軽井沢高校 校長日記 2012・2013

軽井沢高校の様子を校長の視点から伝えたいと思います。ご愛読願います。

7月30日(月)社会科教育研究会箱根大会 093

2012-07-30 19:37:20 | 日記

 

 「箱根」に出かけてきました。さきほど、軽井沢に戻ってまいりました。

 「箱根の山は天下の険……」と歌われる「箱根」。避暑地・湯治場としても有名ですが、軽井沢から出かけると、どうも暑く感じました。やはり、軽井沢の方が涼しいですね。昼間の暑さはあまり変わりませんでしたが、夕方から朝方は断然軽井沢の方が過ごしやすいと思いました。

 「朋有り遠方より来たる、また楽しからずや」(『論語 学而第一』)とあるように、同じように学びの体験を積んでいる友人が遠方から集まり、うちとけて語り合い共感することは、楽しいですね。

 7月27日の「校長日記」にも書きましたが、前述の『論語』を紐解くまでもなく、この研究会、私的な同窓会的な雰囲気の研究会で、ざっくばらんに交流ができ、この会に出席して、様々なことを話していると、日ごろのストレスの解消にもつながります。やはり、親しい人と忌憚のない意見交換ができると、精神衛生上とてもいいですね。ぜひ、皆さんも、こうした「同好の仲間」を持つことをお勧めします。

 泊まった宿は、箱根湯本福住旅館の旧館「金泉楼」と「萬翠楼」の二棟です。明治10年前後に相次いで建てられたものだそうです。平成14年には、現存する明治初期の疑洋風建築の貴重な遺構として、営業中の旅館の建物では全国ではじめて国重要文化財に指定されたものです(『国重要文化財指定記念 福住旅館 金泉楼・萬翠楼』ー明治の息吹を今に伝える建築と書画ー 平成15年 箱根町立郷土資料館)。

 こんなすばらしい宿に泊まることができ、大変嬉しく思いました。山内容堂、三条実美、伊藤博文、木戸孝允、徳川慶喜、福澤諭吉、山縣有朋など、幕末から明治期に活躍した人々の書画が、それぞれの部屋に掛かっていて、そのことにも驚きました。

 福住旅館ロビーにて

  写真後方に見える書画には「萬翠楼」と書いてありますが、これが、木戸孝允の揮毫によるものです。明治9年(1876年)9月、木戸が箱根に静養に訪れたときのものだそうです。真ん中に見える銅像は、「金泉楼」「萬翠楼」を建てた福住旅館第10代目当主福住正兄です。江戸時代、二宮尊徳の高弟のひとりとして知られ、明治時代を迎えてからは湯本温泉のみならず箱根温泉全体の近代化に努めた人物です(前提書から引用)。

 この話だけでも、伝統と歴史を感じます。

 昨日は、恒例の巡検に出かけました。

 箱根町立郷土資料館、箱根関所、箱根神社を回りましたが、大変勉強になりました。本会会員の鈴木館長さんの説明を聞きながらの巡検でした。

 箱根町立郷土資料館

 冒頭の写真は、箱根関所で、「遠見番所」から芦ノ湖および箱根番所の全容を撮影したものです。

 来年も、この時期に研究会が開催されます。1年後の再会を期し、箱根をあとにしました。

 

 


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