Gute Reise

東大で西洋建築史の研究をしながら設計を勉強している大学院生の日々の記録です。リスボン大に1年間留学を終え、帰国しました。

南仏旅行3日目(マルセイユ→リヨン→ラルブレル)

2017-03-23 | 南仏旅行 2017
22日の夜から部屋に来ていたドイツ人のグループと一緒に食堂でパンを食べる。
どの都市出身かと聞くと、ハノーバーだそう。

2週間ほど旅行して、明日から帰宅の途につくそうだ。
お互い気をつけて楽しもうねと声をかけて別れる。




マルセイユはきっと、必ずまた来る街のひとつと確信しているので、またね、と心の中で呟きながら、でも何度も振り返りながら、バス乗り場まで歩く。

駅で少し時間があったので、ロクシタンの桜の香りのハンドクリームのパッケージに惹かれて購入。
多分、日本人をターゲットにしてるところあるんだろうな、、、


バスに乗りこみ、半分くらい来たところで休憩が入ったパーキングエリアが、日本のちょっとしたパーキングエリアくらい活気があって驚いた。
マクドナルドでサラダとポテトをテイクアウトで購入して番号札を持って待つ。
問題は、番号をフランス語で呼ばれること、、、
前に並んでいた男性に自分の60番の数字を見せると、君だよと教えてくれたので受け取った。
soixanteというのか。まずは数字から覚えよう。


リヨンに着いて、機械でラルブレル駅までの往復チケットを購入。
予想通り、まだホームが確定していなかったので、土産物屋でフランス語の勉強用に星の王子様を買った。
実は日本語版も最後まで結局読めていないような?


リヨンからラルブレルまでは30分。
ただ、ここからがしんどい!
山道を只管、40分程かけてよろよろと登る。



ちゃんとこっちですと標識があるので、それに従って。
可愛い住宅が並ぶ通りだったけれど、必死すぎて写真がない、、、


辿り着いて、受付へ。
最初、ヨークシャーテリアを連れたおばさんが喋っていたのだが、ちょっとすぐここどくから、と言って要件を済ませてバトンタッチ。
私の中のフランス人像を大きく覆すような、陽気なお姉さんが日本語版のプランを見ながら、説明してくれた。

とにかく、今16時半でしょ?雨で暗いかもしれないけど、完全に日が落ちるまでに一通り見ておきたいだろうから、18時までは私たちここにいるし、お金払うのはそれまでに戻ってきてくれればいいから、と言ってもらった。

部屋に荷物を置きに行く。





言われた通り、教会や各階の廊下などざっと見学する。













階段のあたりをウロウロしていると、おじさんがスチームライトを点けるスイッチの場所を教えてくれて、夜は綺麗なんだよと力説された。






18時ギリギリに、受付に戻ってお金を払う。
翌朝朝いちで出るつもりだったが、これはもっと長居した方が賢明だと判断。
9時に清掃が入るので、部屋さえその時間にあけてくれればあとは何時まででもいていいわよ、ということだった。

ところで、Wi-Fiのパスワード教えてもらえますか?と聞くと、あーという顔をされて、あるんだけど、コンクリートの分厚い壁のお陰で繋がらないのよ、と、、、
コルビュジェもWi-Fiの接続のことまで考えてなかったみたい、あははと陽気に返された、、

とりあえず、次の日食事に行く約束をしていた、先日リスボンにも来てくれたリヨンのうねさんに電話で事情を説明して、翌日の待ち合わせ場所だけ決める。


再び夕食の時刻まで散策。







夜が深まって、グッと照明が映える。
今回はお天気が悪いので残念だが、きっとよく晴れた昼には窓側からのグラデーションが綺麗なんだろうな。


19時半、絶対遅れないでと言われていた夕食の時刻に食堂へ。



入ると、若い女性とエプロンをしたおばさんがいて、若い女性の方が、Bonsoir.と挨拶してくれたので同じく返す。
ホテルの職員の人かと思って、どこに座ればいいですか?と尋ねると、団体客の座るテーブルと別のテーブルを指され、座る。

私の他の客は、2組お年を召した集団と、1組若い集団。

神父さんの合図でアーメンと言って、食事を開始。
同じテーブルに先程の職員と思われる女性も座り、あなたフランス語喋る?とフランス語で聞かれ、いいえ、英語しか、、と言うと、そう、と。

暫くして沈黙が辛かったので、英語、喋りますか?と尋ねると、ううん、私フランス人だから、と返されて、あ、噂の、、、と思って面白かった。

しかし、料理が出てくると積極的に取り分けてくれるし、美味しいって、Bonって言うんですよね?となんとなく知ってるフランス語の表現と英語とを混ぜながら話すと、だんだん向こうも話す気になってくれたようで、片言の英語で話してくれた。
(なんだ、話せるんじゃん、、、)

ワインもあって、飲む?と勧められたので頂くことにしたのだが、日本人もワイン飲む?と聞かれて、飲むけど、こっちほど安くはないから特別な時に飲む感じかなと言って、アルパカワインを思い浮かべながら、例えば、一番安くて10€くらい?と言うと、信じられないという顔をされた。
だから、今のうちに一生分飲んどこうと思ってる!と言ったら、面白かったみたいで笑ってくれた。

リスボンに留学していること、ロンシャンに行ったことなど、色々話した。

この女性はIndustrial Patrimonyが専門のドクターで、Grenobleという少し南の街の大学で教えているらしい。
博士論文の大詰めに、1週間泊まり込んでいるそうだ。
確かに、ミニマルなラトゥーレットの客室は、論文作業にぴったりだ。私も修論書きに来ようかな?

リスボンに来たことがあるかと聞くと、ないわ、バルセロナもないと言うので、なんで?と呆れ顔で返してしまったのだが、フランス人ってあんまり外の国に出たがらないのよ、と言っていて納得した。
でも、この博論が終わったらきっと旅行するわ、とも。
勿論、日本もオススメしておいた。

それから、ロンシャンのことを話した時、何回言い直してもわかってもらえず、私の発音の問題かと思って写真と地図を見せても、やっぱり知らなかった。びっくり。
そういえば、VerenaとJaninaに送別会で話した時も、建築学生にも関わらず知らなかったっけ。
日本ではよっぽどコルビュジェへのリスペクトの強い教育がなされているのだなと思った。

最後に自分の修士論文のテーマのことも、随分熱心に聞いてくれた。
先日、先生にメールして目次と研究背景のところなどエスキスしてもらっていたところだったので、整理して他人に説明するのは頭が整理されてよかった。

最初はお互いフランス語オンリー、英語オンリーでしか話せないとなってどうなることかと思ったけれど、最終的には2人でワインを1本空けるまで飲んで話して、色々面白い話が聞けた。
名刺も交換して、いつかGrenobleに来ることがあれば連絡して、と。

きっとフランス語の勉強もちゃんとして、またマルセイユにも、ラトゥーレットにも、そしてそのときはGrenobleにも行こうと、心に決め、就寝。