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【仙谷由人研究】権力闘争に魅入られた弁護士

2010年12月07日 | 政治 経済
【仙谷由人研究】(2)権力闘争に魅入られた弁護士
2010.12.4 22:07

 ■法へのこだわり
 官房長官の仙谷由人の言動を追うと弁護士であることへの自負がにじむ。ときに依頼人(首相の菅直人)の利益を守るためならば、論理のすり替え、詭弁(きべん)、恫喝(どうかつ)も厭(いと)わないのも弁護士の宿痾(しゅくあ)だといえよう。

 菅が副総理・国家戦略担当相当時に「沖縄独立論」を述べていたことが発覚した今年6月、仙谷は記者会見でこうはぐらかした。

 「若いときの職業柄だが、検証しようがない伝聞証拠は、刑事訴訟法で言えば証拠能力がない」

 仙谷はその後、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件でも刑訴法の引用を乱発したが、そのはったりともいえる手法はすでに見透かされている。同じく弁護士資格を持つ自民党参院議員の森雅子は「仙谷さんは、法律知識が豊富な相手にはケンカを売らないんですよ」と冷笑する。

 仙谷が弁護士登録したのは昭和46年、25歳の時だった。最初に担当したのは日立製作所の在日韓国人就職差別訴訟。この裁判で、仙谷は見事原告を勝訴に導いた。

 当時、在日韓国・朝鮮人差別反対運動に携わり、裁判で補佐人を務めた元現代コリア研究所所長、佐藤勝巳はこう振り返る。

 「仙谷は司法修習を終えたばかりで純真な人間だった。4人いた弁護士の中で一番勉強熱心だったな…」

 佐藤は、仙谷から「学生運動の活動家上がり」との印象は受けることはなかったというが、「ただ、日本の過去の植民地支配に対する贖罪(しょくざい)意識は非常に強かった。そこは旧社会党的だった」。

 法を操る“技術”への過信、そして贖罪意識こそが、政治家、仙谷の言動の根底にあるのではないか。

 ■戦後補償と韓国

 最初に手がけた事件の影響からか、仙谷の韓国への思い入れはことのほか強い。日韓併合100年にあたり過去の植民地支配を謝罪する首相談話も主導したのは仙谷だった。

 平成2年に社会党から衆院初当選後まもなく、衆院議員会館の自室で東大時代の同級生の訪問を受けた。フィリピンや韓国での慰安婦補償請求などを主導し、「戦後補償の仕掛け人」として有名になる弁護士の高木健一だった。

 全共闘運動で正面からの左翼活動に挫折した仙谷は、日本の戦後責任追及に意欲を燃やした。高木とはその後、ロシアのサハリン残留韓国人の帰還事業で連携して日本政府を追及、実際は旧ソ連の責任が大きいことには目をつぶった。「香港軍票と戦後補償」という共著も残した。

 「法律的に正当性があると言って、それだけでいいのか。(日韓関係の)改善に向けて政治的な方針をつくり、判断をしなければならない案件もある」

 仙谷は官房長官就任後の今年7月、日本外国特派員協会で突如として韓国への新たな個人補償を検討する考えを表明した。

 日韓両国は昭和40年の日韓基本条約とそれに伴う協定で個人補償請求問題を「完全かつ最終的に」解決している。法律家である仙谷が知らぬはずはない。今年1月の衆院予算委で仙谷は「日韓基本条約反対のデモに参加した」ことを認め、著書では基本条約について「サハリン残留韓国人問題はこの対象外というのが法的にも素直な解釈だ」と記している。むしろ「誰よりも詳しい」との自負があるに違いない。

 にもかかわらず、新たな個人補償に踏み込んだのは「日韓基本条約は無効だ」との思いがあったからではないだろうか。結局、仙谷は8月の参院予算委員会で「日韓間の請求権問題については最終的に解決済みだ」と訂正を迫られたが、心からそう思っているようには見えない。

 ■小沢弁護にも意欲

 新左翼活動家によるピース缶爆弾事件、社民党元衆院議員の保坂展人が原告となった内申書裁判-。仙谷は弁護士としてこれらの裁判に関わるとともに総評系の労働運動とも深くコネクトしてきた。現在も自治労の組織内議員である。

