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外国人参政権、「国交ある国」が条件=被選挙権は除外-民主議連

2008年04月15日 | 外国人問題
4月15日23時1分配信 時事通信
 永住外国人への地方参政権付与に積極的な民主党の議員連盟(会長・岡田克也副代表)は15日午後、国会内で総会を開き、法制化に向けた提言案を大筋了承した。付与するのは、地方自治体の首長や議員を選ぶ「選挙権」に限定し、日本と外交関係がある国の外国人らに参政権を与えるとした。
 外国人自身が地方選挙に立候補する「被選挙権」については、「慎重論が根強い」として、当面は見送ることにした。参政権を与える外国人の範囲については「わが国と外交関係にある国の国籍を有する者、もしくはこれに準ずる地域を出身地とする者」と定めた。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080415-00000190-jij-pol

外国人参政権 国のあり方を政争の具にするな
民主党の日本解体政策ー外国人参政権に意欲、etc...




「 祖国の差別に黙り、日本の差別とか参政権よこせと言う在日は絶対信用できない 」
別冊正論第二号 『 反日に打ち勝つ!日韓・日朝歴史の真実 』 前田日明

「 日本は、煩悶、苦悩を重ねた上で戦争をせざるをえないと覚悟を決めてやったわけです。男子に生まれ徴兵されたら、否が応でも戦うしかない、そういうギリギリのところまで国とか公に殉じた精神、心根を汲まなくて、侵略だ悪だと断罪するのは、それこそ卑怯だ。まるで時間のカンニング・ペーパーを使って当時の日本を侮辱する人たちは、本当に嫌ですね!
しかも自分は日本人の罪を認めています、悔やんでいますという、自分だけ良心の高みにおいているかのような感覚でいる連中が、もうたまらなく嫌です。
   ( 中略 )
戦争が終わって50年以上たっているのにとやかく言うのは、どうかと思うんですよ。奥歯をぐっとかみしめて、こらえているという矜持が在日朝鮮人からは感じられない。名前を出して悪いけれど、辛淑玉さんなんか見てると、情けなくなってくる。
差別とか、日本は加害者とか叫び続けるだけで一生終わるのかと思うと、とても俺は共感できない。
   ( 中略 )
在日への差別問題も、日本の問題と同じく、それを 『 食い物 』 にしているのがずいぶんいます。
 現役引退を契機に出自を公にしたら、もう嫌になるくらい多くのやつが寄ってきましたよ。
   ( 中略 )
総連や民潭は日本に差別だと騒ぐけど、韓国や北朝鮮で同胞がどういう目に遭わされているか、世の中に聞こえるような形では誰も絶対に言わない。一体何だこれは!?
韓国に戻れば、在日というだけで就職差別や日本では想像もつかない差別を受けたり、北朝鮮に帰国すれば、それこそ殺されるような惨い目に遭わされたりする。北朝鮮に渡った俺の叔父さんも消息不明のままだ!
こうした財産権や生命に直結する、不当な差別には絶対黙っておきながら、日本での差別反対とか、参政権をよこせとか言う連中を、俺は絶対に信用できない!





永住外国人に地方選挙権を 600人参加し東京で集会
2008年4月16日 21時12分
 在日本韓国青年会や労働組合などでつくる市民団体が16日、永住外国人の地方参政権を求める緊急集会を東京・永田町の憲政記念館で開いた。 永住外国人に地方選挙権が与えられた韓国の李明博大統領が今月、来日するのに合わせ、日本政府にも永住外国人の地方参政権の早期実現を要請するのが狙い。 会場には600人以上が訪れ、「真の国際化と差別のない共生社会をつくろう」と訴えた。各党の国会議員も参加し、民主党の白真勲参院議員らが「少子高齢化社会が到来するいま、永住外国人の皆さんと力を合わせて頑張りたい」などと呼び掛けた。 日本に暮らす外国人住民約208万人のうち永住外国人は、在日コリアンら約83万人に上る。この問題では、公明党が2005年に議員立法で法案を提出するなどしているが、いまだ実現していない。
(共同)
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2008041601000870.html






李明博大統領、地方参政権実現へ努力

 来日した李明博韓国大統領は20日夜、都内で開かれた在日韓国人の歓迎レセプションであいさつし、在日韓国人の地方参政権獲得が実現するよう日本側に強く働き掛けていく考えを示した。

 李大統領は2月の大統領就任式直後、初の外国要人との会談を福田康夫首相と行ったことに触れ、「過去(の植民地支配などの歴史)を忘れることはできないが、過去だけを持っては進めない」と強調。「福田首相もこれに賛成した」と語り、未来志向の日韓関係を築いていくと強調した。

