照間堂日記

出張専門はりきゅうの照間堂の院長せんせいの日記です

近藤理論について思うこと。

2015-02-27 23:11:05 | Weblog
先日知人と話してたらば、「がんと闘うな」の近藤誠医師の話になって、攻撃してる医師と近藤医師の話がうまくかみ合っていないように見えるがどうか?と振られました。

近藤医師の本は読んでないけど、昨年取り上げてたTVは見た/アンチ近藤理論のツィートはざっくり見た程度の知識で言うと(言っていいのか?)、多分、近藤医師のは治療方法を語るより哲学を語っておられているのでその辺がかみ合わないように見えるところだと思うんです。
近藤理論は、多分、真正のがんとがんもどきがある云々ってのは目くらましなんだと思うんです。つまるところ、「あなたはがんあるいはがんもどきです。それはそれとして、あなたはこれからどう生きるの?」っていう問いに重きを置いてるんじゃなかろうか。

つまり、

人はがんでも死ぬしがんでなくても死ぬけれど、しんどいことが多いがんの治療を行ってもなお生きたいのはなぜなのか。それほどの意味があなたの人生にはあるのか?

みたいなことを近藤医師は言ってると思うんだがどうか。

うん。まあ、だとしたらば、かみ合わないよねー。
患者さんは絶対に死ぬ。と言ってるも同然だもの。
他の医師は患者さんをがんから救うのにはどうすればいいかどうしているって話をしてるのに、あなたは死ぬまでは生きます。どう生きますか。みたいな話をしてるんだもの。かみ合わないわー。そらかみ合わないわー。


えー。

押さえておいたほうがいいのは、近藤理論を受け入れてもがんは「治らない」。だって、なにもがん/がんもどきに対して(基本的には)働きかけないんだもの。
「増殖しないがんもどきのほうが多いから治療をしなくてもいい」というのが近藤医師の主張であったはずで。ならば、それはそこに今もあるはず。
もしかしたら、自然退縮することがあるかもしれないけれど。

なので、がんに対処する方法としてすぐに近藤理論に飛びつくのは危険じゃないのかなあ?とは思ったりします。
とはいえ。よくよく考えたほうがいいと思うますよ?「これからどう生きるのか?」ってことを。
それからでも遅くない気がします、よ?


で。
この辺を更に踏み込んで考え続けていったときに、がんかがんもどきか?がんもどきなんてものがあるのか?は、そんなに重要ではなくなるような気がします。
むしろ、近藤医師的にはそんなことより何して生きるの?って問いのほうが重要になったんじゃなかろうか。医学的にどうかってことよりも。
そこらへんはアウトっていえばアウトですよな。。。アウト以外の何物でもないですか。
ただ、「人は死ぬものだ」というある意味リアルな視点ではあると思います。

しかし、その辺ちょっとそそられる考え方ではあります。
近藤理論云々は置いても、「これからどう生きるのか?」は常に直面する問いのように思います。にもかかわらず、なかなか考えない問いの一つでもあります。
ちょっと考えてみてもいいかもしれませんよ?





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