 「仙谷さんはつねに権力と向き合い、闘い、勝利することを目指してきた」

 徳島県立城南高校の後輩で仙谷の選対本部長を務める弁護士の木村清志は弁護士・仙谷像をこう語る。

 その仙谷が、政治家として目標とするのは元官房長官、故後藤田正晴だというが、後藤田の親族である自民党衆院議員、後藤田正純(徳島3区)はこう見る。

 「仙谷さんには謙虚さがない。権力批判をしてきた人は、権力の座に就くと権力に不真面目になる」

 別の四国選出の国会議員は「仙谷さんは権力闘争が目的化しすぎて、何をやりたいのかいつの間にか分からなくなってきたのではないか」と指摘する。

 仙谷は数年前周囲にこう漏らしている。「人生の最後の10年間は弁護士として活動したい」

 西松建設違法献金事件で民主党元代表の小沢一郎の秘書らが逮捕された昨年春。反小沢の急先鋒(せんぽう)のはずの仙谷は木村に真顔で語りかけた。

 「弁護士として手がけたらなかなかやりがいがある案件じゃないか」

 心は今も弁護士のままなのではないか。(敬称略)
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101204/plc1012042212020-n1.htm








尖閣衝突:仙谷長官、中国に事前通報「今日、船長釈放」

 「今日、釈放されます」。臨時国会召集を1週間後に控えた9月24日午前、仙谷由人官房長官から在日中国大使館の孔鉉佑公使に電話で連絡が入った。沖縄県・尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船に衝突した中国漁船の船長釈放を那覇地検が発表したのは同日午後2時半。釈放決定は首相官邸中枢から中国側に事前通報されていた。

 当時の政府の説明では、仙谷氏は官邸で柳田稔法相(当時)と協議中の午後0時半、法務省から連絡を受けた滝野欣弥官房副長官から検察の釈放判断を知らされたことになっていた。官邸は「検察判断」を強調していたが、実際には周到に仕組まれた政治判断だったことが、複数の関係者の証言から次第に明らかになってきた。

 事件が起きた9月7日、海保を所管する前原誠司国土交通相(当時、現外相)は海保が15分ほどに編集した衝突時のビデオ映像を見て「ただちに逮捕、ただちにビデオも公開すべきだ」と官邸に報告した。中国の反発を警戒する仙谷氏は逮捕に否定的だったが、菅直人首相は前原氏に同調。石垣海上保安部(沖縄県)が8日未明に船長を逮捕した。ビデオについては仙谷氏が「(刑事訴訟法に基づく)証拠品だ」と主張し非公開と決めた。

 転機は19日、那覇地検が請求し、石垣簡裁が認める決定をした船長の10日間の勾留延長だった。検察当局は国内法に基づいて粛々と対応し、仙谷氏もその「建前」を通したが、官邸関係者は「仙谷氏はその瞬間から釈放に動き始めた」と明かす。

 仙谷氏は20日、菅首相と公邸で約3時間協議。内閣改造で外相に横滑りした前原氏、外相から民主党幹事長となった岡田克也氏も約30分間加わった。対中関係の悪化にいら立つ首相は「一刻も早く対応してくれ」と言い残し、国連総会出席のため22日にニューヨークへ出発。しかし、23日には中国からのレアアース(希土類)の対日輸出がストップし、建設会社の邦人4人の身柄が中国河北省で拘束されたことが発覚。状況は緊迫した。

 日本時間の23日深夜、前原氏はニューヨークでクリントン米国務長官と会談し「日米安全保障条約は尖閣諸島に適用される」との発言を引き出した。仙谷氏は首相、前原氏と電話協議し、釈放の環境が整ったと判断。24日未明「近々、釈放する」と少数の関係者に伝えた。首相も日本時間の24日朝、オバマ米大統領との会談で「冷静にやっている。近く解決する見通しだ」と釈放を示唆した。25日未明に処分保留で釈放された船長を中国政府がチャーター機で石垣空港に出迎えた素早い対応の背景には、仙谷氏から中国大使館への事前連絡があった。

