今まで来たことのない畑に見事なツツジがあった。
ツツジに囲まれて、お澄ましのポーズをとるレナ。 女の子らしいときもある。
落下したツツジの花があでやか。
今まで来たことのない畑に見事なツツジがあった。
ツツジに囲まれて、お澄ましのポーズをとるレナ。 女の子らしいときもある。
落下したツツジの花があでやか。
いい天気で娘犬レナとの散歩も快調。 目に映る景色を楽しみ、撮影しながら散歩。
新緑の葉っぱが活き活きとしている。(国分寺崖線の上から)
花みずきももう終わり、風が強く、空の色が澄んでいる。
崖上に祭られた屋敷神。 大きな農家でよく見る。
いつもの場所で休憩したら、娘犬レナは早速あくび。
このところ出番がなかったが、相変わらず元気。
つまらないとすぐアクビちゃんだ。
新しい今の時代の立川12景を自分なりに撮ろうと、昨日は立川駅前をアップしました。
今、考えているのは
・立川駅前(北口、南口)
・多摩モノレール(立川北の都市軸)
・旧米軍基地跡の再開発(広すぎて具体的な場所は未定)
・昭和記念公園(これも広すぎて具体的な場所は未定)
・砂川3番の分水と屋敷・蔵
・玉川上水大曲りと立川断層
・残堀川と旧残堀川の名残り
・立川崖線(桜並木と湧水、立川氏居館跡)
・古民家(小林家住宅)
・多摩川(具体的な場所未定)
です。
選んだ考え方は次のとおりです。
1 多くの人が集まり、時代の文化を象徴するところ。
2 歴史と民俗を濃厚に感じさせるところ
3 自然景観が秀でているところ
4 建築構造物と人と環境の景観が調和しているところ
今までの写真では、役不足なので、もう少し納得のいくものを撮ろうと思います。
立川北の都市軸)の様子です。(12景の決定版ではありません)
モノレール下が広い歩道になっていて、この写真ではスケボーをしている若者を撮っています。
3
上の写真から3,4分歩いたところにあるモノレールの高松駅から米軍基地跡の開発状況を見たものです。
自治大学校や国立国語研究所など最近建設された建物が多いのですが、まだまだ広大な空き地があります。
昨日までに紹介した明治の12景に対し、今の、私の立川12景を撮っていきたいと思います。
今の立川駅前(北口)です。 駅前のペデスタルデッキが駅と通りを繋いでいる。
駅ビルのガラスのエレベータから
駅ビルです。 ビルの右側の黒いガラス部分がエレベータになります。
散った桜の樹が右下に見えます。 明治の駅前の千本桜は消えてしまった。
もう一度、12景に描かれた場所を示します。 駅から中央線の八王子方面にある二つの跨線橋が選ばれています。
甲武鉄道は明治22年4月に新宿-立川間が開通、同年8月には立川-八王子が開通しており、当時、立川崖線をクリアするため、切り通しが掘られ、切り通し上に橋が渡された。
現代の写真を見ると、何の変哲もない切り通しだが、当時は目新しい光景だったのだろう。なお、山中陸橋の右端には富士山が描かれている。 今ではとてもとても無理な話だ。
そして多摩川へ。 立川と日野を結ぶ渡船と冬の渡し。
そして、鮎の猟場。 江戸時代は鮎はたくさんいたらしく、将軍家への献上物としても
有名だった。 最近の鮎は、堰も多いことから多摩川の遡上は少なくなったようだ。
昨日の新聞で、多摩川のもう少し下流にあたる調布あたりで、堰越えで飛び跳ねる若鮎の写真が掲載されていた。 ひょっとすると、いつか立川あたりでも鮎釣り風景が見られるかもしれない。
2月に立川市歴史民俗資料館へ行った際、立川12景なる絵と写真があった。
明治30年代の立川の代表的な景色12枚とそれぞれの現在の姿である写真が
対比されて陳列されていた。
