ゆとろぎへの道 仲村峯夫 一隅を照らす素晴らしきかな人生 照らさずとも好し また素晴らしきかなこの人生(とき)

日々、つれづれなるままに、心のおもむくままに、趣味的ハルサーの想いを…
自分探しの旅は 違う景色の見える道

「この世に無駄なものは存在しない」…腰痛も必要?

2017-05-03 09:22:24 | 日記
 「この世に無駄なものは存在しない」…腰痛も必要?
この4~5日酷い腰痛に悩まされた。あまりの痛さで交感神経が異常に興奮し、2~3日便通さえもない便秘状態になった。
立ったり、座ったりの動作が一番きついので部屋の中では這っての移動である。
殆んどの場合、腰痛の原因は気の低下による悪姿勢が遠因であることは間違いがない。
加えて、今回は裏庭に植えていた藪椿の移植作業での無理が要因だと思われるのである。
 ミラクルフルーツと藪椿と2本のシークァーサーが密集していたので1メーター以上に成長した藪椿と1本のシークァーサーを別に移植したのである。
植物の移植時期としては、今の時期がぎりぎりのリミットなので多少の焦りもあり、無理な作業が祟ったのだろうと思っている。
この1週間は居ても、立っても、寝ても起きてもつらい痛みに悩まされた。それでも病院や張り薬などのお世話にはならない。
やることは寝ても覚めても、只ひたすら動いてストレッチを心掛けるのみである。
 布団に入っても、手や足・腰、首などを動かしストレッチを続ける。眠りにつくまでただひたすら、痛みをこらえながらストレッチを繰り返すのみである。
そして、夜中に目覚めるとまた同じことを繰り返すのである。
はた目には、多分哀れで滑稽にさえ見える形相でも畑にも出る。移動は膝付きでそして、その作業はもっぱら座っての作業である。
腰痛なんかは動いて、動いて血流改善した方が直りは早いのだから、痛みの我慢もやむなしである。
お陰で、昨晩から便通も回復し今朝は痛みも格段に取れてきた。
 今日は午後から、長兄の末娘の結婚式・披露宴が読谷村のリゾートホテルで予定されている。
昨日までどうしたものかと心配もしたがどうやら無事クリアできそうである。
 「この世の中に無駄なものは存在しない、全ては必要・必然なものである」という。 
一般論としては、重々承知もしているが自分の現実となると「人はなんで、いやな腰痛なんかで苦しまなければいけないのだ」とも思ってもしまう。
仏法なんかでは「この世に無駄のものもなければ、無駄でないのも無い」などと、分かったような、分からないようなの教えもあるようである。
要するに、「無知、煩悩だらけの人間が自分の我執だらけの、自己判断で有益・無益を分別すべきではない」というのだろう。
たかが、人生、夢幻のごときのものであり、全ての「もの」も「事象・現象」もただの「存在」としてあるのみなのだろうか。
 痛みがかなり楽になった現在思うことは、「通即痛まず、不通即痛、気は生命の源」の心である。
半ば周期的に訪れる、腰痛を経験するごとに「血は気の母」「気は生命の源」「呼吸は気の帥」なりを再認識させられる。
目標を持つ、目標があることは大切であるが目標は到達しない限り、それは永遠に目標でしかない。つまり、自分が持ち得ていないものが目標で、到達した時点でそれは目標ではなくなる。
目標とはやはり、到達すべきものなのだろうと思う。
やはり、人生に無駄なものは無いのかも知れない。

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