嘲弄されるコリア広報~「VANKと聞けばwank(自慰)を連想する」

2009年05月29日 | 支那朝鮮関連
【韓国】嘲弄されるコリア広報~「VANKと聞けばwank(自慰)を連想する」[05/28]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1243483279/

(写真)Andrew Salman=英国ザ・タイムス紙ソウル特派員
http://image.chosun.com/sitedata/image/200905/27/2009052701977_0.jpg

 先日韓国人のSさん(35歳)が、ニューヨークタイムズ紙に全面広告を出した。Sさんは、ニューヨークタイムズが今まで『東海(トンヘ)』を『日本海』と誤表記して来たと指摘して、ニューヨークタイムズに今までの『間違い』を認めて『真実』を学ぶように要求した。 私はここで東海が正しいか、日本海が正しいかを巡って論争しようと言うのでは無い。ただこの問題を取り上げる時、韓国人の行動が拙い(つたない)という点を指摘したいだけ。

 まずSさんについて。報道によれば、彼は『韓国広報専門家』らしい。それならば記者達を呼んでから話す事であり、なぜ広告から出したのだろう? 広報と広告は厳然に別の分野だ。彼の広告を見れば、彼は確実に広告専門家ではないようだ。広告イメージやコピー全てが注目されにくい作品だった。

 更に重要な事は、自分の思う『真実』だけを毎度強要する事が、自分の主張を貫き通す最も説得力のある道は無いという事。西洋の学問の風土において歴史は主観的だ。客観的ではない。そのため様々な解釈に対して行われる。

 新聞は広告主の反応に敏感だ。もしかしたらニューヨークタイムズは、Sさんの広告によって今後は地名を変更するかも知れない。しかしそれは広告収益のためであり、歴史を正そうというSさんの主張に共鳴してはないだろう。

 韓国政府の支援金を受ける団体のバンク(VANK)も同じだ。バンクはホームページも素敵に構え、国際社会と韓国の親睦を図るなど肯定的な側面もある。しかしバンクはその名前から問題を抱いている。英語を使う人々は、この団体名前を『ヴェンク』と発音する。『ヴェンク』という発音を聞けば、ほとんど自動的に『ウェンク(wank=自慰)という卑俗語を連想せざるを得ない。

 小さな問題ではない。バンクはその名前と発音だけで、度々笑い物になる事がある。実際に海外ブログにはバンクを茶化した文章が漂う。英語は現在世界で一番広く使われている言語だ。団体名称の決定に先立ち、英語を使うネーティブスピーカーに団体名称がどう聞こえるのか聞いていれば、名前もその様に付けなかったと思う。Sさんの広告と同じく、バンクも海外の視覚は無視した状態で、ひたすら韓国人の自分自身を満足させるために作られたのではないかと言う疑惑を消す事ができない。

 政府にも問題がある。インターネット百科事典のウィキペディア(Wikipedia)で『東海』を打てば、韓国政府と日本政府のホームページに行くリンクが出てくる。韓国外交通商部のホームページにはこう書いてある。「これまで実施された様々な研究結果を総合的に検討した結果、16~18世紀の初頭は韓国に連関した名称(東海)の方が頻繁に使われていた一方、18~19世紀以降は『日本海』の方が頻繁に使われ始めました」。同時に韓国政府は19世紀以前、『東海』がもっと多く使われたという主張を証明することは難しいと自認している。

 一方、日本の外務省のホームページでは、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシアの博物館で捜した17~19世紀の地図が、PDFファイルで登場する。はっきりと『日本海』と表記された地図だ。自分達の主張を史料で裏付けているのだ。外国人の耳に、どちらの主張がしっかりしているように聞こえるだろうか?