明治22年に甲武鉄道(今のJR中央線)が新宿-立川間で開通し、当時、立川駅前は賑わい出したのだろう、 立川駅前での風景が4点も選ばれている。
下の立川駅前通りには、大きな木材を運ぶ男衆。 駅前には当時、桜があったようだ。(今も若木が若干ある)
所沢街道八店は5叉路となっていて、今でも交通の要衝だ。当時はやはり馬車が交通の主役。 また、駅前の茶店でくつろぐ女性や脇に控える人力車など人力車をタクシーに置き換えると、現代と変わらない趣だ。
右側の絵は、人力車と和傘をさして歩く女性。 当時も日傘をさしていたのだ。
残堀川からの帰りに柴崎町にあった大欅の樹。 立川市で最大の樹木とのこと。
幹周り6m、樹齢約750年
立川駅近辺で、中央線が曲がり始めるところから、駅方面を見る。
駅近辺はこころもち、窪地になっているように見える。
中央線のカーブ部分。 既に相当の段差になっている。 立川崖線をクリアするためには
切り通しが必要なのだ。
普済寺の国宝六面石幢を撮影したとき見つけた、残堀川河岸の桜並木。
これが、この日の撮影テーマでした。 普済寺の崖の上から撮っています。
上流方向です。
中央線の電車が頻繁に走っています。
下から見た普済寺と崖。
桜と菜の花の黄色と緑、ため息ものでした。
こちらは、寝息。
日本庭園を出て広場への戻り。 犬は庭園内に入れないため、レオは駐輪場で待機。
カメラを向けると気付きました。
花見で賑わう広場の昭和記念公園を出て、当初の目的地の残堀川へ
まず地図ですが、残堀川に青い線を入れてます。 昭和記念公園内で蛇行して
画面中央下に流れていき、
立川崖線で、滝となって落ち、崖線沿いに流れ下っていきます。
国宝六面石幢のある普済寺もその先にあります。
画面左下が残堀川の滝の部分です。
10mほどの崖となっている立川崖線。 残堀川はここを流れ落ちます。
あずまや「昌陽」。 亀がテーマなのか甲羅干しをする亀と亀形の小島。
奥に見える数寄屋造りの歓楓亭。 右側には小山を配して、確かに鉄塔や
ビルなどの風景を遮断して、日本的風情を出しているのだが、何か物足りな
い。
京都の庭園によくあるような縮景的なものはないので、伸びやかさは感じる。
建物や、この水鉢など一つ一つのものは、きちんと造っている。
舟屋というのか、小型の舟置き場。 こういうのは好きです。
どっしりとした盆栽。 裏から見ても整っている。
まだ赤ちゃんの盆栽。
懸崖というらしい。 根と枝葉を繋ぐ幹が舎利で薄く平っぺたいので大丈夫かなと心配
になるが、青々とした葉をみるときちんと養分は送られているようだ。
手入れを行う作業所と水瓶。 見事な盆栽を堪能しましたが、毎日の手入れ
は大変だろうな。
盆栽園をでて、隣接している日本庭園へ。
川舟の前の岩に亀、甲羅干し中です。
松以外のいろいろな樹の盆栽もあります。
こちらは推定寿命120年の五葉松
この蝦夷松は推定寿命300年。 この幹周りで300年の年輪が刻まれているとすると
年輪の間隔はルーペがないと見れない。
そんなことより、直線的な幹となだらかな枝葉のバランスの見事さ!
右の樹が栂(つが)で中央は欅(けやき)です。
もみじで清玄と銘打たれています。 盆栽には季節はないのだろうか?
レオは自転車のカゴで睡眠中。
アップで。 やはり、爺顔。
爺といえば、盆栽。 公園内の日本庭園の一角に盆栽園があります。
入口の床の間に大盆栽とミニ盆栽。
私も爺なのか、盆栽には興味があります。
樹齢150年以上とか300年以上というのも多々あり、江戸時代から受け継がれて
いる盆栽に育てる人の愛情を感じます。
樹皮が剥げ、剥き出しになった木質部分を舎利というそうだが、あえてそれを楽しむ
のもある。
コメディアンがポーズをとっているように見える。