逃れ、3-1で快勝した。
◆中国 野菜投げつけられた
 1次リーグ突破を決めた後、若手主体で臨んだ5月20日の北京国安戦。北京工人スタジアムは、中国の熱狂的なサポーターに驚かされた。“被害者”は、主にスローインを行った左右のDF。プロデビュー戦だった右DF松尾は、サイドライン周辺まで投げ入れられた野菜やペットボトルに目を疑った。「野菜は投げやすい大きさにカットしてあった。アウェーの罵声(ばせい)には、逆に負けたくないと奮起しました」。左DF佐藤は足にナスの直撃を受けたという。それでも1-1で引き分けた。
◆豪州 グラウンドがボコボコ
 ニューカッスル戦が行われたオーストラリアは、ラグビーのプロチーム「ナイツ」の本拠地でもある。試合があった4月は、ラグビーシーズンで、「しめった感じの土質」(DF増川)「バックパスは避けたい」(DF阿部)と話したほどグラウンドはボコボコ。ストイコビッチ監督は「ハイクオリティーとは言えないピッチに慣れなければ」と警戒したが、テクニックを発揮し、1-0で逃げ切った。

http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/grampus/news/200910/CK2009103102000035.html
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