 このころ、菅首相は11月に横浜市で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議をいかに成功させるかを強く意識していた。日中外交関係者は「中国側から仙谷氏には『APECに胡錦濤国家主席が来ても、このままでは菅首相との首脳会談はできない』と伝えていた。これが殺し文句だったと聞いた」と振り返る。

 結果として、このタイミングでの釈放判断が「中国の圧力に屈した弱腰外交」との批判を浴び、首相や仙谷氏が「検察の判断」として責任を回避するような発言を繰り返したことが政権批判に拍車をかけた。

 菅首相は臨時国会初日の10月1日の所信表明演説で「政策の国会」「熟議の国会」を掲げ、政策論争を通じて与野党の接点を探ろうとした。しかし、これ以前に菅政権の国会戦略は崩壊への道を転がり始めていた。

 国会は尖閣問題が最大の焦点となり、最後は仙谷氏と、ビデオ流出時の馬淵澄夫国交相の問責決議可決という、予期せぬ展開で今月3日に閉幕した。尖閣事件の政治判断が混迷を招き、菅政権失速の引き金となった。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101206k0000m010112000c.html





官房長官の船長釈放「事前通報」報道 自民外交部会が追及
2010.12.7 13:59

 自民党外交部会は7日午前、仙谷由人官房長官が尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を起こした中国人船長の釈放を、事前に中国側に電話で通報していたとする毎日新聞の報道について、政府側の説明を求めた。内閣官房や外務省は「仙谷氏が事前に中国大使館の公使に電話した事実はない」と否定した。
 出席者からは、船長を中国に帰したチャーター機の手続きが事件発生当日の9月24日に速やかに行われたことについて「事前に中国側が釈放を知らなければ、あんなに手際よく行くはずがない」との指摘が出たほか、「事実でないならば毎日新聞に抗議すべきなのに、していないのはなぜか。事前通報が事実だからではないか」との意見が出た。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101207/plc1012071400018-n1.htm






細野極秘訪中 仙谷氏「関知せず」、親交のコンサルタントは「私がセットした」
2010.12.7 18:13

 仙谷由人官房長官は7日の記者会見で、尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件後の今年9月に民主党の細野豪志衆院議員が「密使」として訪中し、中国の戴秉国国務委員と打開策を協議したことが仙谷氏の依頼によるものだったとする関係者の証言について「関知していない」と否定した。
 仙谷氏と親交がある民間コンサルタントの篠原令氏が「仙谷氏とは学生運動時代からの知り合いで、(訪中仲介を)頼まれたからやるべきことをやった」と語り、仙谷氏の要請で会談をセットしたことを6日夜のTBSの報道番組が紹介した。
 篠原氏は7日、産経新聞の取材に事実関係を認めた上で「戴氏は私の古くからの友人のためセットできた。仙谷氏の立場では実際がどうであれ、二元外交と批判されるので『関知しない』と言わざるを得ないのだろう」と語った。

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101207/plc1012071815020-n1.htm

仙谷氏、「衝突事件のビデオ映像を公開しない」「沖縄県知事の尖閣諸島視察を中止」中国の要求に応じていた










仙谷氏側に元総会屋が献金 業務停止の先物取引会社も
2010.12.1 02:00

 仙谷由人官房長官の関係政治団体「仙谷由人全国後援会」が、恐喝未遂容疑で昨年6月に逮捕された元総会屋の男性(69)から5万円の献金を受領していたことが30日、公開された政治資金収支報告書で分かった。客とのトラブルで業務停止などの処分を受けた先物取引会社側からも3万円の寄付を受けていた。

 収支報告書によると、元総会屋の男性からの献金は昨年5月21日にあった。この男性は献金の約1カ月後、「最後の大物総会屋」を名乗り、日本たばこ産業(JT)からたばこを脅し取ろうとした疑いで広島県警に逮捕され、その後、起訴猶予となった。昨年4月に死去した大物総会屋の実弟で、平成6年まで別の総会屋グループの代表だった。

 先物取引会社側からの献金は昨年2月にあり、仙谷氏の団体には19、20年にも10万円ずつを寄付していた。同社は客とのトラブルが絶えず、19年にはトラブルを隠蔽(いんぺい)したなどとして経済産業省から業務停止処分を受けた。献金は同社などの企業グループが設立したとされる政治団体「平成の会」を通じて行われた。