 韓国人は常々私に、「我らの文化は西洋とは違う」と言う。当然その通りだろう。しかし、韓国が国際的な論争の場で効果的に主張を広げようとすれば、韓国式の話法だけを固執してはいけない。一般レベルの英語力は勿論、広告と広報の両方で専門家的な疎通能力が必要だ。論理的な根拠を示し、第三者が認める実質的な証拠資料を取り揃えなければならない。そうしなければ友達よりも敵を作り、親睦よりも屈辱をもたらすのがオチだ。

ソース:朝鮮日報(韓国語)
http://news.chosun.com/site/data/html_dir/2009/05/27/2009052702143.html

(関連)
【日本海表記】肩書が「韓国広報専門家」 NYTに全面広告を載せたソ・キョンドクさん「韓国人は自負心を渇望している」[05/15]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242381413/l50
【日本海名称問題】韓国広報家、東海資料を日本と世界各国に送付[05/14]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1242271170/l50

NYタイムズの『東海』広告を見たアメリカ人の感想は?










【韓国】行楽地に出かけると、どこも人・人・人の大混雑……。日帝のせいです [05/28]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1243525950/l50

■日帝、行楽概念さえも変えた
  ~ 黄ギウォン教授:「総督府の旅行制限で、特定の場所に人々が殺到するようになった」

行楽という単語からは、「行楽シーズン」「行楽客」「行楽施設」のような単語と、ごった返す人の波、無秩序な場面が連想される。しかし我々の先祖が楽しんだ伝統的な行楽は、こんな姿とは程遠かった。

ソウル大学環境大学院の黄ギウォン教授は最近刊行した研究書『韓国行楽文化の変遷過程』(ソウル大学校出版文化院)の中で、「朝鮮王朝時代、人々の行楽は自然を通じた省察の過程であり、自らの修練の延長だった」と述べた。それが、日帝強占期に行われた旅行統制のため、限定されたいくつかの空間に人々が殺到するようになり、団体観光へ誘導した日帝の政策で行楽の行動が変わったというのだ。

行楽概念の変化は行楽場所の変遷の歴史を通じて容易に確認できる。朝鮮王朝時代、ソウルの人々は漢城府の城外にある北岳山・仁王山・洛山・南山の内四山一帯で主に行楽を楽しんだ。黄教授は、「自然に接することのできる場所であったし、風流空間を王道である城内に残すことができなかったからだ」と説明した。

黄教授は、このうちで三清洞、仁王洞・玉流洞、洛山・双渓洞、白雲洞、南山・青鶴洞を五大名勝地に挙げた。渓谷と松林が心地よい三清洞は都の人々の夏季リゾートであり、仁王山の仁王洞・玉流洞は花見と弓術の場所だった。紫霞門の白雲洞には文人たちが集まって風流を楽しんだ。五大名勝地のほかにも北漢山近くの牛耳洞渓谷には寺院が多く、女性たちの行楽活動が特に活発だった場所だ。

行楽文化は李朝末期と日帝強占期に変わり始めた。黄教授は最大の特徴として、公園文化の登場を挙げた。都城の外の岸辺や森に代わって、都城内の公園が行楽場所として多く利用されるようになったのだ。

当時の新聞報道には、「昨日午後3時に、法務大臣の高ヨンヒ氏が中部寺洞公園内で園遊会を催し、副官以上と大審院判検事以下、法官養成所長ら約60人を招待して盛会だった」(大韓毎日新報 1908年9月22日)といった記事が目立つ。

黄教授は、「公園は公式行事の場所として使われ、日帝強占期には市民たちの花見や避暑に活用された。日帝は昌慶宮や秘苑などを格下げして公園に変え、こうした雰囲気を助長した」と述べた。1920年代に至ると、こうした集団的行楽はピークに達した。1924年には春の花見に昌慶苑に繰り出した利用者が4月の一週間だけで約15万人にのぼった。当時の京城の人口は36万人だった。

ふっかけ料金などの副作用もこの時から始まった。黄教授は、「行楽地の秩序維持が警察の主な仕事であり、当時既に行楽地の物価取り締まりがあった」と紹介した。

黄教授は、「自然と一つになって自らを省察する真の意味での行楽活動は衰えた。意味もなく人ごみの中に繰り出す行楽客や、心身の休息を取るのではなく疲れるばかりの団体観光など、日帝によって歪曲された姿は、いまだに相当部分残っている」と指摘した。

