"ちょっと外から見た日本"

今、スペインに住んでいます。
大好きな日本のこと、
外からの視点で触れて見たいと思います。

“喜びの種をまく”

2011-09-06 03:32:21 | 日記

致知出版社、「偉人たちの一日一言」よりです。

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  「喜びの種をまく」
       
       
       『致知』2007年12月号
        総リードより
      
http://www.chichi.co.jp/yorokobinotane.html


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仏法に「無財の七施」という教えがある。
財産が無くても誰でも七つの施しができる、
喜びの種をまくことができるという教えである。
財産が無くて、どうして施しができるのか。何を施せるのか。

『雑宝藏経』は、

「仏説きたもうに七種施あり。
  財物を損せずして大果報を得ん」

 として、七つの方法を示している。


 一は「眼施」──やさしいまなざし。


 二は「和顔悦色施」──慈愛に溢れた笑顔で人に接する。


 三は「言辞施」──あたたかい言葉。


 四は「身施」──自分の身体を使って人のために奉仕する。


 五は「心施」──思いやりの心を持つ。


 六は「床坐施」──自分の席を譲る。


 七は「房舎施」──宿を貸す。


 大きなことでなくともいい。
 人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、
 花を咲かせることができると釈迦は教えている。
 
 自らのあり方を調えよ、という教えでもあろう。



「無財の施」の教えで思い出すことがある。
 生涯を小中学生の教育に捧げた
 東井義雄先生からうかがった話である。

 ある高校で夏休みに水泳大会が開かれた。
 種目にクラス対抗リレーがあり、
 各クラスから選ばれた代表が出場した。
 
 その中に小児マヒで足が不自由なA子さんの姿があった。
 からかい半分で選ばれたのである。
 
 だが、A子さんはクラス代表の役を降りず、
 水泳大会に出場し、懸命に自分のコースを泳いだ。
 その泳ぎ方がぎこちないと、プールサイドの生徒たちは笑い、
 野次った。
 
 その時、背広姿のままプールに飛び込んだ人がいた。
 校長先生である。

 校長先生は懸命に泳ぐA子さんのそばで、
 「頑張れ」「頑張れ」と声援を送った。
 その姿にいつしか、生徒たちも粛然となった。


 こういう話もある。そのおばあさんは寝たきりで、
 すべて人の手を借りる暮らしだった。
 
 そんな自分が不甲斐ないのか、
 世話を受けながらいつも不機嫌だった。
 
 ある時一人のお坊さんから「無財の七施」の話を聞いたが、
 
 「でも、私はこんな体で人に与えられるものなんかない」
 
 と言った。お坊さんは言った。
 
 「あなたにも与えられるものがある。
  人にしてもらったら、手を合わせて、
  ありがとうと言えばよい。
  
  言われた人はきっと喜ぶ。
  感謝のひと言で喜びの種をまくことができる」。
  
  
 おばあさんは涙を流して喜んだという。


「喜べば喜びが、喜びながら喜び事を集めて喜びに来る。
 悲しめば悲しみが、悲しみながら悲しみ事を集めて悲しみに来る」
 
 
 ──若い頃、ある覚者から教わった言葉である。
 喜びの種をまく人生を送りたいものである。


 最後に、東井先生からいただいた詩を紹介したい。



《雨の日には 雨の日の

 悲しみの日には悲しみをとおさないと見えてこない
 
 喜びにであわせてもらおう
 
 そして
 
 喜びの種をまこう
 
 喜びの花を咲かせよう
 
 ご縁のあるところ いっぱいに……》
 


………………………………………………………………………………………………(転載以上)



“財産が無くても誰でも、喜びの種をまくことができる”、ありがたいことだと思います。

“人は日常のささやかな行いによって喜びの種をまき、
 花を咲かせることができる。”

確かに、自分の心に残っている素晴らしい思い出も、人の温かい心に触れたときのことです。



からかい半分で水泳の代表に選ばれてしまったA子さんの懸命の泳ぎ、

背広姿のままプールに飛び込み、寄り添って応援する校長先生の姿。


その場面を想像するだけでこみ上げてくるものがあります。


こうなる前に出来ることもあったと思います。

でも、その場を身を持って体験することが、他の子供たちにとっても本当に必要なことだという判断があったのかも知れません。



人が生きる最大の喜びは、他の人の役に立っている、役に立つことが出来る、と実感出来ることだ、と言います。

寝たきりのおばあさんのお話は、そのことが真実であるということを思い起こさせてくれます。


8 コメント

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Unknown (あさ)
2011-09-06 11:58:24
喜びの種をまき、喜びの花を咲かせます。
今は、何も大きなことでなくても、あたりまえの日常の中で、子どもに、周りに(人・もの・こと)・・でいいですよね。
その土壌も(日々の気づきだったり、自己信頼だったり)ミネラルたっぷりにしていこうっと♪
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あささん (テラ)
2011-09-06 13:46:34
そうですね。特に力を入れることもなく、日常のささやかな行いが出来れば、それが喜びの種になるということ、いいですね。
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Unknown (Unknown)
2011-09-06 16:16:58
喜びを「ありがとう」に置き換えて
私は楽しんでみます!
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Unknown (ゆっこ)
2011-09-06 18:43:30
テラさん 素敵なシェアをありがとうです。

どんな時にでも喜びを見い出すこと
少女バレアナを思い出しました。
誰もが喜びの種を育ててゆけたら
地球さんがお花でいっぱいになりますね。(*^_^*)
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Unknownさん (テラ)
2011-09-07 02:45:01
「ありがとう」、確かに置き換えられますね。
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ゆっこさん (テラ)
2011-09-07 02:46:51
こちらこそありがとうございます。
少女バレアナ、恥ずかしながら知りませんでした。
少し見てみましたが、共通するところ、たくさんありそうですね。
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Unknown (ひろみ)
2011-09-08 04:24:55
今ある状況の中でできるであろう最善のことを積み重ねていけば、きっといいんだろうなぁ~と思っています。たとえ、小さな種であっても、蒔かなければ芽は出ないし花は咲かないのですから・・・。

テラさん、いつも気付きのお話ありがとうございます。
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ひろみさん (テラ)
2011-09-08 07:34:53
“今ある状況の中でできるであろう最善のことを積み重ねていけば・・・”
本当にそうですね。
こちらこそありがとうございます。
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