 また、ソウル中心部にある韓国の国宝第1号、南大門(正式名・崇礼門)が2月に全焼した事件で、在日韓国人から再建のための寄付金を受け取ったことを紹介し、「母国への熱い愛を感じた」と話した。
 [2008年4月20日22時19分]
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20080420-350699.html




人口維持へ永住権条件緩和を=自民・中川氏
4月20日17時0分配信 時事通信
 自民党の中川秀直元幹事長は20日のテレビ朝日の番組で、日本での居住・就労を希望する外国人を対象に、一定の基準を満たせば永住権や日本国籍取得を認める法案を、今年秋の臨時国会にも提出したいとの考えを示した。
 中川氏は、少子高齢化で将来の労働人口減少が見込まれることに関し「経済の活力(の維持・向上)には人口維持が必要で、今から対応すべきだ」と指摘。その上で「日本語や職業能力を身に付けた人に一定期間の在留資格を与える。永住権を認めるものの参政権は与えないやり方や、最終的に国籍を与えるやり方もある」と語った。 
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080420-00000056-jij-pol








外国籍理由にマンション賃貸契約 拒否
2008年04月10日
◇「入居」改善されず
 さいたま市に住む在日朝鮮人の70代の夫婦が昨春、国籍を理由にマンションへの入居を断られた。さいたま地方法務局が改善を求める説示をしたが、いまだ改善が確認されていないという。入居拒否をめぐる裁判では、差別は違法と認定されたり、和解が成立したりしている。しかし、国籍を理由に入居を拒否される事例が後を絶たないのが実情だ。そんな中、不動産業者の協力を得て、物件をあっせんする動きも出ている。
◇物件探しのNPOも
 大宮区に住む在日朝鮮人夫婦は昨年4月、不動産業者と賃貸契約をかわした。過去に差別を受けた記憶がよぎり「入居できないのではないか」と思ったが、無事に審査も通り、喜んでいた。しかし、引っ越しの前日夜に「入居を待ってほしい」と不動産業者に言われたという。
 マンションの区分所有者は「外国籍でも問題ない」としていたが、管理組合が「日本人に限る」とする国籍条項を設けていたことがわかり、契約が突然キャンセルされた。夫婦は精神的に落ち込んでしまったという。
 夫婦は現在、市内の別の賃貸マンションに入居している。しかし、知人の中には、国籍を理由に申請の時点で断られたり、通名で契約を結んだりしている人もいる。
 「今の時代、こんなことがあっていいのか。外国人に対する理解を深めてほしい。声をあげなければ」と40代の長女はさいたま地方法務局に申告した。昨年11月、同法務局は「他人の人格を尊重することなく、居住の自由などをも制限するものであり、人権擁護上、看過することができない」とする説示をした。しかし、法的拘束力はなく、管理組合の規約の変更は確認されていないという。
 「一般的に、大家の半数は外国人の入居を拒否しているようだ」。そう話すのは、弁護士らでつくる東京都台東区の「NPO法人同胞法律・生活センター(03・5818・5424)」の相談員金東鶴(キム・トンハク)さん(40)だ。
 同センターは97年から相談業務を始めた。04年には入居に関する相談などを受け付ける「住まいサポート部」と、都内や神奈川県内にある16の不動産業者と協力して不動産をあっせんする「お部屋探し応援隊!」をつくった。
 金さんは「入居差別を受けても、一般の人が裁判を起こすには相当なエネルギーが必要で、法律相談だけでは限界を感じた。親身になってくれる不動産業者のネットワークをつくることが実質的な救済につながるのではないかと考えた」と背景を説明する。
 東京都や新宿区、川崎市が定める住宅基本条例には、国籍を含めた入居差別を禁じる条項がある。しかし、センターに寄せられる入居差別などの深刻な相談はなくならない。
「条例に罰則がなく、認知度が低いのも問題だ」と金さん。入居差別など深刻な相談は毎年数件程度だが「潜在的にはもっとある。水面下に潜ってしまっているのではないか」と心配する。
http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000804100001


185 :<丶`>(・・`)(`ハ´  )さん:2008/04/10(木) 12:24:57 ID:ZsZxxmC+
以前にも在日に部屋を貸さないのは違法という判決があったが、朝鮮人に家を貸さないのは家主の
自衛手段だった。

なぜ日本人は朝鮮人が嫌いなのか?
               中村 粲   文武新論 平成5年7月10日
 ................................
金素雲も嘆く在日の横暴
 日本人はなぜ朝鮮人が嫌いか、差別されるには朝鮮人の方にもそれなりの原因がある、という筆者の論は決して間違っていないと思ふ。例えばあの有名な朝鮮人詩人の金素雲氏は、その自伝の中で次のように書いている。