▽ソース:東亜日報(韓国語)(2009-05-28 02:59)
http://www.donga.com/fbin/output?f=j_s&n=200905280081
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=13&articleid=2009052802593094710&newssetid=85


3 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/05/29(金) 00:53:50 ID:LCsGZCXb
郵便ポストが赤いのも日帝のせいだしな

4 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/05/29(金) 00:54:04 ID:gPkWWfAS
ほんとに日帝のせいにってなってて吹いた

9 :Ta152 H-0 ◆Tank/Ja2RQ :2009/05/29(金) 00:55:03 ID:CmGMizng ?2BP(1155)
暢気に金かけて行楽ができる、史上例を見ない残虐無比な植民地支配かw

206 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/05/29(金) 01:49:23 ID:T2vZcR1d
呉善花女史の本だったかで、
もともと韓国人には最近まで「旅行を楽しむ文化」が殆ど無かったってのを
読んだ記憶があるのだが。


352 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/05/29(金) 04:20:23 ID:3g2fIt6h
>公園は公式行事の場所として使われ、日帝強占期には市民たちの花見や避暑に活用された。
>1924年には春の花見に昌慶苑に繰り出した利用者が4月の一週間だけで約15万人にのぼった。
>当時の京城の人口は36万人だった。


当時朝鮮人は極悪卑劣な日帝の統治下で苦しんでるじゃなかったのか?


620 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/05/29(金) 11:13:51 ID:0G3P5k2N
>日帝は昌慶宮や秘苑などを格下げして公園に変え、こうした雰囲気を助長した。

格下げどころか、日帝様は併合の1年前に門と塀だけの廃墟となってる昌慶宮を更地にして、立派な複合レジャーランド(動物園+植物園+博物館)を造ってあげたのにねぇ....
しかも、韓国政府は戦後40年近く経っても日帝様が造ったそのレジャー施設を運営してるしw

↓↓↓

昌慶宮(Wikipedia)

昌慶宮(チャンギョングン、しょうけいきゅう、???、Changgyeonggung)は、ソウル市にある李氏朝鮮時代の宮殿。世宗元年(1419年)に建築され、最初の名前は寿康宮といったが、成宗14年(1483年)に修繕されたのち、現在の名前である昌慶宮に変えられた。南側には宗廟、西側には昌徳宮が隣接している。

文禄の役(1592年)において、国王の宣祖が漢陽(ソウル)から逃亡すると、豊臣秀吉軍の入城を前に朝鮮の民衆によって略奪と放火の対象となり景福宮や昌徳宮などと共に建物の多くが焼失した。

1909年、日本が純宗の心を慰めるとして昌慶宮内の宮門や塀を壊して動物園と植物園を造り一般人も観覧できるようになり、1911年には博物館を建て、昌慶苑に改名したとされる。1984年、動物園などをソウル郊外のソウル大公園へ移転させ、昌慶宮を復元・整備し、再び名前を元来の昌慶宮に戻した。大韓民国の史跡第123号に指定されている。

酷かった朝鮮の道が変わったのは総督府の冶道事業のせい
英語を一生懸命勉強しても上達しないのは、日帝のせい
任天堂、韓国は「ソフト違法コピーまん延国」指摘~コピー蔓延は任天堂のせい
ロッテがコカ・コーラ製品をパクリ~「コンセプトを借りただけです。そういった商品は多いですよ」
「郵便ポストが日帝残滓」と物議/韓銀職員、「貨幣単位『ウォン』は日帝残滓」
【韓国】 応援でよくやる「3-3-7拍子」など~我々の日常に潜む日帝残滓、払拭する研究急げ
【韓国】「我が国の反日は言うまでもなく、主に日本のせい。いつになったら反日をやめられるのだろうか」
チョ容疑者、自室にメモ「こうなったのもおまえたちのせいだ」
【韓国】専門家が見る「お前のせい」現象











【中国ブログ】「痰を吐かない」だけでも日本人の素養の高さが分かる
2009/05/30(土) 20:40

  このブログは中国人ブロガーが日本について学ぶよう提言するものである。以下はそのブログより。
--------------------------------------------------------------
  私の身の回りにいる人々は皆、日本人を嫌っている。彼らにその理由を尋ねると、皆決まって「かつて中国を侵略したからだ」と答える。しかし、私はこれは理由とはならないと感じている。

