ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町豊岡を往く-2①

2024年04月09日 | 旧中仙町を往く

<今回のログ(足跡)>

●歩いた日:2024年2月17日(土)

●歩いた所

 ・豊 受(豊川)中野、上野

 ・栗 沢(豊岡)柏木野、向野、本宮、宝量、社前

 ・大神成(豊岡)野中、坊谷地、十二田

●歩いた位置


 
●歩いたログ(足跡)(道のり7.3km)


(以上の地図:国土地理院に加筆)

 この(2024年)2月は暖かい日続きで、2月6日に歩いた時(「旧太田町長信田を往く-5」)には田んぼに残っていた雪も、2月中旬になるとほとんど無くなってしまいました。

 この原稿を書き始めている今日は3月21日ですが、3月に入ると「冬将軍が粘り腰」(NHK秋田放送局のT気象予報士さんが言っていた)を発揮して何度も寒い日が訪れ、雪が降っては消え、降っては消えを繰り返し、早めに芽を出した「福寿草」や「チューリップ」などは戸惑っているように見えました。

 さて、雪が無くなると車を停める場所も見つけ易くなるし、田んぼのあぜ道も歩くことができますので、晴れ上がった2月17日にまた「仙北平野」歩きに出かけました。歩いたところは、前々回の「旧中仙町豊川を往く-3」の東側です。車を停めた場所は「豊川」ですが、歩いたところの大半は「豊岡」になりますので、タイトルも「豊岡を往く」としました。

 それでは本文に入ります。

 「県道11号」(「角館-六郷線」)の「斉内川橋」のすぐ北側の十字路から東に車を走らせ、「豊川を往く-3」で歩いた「喜内野」、「仙北平野一号幹線用水路」を過ぎるとまもなく、「栗沢川」にかかる橋がある。その橋を渡るとすぐ、「栗沢河川公園」の案内がある南に延びる道があり、右折して少し行ったその道の脇に車を停めてスタート。

 車を停めた場所は「栗沢川」沿いでもあり、車のそばから川の下流を望む。

(「中野」の「栗沢川」)

 2月というのに写真のように、田んぼにもあぜ道にも全く雪がない。

 この辺り、「栗沢川」の西側が「下野」、東側が「中野」、「上野」と「野」の付く地名が並んでいる。

 ログ地図を見ると、「栗沢川」の上流、「東山」の沢合にはため池が二つある。貴重な農業用水だったことがわかる。

 しかし、「豊川を往く-3」で見た航空写真で明らかなように、S23年当時、車を停めたこの辺一帯は、「野」の付く地名のとおりの森林原野である。「栗沢川」の水量では山の麓に近い、限られた範囲しか開田できなかったことが分かる。

 右上隅に見える施設は、「仙北平野一号幹線用水路」が「斉内川」を横断する手前にある管理用の施設である。

 さらに南に向かって進む。少し行くと「鳥海山」がきれいに見える。

📸001:「中野」から望む「鳥海山」

 川向うの、「旧太田町斉内」の杉木立の上に、「鳥海山」がくっきり浮かび上がっている。2月にはなかなか「鳥海山」は見られない。

 さらに南に向かい、河川敷内に作られた公園に至る。雪が残る公園内の道を進み、振り返る。

📸002:「中野」の河川公園

 右端の木立のところから河川公園に来たところ。

 右寄り、公園に入ってすぐところに野外ステージのような建物がある。左寄りの黒っぽい建物はトイレである。その手前の河川敷は広場になっている。

 ところで、この記事を書き始めるまで、歩いて来た道の入口にあった「栗沢河川公園」はここだと思っていた。そして、ここは「栗沢」でもないのに(ここは「豊川豊受」)なぜ「栗沢河川公園」なんだろう、「栗沢川」の近くからだろうか、などと考えていた。その後、地図などを見ているうちに、この後立ち寄った「堀口橋」辺り、「斉内川」の北側の河川敷に整備された公園が「栗沢河川公園」であることを知る。そこなら「豊岡栗沢」の内である。

 ちなみに、「堀口橋」の南側の河川敷は「斉内川河川公園」で、そこは「旧太田町長信田」の「斉内」だ。

(②に続く)


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