【セックス、ドラッグ&ベースボール】
Darryl STRAWBERRY
高校時代から、エリック・デイヴィスらと共に、
その名がとどろいていたストロベリーは、
1980年、メッツから1位指名を受け、プロ入りを果たす。
83年、21歳でメジャーデビュー。
打率.257、26本塁打、74打点をマークし、
堂々、新人王を獲得、大器の片鱗をおおいに見せつける。
足を高くあげた構えから、
しなやかなスイングでボールをスタンドに叩き込むーーー
この、線の細いニュー・ヒーローは同時期にデビューした投手のドワイト・グッデンと共に
メッツの明るい未来を感じさせるニュー・ヒーローであった。
その後も、看板通りの活躍を続け、
86年には、27本塁打、93打点、28盗塁の活躍を見せ、
チームのリーグ優勝及び、WS制覇に大きく貢献。
84年~91年まで8年連続でオールスターに出場し、
名実共に、球界のスーパースターの一員となった。
87年、打率.284、39本塁打、104打点、36盗塁、
大きく打撃成績を飛躍させ、30/30も達成。
88年は打率.269、39本塁打、101打点で本塁打王を獲得し、
91年にはFA権を取得し、生まれ故郷のLAはドジャースに移籍。
5年で約2000万ドルの契約を結ぶなど、
順風満帆なキャリアを送っていたストロベリー。
......が、その実、見えないところでは、私生活でのトラブルが絶えず、
その体は麻薬・アルコールに蝕まれていた。
ドジャース1年目の91年こそ、27本塁打、99打点をたたき出すが、
翌92年からは、故障もあってか、全く別人のような平均以下の選手に成り下がり、
まともに出場すらままならない状況。
93年にドジャースを解雇され、
94年はジャイアンツでプレーするも、やはり、まったく奮わず
終いには、コカイン使用が発覚し出場停止及び、
解雇の憂き目に遭ってしまう。
95年、独立リーグでプレーしているところをヤンキースに拾われ、
96年には63試合の出場で11本塁打、チームのリーグ優勝に貢献すると
ポストシーズンでも大活躍、キャリアで2個目のチャンピオン・リングを
指にはめる事が出来た。
98年には24本塁打するも大腸ガンが見つかり、手術。
99年、コカインの使用により出場停止をくらい、
そのまま現役を引退した。
妻や、恋人への暴行、大好物のコカイン摂取、交通違反、大規模な脱税..........。
刑務所やリハビリセンターを第二の家とし、度重なる脱走。
あらゆるトラブルを巻き起こしたストロベリーだが、
実は、チャンピオンリングを3個も所有している。
また、スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を7度も飾るなど、
絶頂期の人気はやはり絶大だったが、
引退後は、アニメのシンプソンズファミリーに出演(?)したり、
ネバーランドで行われたマイケル・ジャクソン主催のパーティーに参加したり、
違った意味での人気ぶりを発揮した。
20世紀を迎えたここ数年も、
トラブルメーカーぶりを発揮しているが、
キリが無いので省略。
通算1401安打、335本塁打、1000打点、221盗塁。
意外に選球眼が良く、通算打率.259に対して、出塁率は.357と悪く無い。
人生の選球眼は.....悪い。
Darryl STRAWBERRY
高校時代から、エリック・デイヴィスらと共に、
その名がとどろいていたストロベリーは、
1980年、メッツから1位指名を受け、プロ入りを果たす。
83年、21歳でメジャーデビュー。
打率.257、26本塁打、74打点をマークし、
堂々、新人王を獲得、大器の片鱗をおおいに見せつける。
足を高くあげた構えから、
しなやかなスイングでボールをスタンドに叩き込むーーー
この、線の細いニュー・ヒーローは同時期にデビューした投手のドワイト・グッデンと共に
メッツの明るい未来を感じさせるニュー・ヒーローであった。
その後も、看板通りの活躍を続け、
86年には、27本塁打、93打点、28盗塁の活躍を見せ、
チームのリーグ優勝及び、WS制覇に大きく貢献。
84年~91年まで8年連続でオールスターに出場し、
名実共に、球界のスーパースターの一員となった。
87年、打率.284、39本塁打、104打点、36盗塁、
大きく打撃成績を飛躍させ、30/30も達成。
88年は打率.269、39本塁打、101打点で本塁打王を獲得し、
91年にはFA権を取得し、生まれ故郷のLAはドジャースに移籍。
5年で約2000万ドルの契約を結ぶなど、
順風満帆なキャリアを送っていたストロベリー。
......が、その実、見えないところでは、私生活でのトラブルが絶えず、
その体は麻薬・アルコールに蝕まれていた。
ドジャース1年目の91年こそ、27本塁打、99打点をたたき出すが、
翌92年からは、故障もあってか、全く別人のような平均以下の選手に成り下がり、
まともに出場すらままならない状況。
93年にドジャースを解雇され、
94年はジャイアンツでプレーするも、やはり、まったく奮わず
終いには、コカイン使用が発覚し出場停止及び、
解雇の憂き目に遭ってしまう。
95年、独立リーグでプレーしているところをヤンキースに拾われ、
96年には63試合の出場で11本塁打、チームのリーグ優勝に貢献すると
ポストシーズンでも大活躍、キャリアで2個目のチャンピオン・リングを
指にはめる事が出来た。
98年には24本塁打するも大腸ガンが見つかり、手術。
99年、コカインの使用により出場停止をくらい、
そのまま現役を引退した。
妻や、恋人への暴行、大好物のコカイン摂取、交通違反、大規模な脱税..........。
刑務所やリハビリセンターを第二の家とし、度重なる脱走。
あらゆるトラブルを巻き起こしたストロベリーだが、
実は、チャンピオンリングを3個も所有している。
また、スポーツ・イラストレイテッド誌の表紙を7度も飾るなど、
絶頂期の人気はやはり絶大だったが、
引退後は、アニメのシンプソンズファミリーに出演(?)したり、
ネバーランドで行われたマイケル・ジャクソン主催のパーティーに参加したり、
違った意味での人気ぶりを発揮した。
20世紀を迎えたここ数年も、
トラブルメーカーぶりを発揮しているが、
キリが無いので省略。
通算1401安打、335本塁打、1000打点、221盗塁。
意外に選球眼が良く、通算打率.259に対して、出塁率は.357と悪く無い。
人生の選球眼は.....悪い。
余談ですが、今年NBAにはストロベリー選手の息子がプロデビューしました。
これを機会に彼も落ち着くんでしょうかねえ~。
こんにちは!!
ありがとうございます。
息子がNBAデビュー、
そうだったんですか!!
知らなかったです。
ストロベリーは05年だったでしょうか、
自動車泥棒に関する詐欺を働いて捕まりました。
NBAで頑張る息子を見て、更正してくれるといいのですが、
私は、あの小悪党ぶりが好きだったりするんですよね~。