  私の考えでは、日本には我々中国人が学ぶべきものが多くあると感じている。そのうち、最も基本的なのは清潔さと礼儀正しさであろう。「痰を吐かないでください」という注意書きが存在しないと言う一点だけを見ても、日本人は我々よりも素養が高いことが分かるだろう。

  かつて、世界的に有名な雑誌が中国についての評論を掲載したことがあった。そこには「中国は世界で最も浪費が多く、最も汚い国である」と書かれていたのだ。

  「敵を知り、己を知らば、百戦危うからず」という言葉があるが、現在の日本における出版物で中国に関する文章を見かけない日は一日としてない。一方、中国では、人々は日本や日本人について取り上げることを嫌い、「日本」という文字すら見たがらない。このような状況が長期間続いたらどうなるだろうか?日本は中国を知り尽くしても、中国は日本のことは何も知らないと言うことになろう。

  日本人は模倣とイノベーションが得意な民族であり、彼らにとって「他人から学ぶ」というのは機会であり、光栄なことのなのだ。彼らは誰かから学んだものをさらに良いものへと昇華させると同時に、それを誰から学んだのかを隠すことは無いのである。

  こういう理由からか、欧米人は日本人に近づきたがっても、中国人に近づきたがることはない。例えば、欧米人が日本と中国のどちらかで働くことになれば、彼らは迷わず日本で働くことを選択するだろう。そして、これこそが中国と日本の距離なのだ。(編集担当:畠山栄)

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=0530&f=national_0530_025.shtml



国家が吐く痰  渡部亮次郎

1972年9月、当時の田中角栄首相に同行して初訪中した時は拝見する事ができなかったが、6年後、78年8月に秘書官として園田直外務大臣に随行して訪れた時には中国幹部は外国賓客と応対する時、足元に痰壷を置いて痰を吐く事を見た。

カーッ ペェ。首都北京の人民大会堂。ご承知のように外国賓客と会談する時、ここでは向かい合う事をしないで小さいテーブルを脇にしながら並んで座る。

ふと見ると中国側は自分の右足の下に壷を置いている。当方には置いてない。当時の国家主席華国鋒や副首相(とう)小平と園田外相との会談に立会ったが、会談中、カーッ ペエッと平気で痰壷に痰を吐く。「失礼」も何も無い。

園田氏はよほど堪えたのか「(とう)小平との会談のとき、ワシは必ず痰を吐いてやる!」と意気込んだ。「なかなか痰が出なかったが」と後で言っていたが、カーッといったかと思うとつかつかと氏の足元へ数歩歩いて行って「ペッ」とやった。

70を前にして子供じみたところを失わない人だった。それでも会談の冒頭、氏から「あなたは何歳ですか」と問われたのが屈辱だと怒っていたが、中国では相手の年齢を問うのは礼儀だそうです、と説明しても納得しなかった。

ところで私は元記者だから、中国政府の関係者に「あなた方は何故痰を吐くのか」と聴いた。「それは常に口の中に砂が入って来るからです」「それじゃ外国人の口には入らないと決めているのか」と聴き返したが、返事はなかった。

説明によれば「黄砂(こうさ)」が常に飛んでいるので口の中に砂が入って、ざらつくのでつい、カーッ ペエッとやりたくなるらしい。それなら外国からの賓客にも痰壷を用意すべきだが、そこまでは考えないのが中国人である。

日中平和友好条約の締結を契機として始まった経済の開放改革による経済のべら棒な発展。ところがそれに伴う水質汚濁、大気汚染が甚だしく、特に汚染された大気は九州を中心に日本に流れてきて光化学スモッグを惹起させ、日本人の健康を蝕んでいる。