「日本人所有の家を借りたなら、家賃は一切払わなくてもよいというのが、その当時(昭和の初期?筆者注)同胞の間では常識化していた風習だった。
 『お前らは国まで盗んでいったじゃないか。家賃ぐらい何だ!』
 こちらにはこんな腹があったが、引っかけられた日本人の側では恨み骨髄にならざるを得なかった。家賃をもらうどころか5,6ヵ月分の家賃に当たる金を<立退料>という名目で払わなければならなかった。こんなとき、その仲介の役割を果たすのが、いうなれば叔父の職分だった。(同胞が集団居住する町には、こんなブローカーが必ず何人かいた)

 1,2年ただで住んでは<立退料>をせしめて家を空けてやることもあったが、時には引っ越し 次の日に大家から立退料を取ってまた引っ越していく、そんな場合もあった。
 その立退料の半分ぐらいにあたる金が叔父のようなブローカーの懐に入ってくる。もちろんこれは4,50年前の昔話ではあるが、こんなやり口がその後長い間い年月を通じて、大多数の日本人の生活感情の底に<チョーセンジン>を敬遠し蔑視する後遺症の種となったことも事実である。 ・・・・・・・・・・」

 ここには日本人がなぜ韓国・朝鮮人を嫌ふかについての韓国人としての冷静かつ真摯な反省がある。
 先の訴訟で被告となった家主が韓国人の入居を拒否したについては - しかも場所は在日が最も多い大阪である - 右のような朝鮮人悪徳ブローカーによる恐喝行為の歴史の記憶があったことを考えてみる必要があろう。
 韓国・朝鮮人と関係を持つと厄介なことになるので、なるべくこれを避けようとするのは、恐らく大部分の日本人の本当の気持ちであり、韓国・朝鮮人はその理由をとくと考へてみなければならない。



232 :<丶`>(・・`)(`ハ´  )さん:2008/04/10(木) 12:32:15 ID:ZsZxxmC+
朝鮮人の立退料強請を報じる戦前の新聞記事
『家主泣かせの「糞小路」の鮮人長屋/家賃を払はず立退きにも応ぜぬ/市で善後策を協議(林田)』 大阪毎日 1934/7/26
『蛇を吊し煙で燻べ家主をいやがらせて立退料四万円余をせしめた/鮮人連の組織的恐喝』 大阪朝日 1926/11/14 夕
『悪辣な鮮人の家主泣かせ/新進会長が仲に入って立退料六千円を取る』 福岡日日 1926/12/2 〔1/2〕
『家主泣せの鮮人/立退料の強請』 大阪朝日 1926/5/7 〔5/10〕 大阪・大阪 【住宅】 ・・・・・・・・・・
『立退料目あてに借家を渡り歩く/内地人を手先に使った家主泣かせの鮮人』 大阪毎日 1928/10/4
『貸家へ無断で住み家具一切を薪に/立退料をうけ高架下を追はれた乱暴な朝鮮人十名(須磨)』 神戸又新日報 1930/10/22
『「借りた以上はおれのもの」/替玉を住せて立退料を/被害各方面に及ぶか(武庫郡精道村)』 神戸又新日報 1931/12/3
『風采と巧言で偽り/鮮人の借家荒し/立退料取りの常習/湊川署に元兇検挙さる』 神戸新聞 1931/6/6 夕
『僅か一ヶ月に四軒から立退料/ペテン師鮮人の凄腕/悪運つき芦屋署へ検挙』 神戸又新日報 1932/12/17
『悪鮮人の借家戦法/目指すは立退料/囮を使って巧みに家主泣かせ/同時に二組検挙さる』 神戸新聞 1932/8/31 夕
『家主泣せの鮮人横行/立退料をゆすったり近隣を困らせたり』 神戸又新日報 1932/8/31 夕
『嫌がらせては立退料をせしむ始末の悪い鮮人』 神戸新聞 1933/1/24
『引越し荷物は朝鮮人/各所で計画的ないやがらせで立退料を狙ふ家主泣かせ(本山村)』 大阪毎日 1933/1/24
『家主泣かせ(下鴨中河原町、立退料強請の朝鮮人土工ら)』 大阪朝日 1933/3/25 京版
『立退料目的の借家戦術/悪鮮人を検挙(林田)』 神戸又新日報 1934/2/10 〔7/11〕
『立退料稼ぎに一芝居/不良鮮人が(林田)』 大阪毎日 1934/2/10 神版
『立退料を恐喝/鮮人二人の家主泣かせ/哀れ妻子警官の情に救はる』
『家主泣かせの朝鮮人あがる/日本人の妻を利用して借家/千円の立退料稼ぐ(林田)』 大阪朝日 1934/3/7
『立退料目当に悪辣な家主泣かせ/女を手先にして借家荒し/内鮮人一味捕はる』 大阪毎日 1934/3/7 神版
『立退料を狙ふ家主泣かせ鮮人、神戸駅前で捕はる』 神戸新聞 1934/7/26 〔6/7〕 神戸・兵庫 【住宅】
『家主いぢめの立退料稼ぎ/二千円を詐取した鮮人逮捕(神戸)』 大阪毎日 1934/7/27
・・・・・・・・・・






