秋田県横手市増田町 千葉建築のブログ

秋田県の県南、横手市増田町の工務店、(有)千葉建築のブログです。
よろしくお願いいたします。

江戸から東京へ

2010-07-17 09:35:21 | 歴史と文化
7月17日(旧暦6月6日 五黄 大安 戊辰 不成就日)


おはようございます。横手市増田町の工務店、千葉建築です。

活発化した梅雨前線による大雨の被害はますます広がっており、島根県や広島県、岐阜県で死者・行方不明者が出るなど、本当に痛ましい災害となっています。

自然災害を前にして、人間が直接的に食い止めるにはあまりにも無力であることを感じます。

ダムや河川整備などの治水といったハード面と、危機管理や防災意識の向上といったソフト面の両面から、水害への対策を十分に行っていく必要性をあらためて感じています。


さて、日本における「首都」といえば、おそらくほとんどの人が「東京」と答えると思います。

直接的に「東京を日本の首都とする」と定めた法律はありませんが、政治・経済機能の中心地であることや、「首都圏」を定めた法律で、「東京都及び周辺の地域を一体とした広域」としていることから、事実上の首都として国際的にも認知されています。

明治維新の前までは、794年の平安京遷都以来、京都が唯一の首都でありました。

「遷都」が宣言されておらず、東京は「東にある都」という意味から、京都もある意味「首都」としての地位にあるという意見もあります。

また、天皇即位の時などに使われる高御座(たかみくら)が京都御所にあることから、「天皇陛下は東京に居られるが、本当の御所は京都である」という考え方もあるとのことです。

私は東京の住人でも京都の住人でもありませんので、そのような感覚は良くわかりませんが、とにかく今日の話題は「東京」についてご紹介したいと思います。


1868年(慶応4年)7月17日(現行暦9月3日)、明治天皇の詔勅(命令)によって、天皇が江戸で政務を執ることが宣言され、江戸が「東京」に改められました。

これより2ヶ月前には、江戸町奉行の管轄地は「江戸府」となっており、転じて「東京府」となりました。

その後品川などの周辺地域が加わり、1889年(明治22年)に東京府の中心地を15区に分けて「東京市」を設置しました。

1893年(明治26年)には、神奈川県から東京府に多摩3地区が移管され、東西に長い現在の東京都と同じ形となりました。

1932年(昭和7年)には、東京市は近隣82町村を加えて35区となり、現在の23区とほぼ同規模の範囲となったそうです。


戦時中の1943年に、東京府と東京市が廃止され、新たに「東京都」が誕生しました。

しかし1945年3月10日の東京大空襲などで、都市は破壊され、戦後は政府主導で東京の復興が最優先されました。

高度経済成長期からの発展はとどまることなく続き、1都6県からなる首都圏(東京都市圏)は3500万人以上の人口が集中し、世界一の規模の都市となっています。

これは逆に言えば、東京に経済が一極集中していることになり、その傾向は今でも続いています。


東京は23区を中心として、大都市としてのイメージが強いですが、伊豆諸島や小笠原諸島といった群島も東京都内であり、西部には登山やハイキング
で有名な「奥多摩」も抱えるなど、さまざまな顔を持っている都市となっています。

個人的には、東京は昔住んでいた時期もあることから、愛着を持っている場所ではあります。

しかし、夏の時期にコンクリートから伝わってくる猛暑や、冬の時期の乾燥した痺れるような寒さは、土と木々に囲まれた東北の田舎育ちの体にはつらいものがありました。

今になれば、地元の良さや悪さの両面を考える上でも、そうした経験が多少なりとも役立っているとは思います。


東京を離れて、10年近くが過ぎようとしています。

たまに東京を訪れると、都市の様相が変わっていたりと、今でも変わり続けている街ではあります。

しかし、変わらずにそこにある場所を見つけたときや、友人と再会したときなどは、すぐにでも時代をさかのぼることもできます。

そうした「嬉しさ」を大切にしながら、前進していく力としたいと思います。


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