ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町豊川を往く-3⑤

2024年03月02日 | 旧中仙町を往く

<「観音堂」の風景>

●歩いた日:2024年1月20日(土)

●歩いた所

 ・豊 受:観音堂、川端街道下、治内野、上八丁堀、喜内野、下野、中野

●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)

(以上の地図:国土地理院)

 (「喜内野会館」の広場に立つ「菅江真澄の道」の)標柱の横に「喜内野」の開拓記念碑が建つ。

(「喜内野」の開拓記念碑)

 記念碑の裏面を拡大して読んでみると、ここは戦後のS22年から入植した人達が開拓した土地である。S25年に地下水利用による自力開田に着手した、とある。ここは「東山」に近い場所柄から地下水は豊富かもしれないが、地下水は冷たいので、温めるためのため池でも作ったのだろうか。

 その後、「仙北平野土地改良区」に加入し、用水路工事の完成に伴って配水を受けられるようになったと、「喜内野部落」16名の人達が苦難の開拓の歴史を刻んでいる。

 道に引き返し、また西に進む。

📸015:「喜内野」の風景3

 逆光のため真っ黒に写っているが、一軒家の奥に、「斉内川」沿いに杉林が広がり、重厚感のある?景観を形作っている。堤防際まで開田されてところがほとんどであるが、ここはなぜ杉林になっているのだろう。河道跡で砂利が多い土壌のため、田んぼには適さないのだろうか。

 写真道奥(西)にしばらく進む。「喜内野」から「観音堂」に入った辺りで振り返る。

📸016:「観音堂」の一角2

 東にまっすぐな道が延びる。立っているところは「観音堂」で、道左手の家の辺りから奥が「喜内野」になるようだ。「喜内野」の開田とともに整備されたので、こんなまっすぐな道ができたのだろう。

 奥の「東山」の上に白いピークが二つのぞく。右側はその形から「薬師岳」とわかる。すると左手はほぼ同じ高さの「小杉山」と思われる。

 「県道11号」近くで「水神社」方面を望む。

📸017:「観音堂」の風景4

 右手奥の高い杉木立が「水神社」。写る家々は、「県道11号」の東側に建ち並ぶ「観音堂」の家々。もっとも左手手前の家は「治内野」である。

 県道西側の「上八丁堀」とともに、県道沿いに非常に大きな集落が形成されている。「水神社」の門前町(村)のような感じで、昔の「豊受村」の中心集落だったのだろう。

 県道を横断し、車に戻る。

(⑥に続く)


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★旧中仙町豊川を往く-3④ | トップ | ★旧中仙町豊川を往く-3⑥(終) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旧中仙町を往く」カテゴリの最新記事