沖ノ島関連遺跡の世界遺産推薦の国内候補決定でにわかに賑わう宗像市。
子どものサッカーの試合で立て続けに宗像に行く機会があったので、宗像大社(辺津宮)と、中津宮のある筑前大島とに行ってみたんだけど、海の道むなかた館の沖ノ島3D映像体験は故障してるし、大島の沖津宮(沖ノ島)遥拝所は年内改装工事中。
おいおい、せっかく観光客が増えてんのに、そんなこと先にやっといてくれよって感じだけど、そういうところは相変わらずなんだなあ。
で、沖ノ島とはなんぞやということは、僕は沖ノ島に行ってもいないし、改めて僕が説明するまでもないと思うので、細かいことはコチラで勉強してみてくだされ。
とにかく、沖ノ島の祭祀が始まるのは4世紀後半、倭と百済との間に国交が成立し、朝鮮や中国とのやりとりが盛んになった頃。
日本の歴史区分としては古墳時代の前半、日本史「空白の4世紀」にヤマト王権が前方後円墳を使って国内の支配を強化を図り、宗像氏と組んで朝鮮半島に勢力を伸ばしていた頃で、朝鮮半島との緊張、百済の滅亡などを経て、9世紀終わりの遣唐使の廃止まで、形を変えながら祭祀は続いている。
重要なのは、
◎目的地が中国だった場合も含め、沖ノ島が朝鮮半島への重要な経由地であったこと。
◎この沖ノ島ルート「海北道中」を牛耳っていたのが宗像氏であったこと。
◎宗像氏が九州最古の前方後円墳・東郷高塚古墳を造ったり、後に胸形君徳善の娘が天武天皇に嫁ぐなど、ヤマト王権と密接な関係があったこと。
だ。
一方、不思議なのは
●朝鮮半島へは壱岐・対馬ルートや旧伊都国などがあったのに、なぜ海北道中を開拓したのか?
●海人としては阿曇族もいたのに、なぜ宗像族を用いたのか?
●胸形君は筑紫君とはどういう関係にあったのか?
などなど。
そういう訳で、歴史的には沖ノ島の古神道(?)の祭祀場から生まれた宗像大社。
8~9世紀の露天祭祀の時代には大島の御嶽山頂上、
本土宗像山中腹の高宮祭場(下高宮)で同様の祭祀が行なわれるようになり、
後にそれぞれ
田心姫神(たごころひめのかみ)を祀る沖津宮、
湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀る中津宮、
市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を祀る辺津宮(へつぐう)
となる。
現在の宗像大社は、当然のことながら祭神は宗像三女神=宗像大神=道主貴(みちぬしのむち)。
道を司る神として、昭和38年に日本で初めてクルマ専用の「お守り」を作ったそうだ。
ちなみに僕は神社によく行くわりには車のお祓いも厄年のお祓いもしたことないし、お守りの類も持っていないし、絵馬を書いたこともない。
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本殿・拝殿は国の重要文化財。本殿は天正6(1578)年、大宮司家最後の宗像氏・宗像氏貞が再建した。 |
![]() | 本殿右手から鎮守の杜を通って第二宮、第三宮、高宮祭場へ向かう参道の入口。 |
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離島の二神へのお参りを一手に引き受けます! 第二宮(ていにぐう/右:田心姫神)、第三宮(ていさんぐう/左:湍津姫神)。 社殿は伊勢神宮の伊佐奈岐宮と伊佐奈弥宮を移築したものらしい。 |
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本殿から歩いて10分弱の杜の中にある高宮祭場(下高宮)。 宗像大神降臨の地と伝えられ、今でも露天祭祀が行われている。 玉垣で囲まれていて立ち入り不可。 さらにこの奥に上高宮という場所があるらしいが、上高宮と下高宮の違いがよくわからない。 |
![]() | 宗像大社のおタカラを保管・展示する神宝館。沖ノ島はそうそう行けるもんでもないし、主なおタカラはおそらくほとんどここに収められているので、結局ここに来ることになる。国宝の数なんと8万点。要するに、沖ノ島関係で展示されてるものがたいがい国宝に指定されているということ。 |
![]() | 宗像大社の正面にある海の道むなかた館。宗像の歴史関係の展示はけっこう充実しているが、僕が行った時は 「沖ノ島のバーチャルなんとかはここですか?」 「すみません、今故障していて、今日修理予定なんですよ。 あ、3Dは壊れてるんですが、2Dでよければご覧いただけますよ」 |
さて、沖ノ島にはそうそう渡れないので、沖ノ島が遥拝できる大島へ。
大島へは神湊(こうのみなと)からフェリーか旅客船が1日7or8往復。
能古島や志賀島の渡船とは違って、外海なんで結構揺れる。
海北道中を渡る苦労が偲ばれる。
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なんせ“神”の“湊”。銅鏡がシンボル。 |
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大島の港の近くにある中津宮。 |
![]() | 大島は七夕伝説発祥の地だそうで、中津宮の境内には織女神社や天の川がある。 |
![]() | ちっちゃな天の川。ここから30mも行けば海なんですが。 |
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中津宮とは島の反対側にある沖津宮遥拝所。なんと!工事中で裏手に仮遥拝所が! |
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仮遥拝所から見た沖ノ島(円の部分)。かなり霞んでるけど、日頃の行ないのいい人ならば見えるはず! |
![]() | 週末は無料の観光バスが出ていて、遥拝所→御嶽山展望台→砲台跡→中津宮をまわってくれる。1日3便で各便26名になり次第出発。運転士がカンペキそこらのおっさんの格好なので、バスのことを誰に訊いていいのかさっぱり分からなくて困った(話してみたら、いいオヤジだったけど)。 |
![]() | 御嶽山の展望台。実はこのすぐ背後の御嶽山山頂に当初の祭祀場跡があって、現在は中津宮と参道で結ばれた末社の御嶽神社になっている(先に知ってりゃ登ったのに)。なぜここを遥拝所にしなかったのか、甚だ疑問。 |
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展望台から拝む沖ノ島。展望台には双眼鏡も設置してある。 |
![]() | 大島点描。円墳と思いきや、砲台跡のトーチカ。 |
![]() | プロペラをオブジェにした島の歯科診療所。 |
![]() | 島のスナックは明朗会計。 |
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