信州レタス、支える中国人615人
2008年04月20日02時09分
 大型バスから降り立った101人は、だれもかれも同じ紺色の背広に赤い野球帽をかぶっていた。

 高原レタス生産量日本一を誇る長野県川上村に、4月9日から3日続けてそんな一行が到着した。全員が中国東北部・吉林省の農民だ。今月下旬までに計615人。これから11月まで、人口4800人の村に仮住まいし、農業研修生として信州野菜を育てる。
 「お母さん、おはようございます」。到着の翌朝、レタス農家の女性(62)に、楊光さん(23)と王凰竜さん(21)があいさつした。覚えたての日本語だ。
 驚いたことに今年の2人はいきなり日本名を名乗った。「片岡と呼んでください」と楊さん。王さんも「私は佐藤です」。中国の送り出し機関が、日本人が呼びやすいよう今年から研修生一人ひとりに日本名をあてがったという。曲さんは谷口さんに、宋さんは新美さんになった。
 研修生は1農家2人まで。楊さんと王さんの住まいは改装したカラオケボックスだ。4畳半大にベッド二つと小机が並び、プレハブの台所兼食堂もある。「少し狭いけど、電化製品もひと通りそろっていて快適」と楊さん。
 2人とも実家はトウモロコシ農家で、年収は1万元(約15万円)ほど。地元当局の出稼ぎ奨励広告を見て、7カ月働くだけで年収の4倍と知り、長野行きを決めた。
 語学や生活習慣の研修後、畑に出る。春はレタスの苗を植え、夏の間は収穫に追われる。秋はハクサイだ。
 研修生に支払われる手当は月々8万5千円。時給換算すると約530円。長野県の最低賃金669円以下だが、7カ月で帰国する彼ら研修生には最低賃金法は適用されず、合法的な額だ。ほかに受け入れ農家は、研修生の渡航費や光熱費、米代も負担する。
 20年ほど前まで、農繁期の川上村には若い日本人があふれた。日当6500円に残業代を含め1万円、3食付きで宿泊代もタダ??。そんな募集広告を「フロムA」など求人誌に載せれば、大学生や高校生が押しかけた。
 それが十数年前から、働き手不足に陥った。農家の伊藤嘉武さん(63)は「求人を出しても日本人が集まらねえ。来ても3日ともたずに逃げ出すようになった」と嘆く。腰をかがめての植え付け、未明から始まる収穫、重い箱の運搬。実入りはよくても、きつい仕事が嫌われるようになった。
 日本人アルバイトが減って、まず村に現れたのはイラン人やインドネシア人たち。レタスの収穫作業が始まる午前2時ごろ、農家に姿を見せては「シゴト、手伝います」と懇願して回った。
 だが就労資格が不安定だった。昨年と一昨年でインドネシア人やスリランカ人ら計約30人が東京入国管理局と長野県警に拘束された。ビザが切れていた。
 中国人受け入れは4年前から。最初は48人で、順調に増えたが、一昨年、研修生の深夜労働は法令に触れると入管から指摘された。農家は頭を抱えた。収穫期には未明から働かせて残業代を支払っていたからだ。「300時間まで残業をさせてあげてと最初の説明会で言われた。忙しい時に使えて、研修生も残業代に大喜びだったのに」。計15万円の残業代を支払ってきた農家の女性(59)は残念がる。
 地元JAなどが相次いで受け入れ資格を停止された。代わって、研修生を受け入れるため、約200戸の農家が村農林業振興事業協同組合を設立した。「中国人研修生はもはや欠かせない労働力。お金は多めに払ってでも日本人を雇いたいが、日本人はもう来てくれない」と組合の佐原吉平理事長(64)は話す。
 食料の自給率が39%まで落ちた日本。中国製食品への不信が広がる一方、日本の自給の現場はいまや中国人頼みになりつつある。外国人に依存する「農」や「漁」の現場を訪ねた。
 ■カツオ漁にインドネシア人
 宮崎県南郷町の目井津(めいつ)漁港を訪ねた。長野県川上村がレタス日本一なら、近海カツオ一本釣り漁では、南郷町が漁獲日本一と聞いたからだ。
 カツオの水揚げ作業に立ち合った。ここでは若い日本人の不足を補うように、インドネシア人たちが働いていた。
