長野の夫の実家から15日の夜電話があった。
「〇〇さんが 亡くなった・・・・・」
〇〇さんは 実家の義兄の次男が結婚したお嫁ちゃ(Kちゃん)んのお父様。
甥の仲人をさせて頂いた時から お付き合いをさせて頂いて居る。
結納式の時 口上で夫が途中で頭が真っ白になり固まり冷や汗を・・・。
その後の会食会で親族紹介の時 今度はKちゃんのお父様が自分の紹介を
次男の○○と 思わず間違え 笑いに包まれ 和やかな結納式に成った・・・。
その時から 心を通わす親類に成りお付き合いが始まった・・・と言っても
遠方なので なかなか会う機会は無かったが 心に止まる人と成っていた。
「4月に倒られ 入院したが その後回復して 翌日からリハビリ施設へと
誰もが快方へ向かっている事に安堵していた矢先 急死したんだよ」と兄が話す・・・。
脳梗塞で倒れその後 笑顔で話しも出来るようになった矢先天に召されたと言う。
希望の光が輝きだした矢先の死は 倒れた時以上の驚きと悲しみを皆にもたらした・・・。
夫と私は お見送りをしたいと 仕事をやりくりして 自宅からのお見送りに間に合うように
17日の日付が変わった夜中の2時前に長野へ向けて出発した。
夫は夕飯後直ぐに寝て 4~5時間は眠れただろうか・・・夜中に運転をするのだから寝られてほっとした。
私は撮影のリストを担当者に送ったり 荷造りをしたり入浴して身支度を済ませると丁度出発の時間
結局一睡もせずに 長野へ向かう事となった、車で寝ていけると鷹を括っていたが
節電で高速道路上も震災前よりも暗く 夫の隣で寝ていられない・・・夫はさぞ運転がし難い事だろう!
途中のSAで 何回か休憩をして 4時過ぎに諏訪湖SAに着いた。
朝陽が拝めるかと思ったら 生憎の曇天でしたが 辺りが薄紫色に染まり 其れはそれで綺麗でした。
諏訪から飯田までは約一時間・・・やっとほっとしたのか 私は車で40分ほどウトウト寝られた。
飯田に着くと未だ少々早く 実家も迷惑だろうと 早朝から開いていたファミレスでモーニングコーヒーを・・・
時間の調整をして 実家へ6時半過ぎに到着した。
服装を整えて7時半に家を出れば良いので 少々裏の畑へカメラを持って散策に出かけた。
ジャガイモ畑
梅の実
リンゴ畑
裏手から 飯田市の街を望む
Kちゃんの実家へ行くと そろそろ出棺の時 出てきたKちゃんは 私達に気が付き飛んできた。
「遠くから来て頂いてすみません 有り難うございます」
「本当に驚いて・・・」言葉が続かない・・・
嗚咽するKちゃんを抱きしめて Kちゃんの悲しみを体中で感じ辛い。
長野では・・・と言うか 実家の方では まず火葬をする。
火葬を見守り 骨となった個人を目の前にして 人生の儚さを噛みしめた。
その後昼食 その後告別式・・・これは身内以外の弔問に来られる人達を迎える。
告別式が終わると 葬儀・・・これは身内縁者 極親しい方々で執り行う・・・・。
その後 精進落とし・・・
全て終わり 実家に戻ったのが5時半を回っていた・・・・・。
生前のKちゃんのお父様は信望も厚く 沢山の人に慕われていらした事が 沢山の弔問客の人数で解った。
本当に沢山の方がお別れを 残念がり手を合わせに来ていた・・・素敵なお父様だった・・・・。
夫と私は葬儀の時本当に困った・・・寝不足だったので お経が子守唄に聞こえて来るし
じっと椅子に座っていると 体中がだるくて・・・動かず寝ず座り続ける事は本当に辛かった・・・。
でも 親しい人の最後の旅立ちに手を合わせる事が出来て良かった・・・実家に一泊させて頂いて帰路に着いたが
夫の運転中は 両日曇天で 軽い霧雨が時々落ちたが本格的な雨に合わず長野まで往復で来て良かった。
同世代の人との別れは わが身に重ねてしまい 本当に切ないお見送りなりました。