私が思うには中国では痰を吐くことを相手に失礼な事だと思わないから、工場が排水、排気を痰を吐くように他人のことなど考えずに吐いているのだ。

ここで突然思い出した。1972年9月に日中間の国交が正常化したのに伴って、彼らは東京に大使館を開設すべく何人かがやってきて都内の新興ホテルに滞在した。

その時、ホテルの社長がこぼした。「何しろ、そこらじゅう、絨毯に唾を吐くのです、どんな偉い方もです」。あの頃東京に黄砂は飛来していなかったはず。要するに痰や唾を処構わずに吐くというのは習慣になっていると言う事ではないか。

http://blog.kajika.net/?eid=703522
http://www.melma.com/backnumber_108241_3890422/
http://chomon-ryojiro.iza.ne.jp/blog/entry/378401/
http://www.melma.com/backnumber_108241_4001093/











【韓国】「鰻(うなぎ)の尻尾にこだわるアナタは韓国人」[06/01]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1243823518/l50

(写真)
http://imgnews.naver.com/image/025/2009/05/31/htm_20090531040024a000a010-001.JPG

近くて遠い国、日本。この微妙な距離は『舌の先』でも感じられるようだ。

韓国と日本の間隔、味覚の距離感を計った著者は、日本・産経新聞ソウル支局長の黒田勝弘(68歳)。時々日本の『極右人士』とまで評価されたりするが、代表的な『知韓派』の報道人だ。家族を日本に置いて約30年以上韓国で『男・やもめ』生活をしている。その歳月のほとんどを韓国の食品を買って食べたはずだ。韓国料理、特に『飲食店料理』に対する『鑑識舌』から見ると、そこそこの韓国のおじ様達では太刀打ちできない。韓・日の食文化を比べる短編文で、負担の無い本を編集した。

韓・日両国で愛される『保養食』の鰻料理を見てみよう。韓国男性の鰻焼きに対する『執着』は、少し妙な部分がある。鰻の『尻尾』の部分を高く好む。「精力に良い」と言う俗説から。そのため鰻を食べる時は尻尾を勧める事が多いのだが、この場合日本人は狼狽すると言う。豊かで柔らかい身に部位なら、当然うなぎ背などの部位だ。他の魚の場合なら尻尾が美味しいだろうか?。日本では上司や目上の来客に尾の部分を勧めれば失礼だ。それでも日本人が鰻の尾を嫌っているのでは無い。日本人の鰻に対する愛は格別だ。鰻の肝を皮に包んで焼いて食べたり、を内臓だけ焼き串で売ったりする。鰻の頭も食べると言う。

キムパプ(海苔巻き)に対する見解を見てみよう。日本式の寿司に登場する親指くらいの太さの『ノリマキ』と言う日本式の『キムパプ』がある。彼が言うには、『キムパプ』は本来日本の食べ物だ。日本のこの『ノリマキ』が韓国に伝わり、『キムパプ』になったと主張している。しかし両国のキムパプは完全に変化した。日本のキムパプには酢が入り、韓国のキムパプはごま油を使う。魚の好きな日本と、肉を好きな韓国の好みの差であると言う。韓国はキムパプの中に入る具が、日本に比べて物々しい。

ここにキムパプを卵の黄身で包んだ『ケランマル・キムパプ(卵焼き海苔巻き)』や、『ヌード・キムパプ(裏巻き)』まで誕生させた『韓国キムパプ』の華麗な変身に、著者は圧倒されている。『キプパプ天国』はこの地にある。

韓国特有の、『丸ごと』で食べる物に対する憧れと郷愁も窺える。彼が1970年代の韓国での留学生活中に初めて接したという『トンタッ(鳥の丸焼き)』。言葉だけでも胸がいっぱいの『全く大きなスケール』に満腹感がしたと言う。丸ごとで食べる蒸したトウモロコシさえも不思議だったとは。彼が丸ごとニワトリを茹でる『タッハンマリ』のオタクになった理由でもある。しかしそんな『丸ごと』の食文化は韓国人自らが忘れて行っている。最近では『タッハンマリ屋』も部分的な鶏肉を差し出す事があり、当たり前と言う。

最近の韓国食は、味付けや見た目で『日本式』がかなり進んだ。この日本人は、その日本式が気に入らないようだ。

ソース:NAVER/中央日報(韓国語)
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=025&aid=0002014565



最新の画像もっと見る