 4月7日午前2時半、5日間のカツオ漁を終えた第28一丸が戻ってきた。乗組員20人のうち6人がインドネシアからの研修生と実習生だ。
 6人は交代で深さ2メートルの魚槽に足から入り、1匹3~15キロのカツオをしゃがんでは甲板上に持ち上げる。つらい作業が釣果6トンをすべて水揚げするまで2時間以上続いた。
 「キツイ仕事、私たちが交代でやる。日本人やらない。でも船の日本人、みんな先輩だから仕方ないよ」。3年目の実習生(22)はそう話す。エサとなるイワシの片付け、カツオの血の散った甲板の清掃、食事後の食器洗いが仕事だという。
 毎朝日の出の15分前には起床する。カツオの群れと遭遇すると、全員が甲板に出てサオを垂らすが、1年目はエサ運びだ。釣りに加われるのは2年目からだ。
 南郷町は93年、漁業分野でいち早く外国人研修生の受け入れを始めた。漁師のなり手が激減したからだ。80年に2874人いた漁師はいま4分の1に。漁師の平均年齢は55歳まで上がった。
 当初の2年はフィリピンから受け入れた。しかし、失跡事件が続き、漁協も役場も懲りた。以後はインドネシアの水産高校の卒業生に絞った。みんな20歳前後で、いま町内に161人もいる。
 水産高校で航海は経験ずみのはずだが、1年生は最初の2、3航海の間、きまって船酔いで七転八倒する。穏やかなインドネシアの海と違って日本近海は波が荒い。
 スミントさん(21)は「ミント」、コシムさん(21)は「シム」と名乗った。来日前から日本人が呼びやすいあだ名が付いている。2人の実家は米農家で月収は1万2千円ほど。手当は1年目が月4万円。2年目が7万円、3年目が8万円だ。2人は半年ごとに10万円ほど送金する。コシムさんは「国に帰っても漁業の勉強を続けたい」と話した。農業より漁業の方が稼げるそうだ。
 出港の前日、6人が共同生活する部屋を訪ねた。最新の携帯ゲーム機とポータブルDVDプレーヤーが新鮮だった。カツオ漁では1年の大半を洋上で過ごす。ゲームと映画や日本のドラマを見るのが船上での楽しみだという。
 3年目の実習生のジュナエリさん(22)の呼び名はジュナだ。「日本の船のGPS(全地球測位システム)やエンジンの技術はすごい。もっとお金もほしいし、船のハイテク機器のことも吸収したい」。漁の途中、富士山は見たが、東京や大阪にも行ってみたいと話す。
 いま、燃油の高騰が漁村を直撃している。1リットル30円台だった重油がここ4年で80円台に突入。カツオの北上に応じて北へ移動するカツオ船は年に重油約1千キロリットルを消費し、コストは約5千万円も上がった。なのにカツオ単価は横ばいで、漁船側にしわ寄せが来る。
 ある船主によると、大半のカツオ漁船の乗組員の給与は、利益を乗組員の数で割って決まる。インドネシア人は対象となる人数には入らず、その分、日本人の収入が確保できているという。彼らがいないと、燃料費がかさむ近海カツオ漁の経営はすでに立ち行かなくなりつつある。
 町職員時代、受け入れに奔走した阪元勝久南郷町長(65)は言う。「若い人がいなくなる中この制度には助けられた。雇用の問題は地方では切実。企業が来てくれないと、若い人の職はなく定住はしない。豊かな自然だけでは生きられないんですよ」
 日本一のレタスとカツオの生産現場を歩き、外国人に頼らざるを得ない現実を見た。農林水産省の掲げる7年後の食料自給率45%という数字がはるか遠くに思える。就農対策を担う同省経営局の田中誠二参事官は「外国人への依存が固定化すると、外交関係の悪化などで急に人手が確保できなくなった時に生産が立ち行かなくなる」と危機感を募らせる。
 国内の39歳以下の新規就農者数は年間約1万1千人。農業分野で急増する外国人研修生は06年で7496人。次代を担う就農人口で外国人に追い抜かれるのは、もう時間の問題だ。(歌野清一郎)

http://www.asahi.com/national/update/0420/TKY200804190221.html
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