 仙谷氏の事務所は「いただいた寄付については法令に従って適正に収支報告書に記載をしております」とコメント。元総会屋の男性とは、仙谷氏が男性の実兄の弁護を担当したことから面識があったといい、「逮捕されたとは知らなかった。事実関係を調べた後、対応を検討したい」とした。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/101201/crm1012010200005-n1.htm




ウナギ偽装会社社長から100万円 仙谷官房長官の団体
2010年12月1日11時40分

 仙谷由人官房長官の資金管理団体「制度改革フォーラム」が2009年8月、中国産ウナギ産地偽装事件にからみ、不正競争防止法違反(虚偽表示)の罪で罰金刑を受けた地元・徳島市の水産物卸会社「徳島魚市場」の社長から100万円の寄付を受けていたことが、11月30日に総務省が公表した政治資金収支報告書で分かった。

 仙谷氏の事務所は「親会社として管理監督責任を問われ、罰金を支払ったことで事件が終結していることを社長に確認した。寄付は社長個人の厚意であり、事件とは関係がないことなどから問題はないと考えている」としている。

http://www.asahi.com/politics/update/1130/TKY201011300568.html












菅首相:「仮免許を経てこれから本番」支持者らに

 菅直人首相は12日夜、東京都内であった支持者との年末交流会で「これまでいろいろあったが(首相就任から半年間の)仮免許を経て、これからが本番だ。自分がやりたいことを出していきたい」などとあいさつした。出席者が明らかにした。会合は非公開で、支持者らを前に不安定な政権運営の現状が思わず口に出たようだ。

 首相の「仮免許」発言について、自民党の石原伸晃幹事長は13日午前、党本部で記者団に「そんな人たちに(政権を)お任せするわけにはいかない。一刻も早く辞めていただきたい。衆院解散・総選挙を目指す」と反発した。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101213k0000e010052000c.html



菅首相の「仮免」発言を批判=野党

 自民党の小坂憲次参院幹事長は12日夜、菅直人首相が「これまでは仮免許だった」と発言したことについて、「仮免許で政権を運営されてはかなわない。一日も早く政権を明け渡すべきだ」と批判した。
 公明党の山口那津男代表は「むしろ鳩山内閣時代の副総理の期間が仮免許だったのではないか」と述べた上で、「仮免許で国益がどんどん損なわれたのであれば、即刻免許を返上すべきだ」と強調した。また、みんなの党幹部も首相発言について「失笑してしまう。語るに落ちた話だ」と指摘した。 (2010/12/13-00:48)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2010121300005



ふざけるな!菅首相850人の「大忘年会」
2010年12月13日 掲載

「総理をコロコロ代えてはいけない」「これまで仮免許だった」とノーテンキ発言連発

 どこまでノーテンキなのか。菅首相が12日後援会を集めた「大忘年会」を開いた。明治記念館で夜7時から開かれた会合に集まったのは、なんと850人。会費8000円。着席式の大宴会だった。
 現職の総理大臣が、予算編成の忙しいさなかに後援会を集めて宴会を開くのは前代未聞のこと。しかも、12日は来年4月の統一地方選の前哨戦となる茨城県議選が行われた当日だ。
「宴会は報道陣をシャットアウトして行われました。伸子夫人もうれしそうに同席してましたよ。呆れたのは、菅さんの挨拶です。『日本のように総理がコロコロ代わるのは恥ずかしい』と語り、『私はいま仮免許が終わったところだ。本免許が取れた。これから命がけで一生懸命働く』と自信満々に話していた。これだけ支持率が下がっているのに、辞める気はゼロ。ヤル気満々です。しかし、仮免許で6カ月間も総理をやっていたなんて、よくぞ平然と言えたものです。一国を背負っているという自覚がまったくない」(政界事情通)
 民主党の中からは、「いつ解散・総選挙があってもいいように後援会を固めたのだろう」なんて見方が出ているが、不人気の菅首相が解散に打って出られるはずがない。むしろ、いつ総辞職に追い込まれてもいいように、総理のうちに忘年会を開いたのではないか。
 それにしても、この男が首相をつづける理由は、「総理をコロコロ代えてはいけない」しかないのか。

http://gendai.net/articles/view/syakai/127911

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