記憶というものは一定なものじゃなくて色々と変化してくるもんだと最近になってから思うようになってきています。母親との関係も現在進行形だったし、二人の関係から見ればどんなに酷い記憶も少しつづ変わっていく一部分だったですね。
中学卒業と同時に家を出るように遠くの高校へ進学した理由も、母親のことより私の妄想、野望のようなもんが原因だったように思います。親を恨むより遠くの学校へ何も言わずに出してくれたことに感謝すべきだったのでしょうね。それでも少年時代に母親から折檻を受けたと言う記憶は、その後の私の人生に時々顔を出しては、嫌なことから(弱面)逃げるのに良い口実となりました。
15歳で家を出てからの10年間ほどは滅茶苦茶な生き方をしていました。不良になったり落ちこぼれてフー太郎になってドンドン堕ちていきました。父親に絶縁状のようなものを出したのは22歳の頃だったように思います。理由なんか何もなかったですね。ただ何をしても思うように行かず自暴自棄だったのでしょうね。
東京の世田谷あたりで酒ばかり飲んでグッタリしている所を父親が捜し当て故郷連れ戻ったのが24歳の頃で、故郷へ戻されても「必ず又東京へ行こう」なんて無謀な夢を見て飲んだ呉れていました。
ところが人の運命なんて何処でどう変わるのか分からない、と言われるように、故郷の連れ戻されて1年ぐらいの頃でした。ヒョンなことで実家の家業を継いでしまったのです。そうなりゃ、親への恨み辛みなどどこかへ吹っ飛んでしまうでしょうね。そこからです、そこから母親と一緒に生きる人生が再び始まったのです。
母親はどちらかと言えば、他人には厳しく当たる見栄っ張りでしたので、私は多忙な週末が空けると霧ガ峰へ逃げ出すのが唯一の楽しみで、その他の日は夜になれば外に出て乱暴な酒ばかり飲んで暮らしていました。
「こりゃ一人じゃ駄目だ」と思って結婚したのが26歳の時、そこから又私と母親の関係は、私の新しい家族達を孕んで七転八倒することになりました。
中学卒業と同時に家を出るように遠くの高校へ進学した理由も、母親のことより私の妄想、野望のようなもんが原因だったように思います。親を恨むより遠くの学校へ何も言わずに出してくれたことに感謝すべきだったのでしょうね。それでも少年時代に母親から折檻を受けたと言う記憶は、その後の私の人生に時々顔を出しては、嫌なことから(弱面)逃げるのに良い口実となりました。
15歳で家を出てからの10年間ほどは滅茶苦茶な生き方をしていました。不良になったり落ちこぼれてフー太郎になってドンドン堕ちていきました。父親に絶縁状のようなものを出したのは22歳の頃だったように思います。理由なんか何もなかったですね。ただ何をしても思うように行かず自暴自棄だったのでしょうね。
東京の世田谷あたりで酒ばかり飲んでグッタリしている所を父親が捜し当て故郷連れ戻ったのが24歳の頃で、故郷へ戻されても「必ず又東京へ行こう」なんて無謀な夢を見て飲んだ呉れていました。
ところが人の運命なんて何処でどう変わるのか分からない、と言われるように、故郷の連れ戻されて1年ぐらいの頃でした。ヒョンなことで実家の家業を継いでしまったのです。そうなりゃ、親への恨み辛みなどどこかへ吹っ飛んでしまうでしょうね。そこからです、そこから母親と一緒に生きる人生が再び始まったのです。
母親はどちらかと言えば、他人には厳しく当たる見栄っ張りでしたので、私は多忙な週末が空けると霧ガ峰へ逃げ出すのが唯一の楽しみで、その他の日は夜になれば外に出て乱暴な酒ばかり飲んで暮らしていました。
「こりゃ一人じゃ駄目だ」と思って結婚したのが26歳の時、そこから又私と母親の関係は、私の新しい家族達を孕んで七転八倒することになりました。