童男山(どうなんざん)古墳群
6世紀後半(古墳時代後期)
仕事で八女から星野村に向かう道すがら。
「このへんは古墳銀座だよな~」とか思いつつ車を走らせていたら、ふいに現れた「童男山古墳0.2km←」の道しるべ。
いても立ってもいられず、時間はないけどちょっとぐらいよかろう、と寄り道してきた。
丘陵地の坂道を登ると、古墳見学者用の駐車場がある。
ここから撮ったのが上の写真。
なんせ岩戸山古墳のイメージがあるので、この丘全体がでっかい古墳なんだろうと思ったら、周囲を歩いてみると12号だの2号だの4号だのと、小さな古墳がやたらとある。
全部ひっくるめて童男山古墳群ということらしい。
とにかくまずは丘のてっぺんにある1号墳(県指定史跡)へ。
1号墳は、八女古墳群の中でも最後の方に造られた、直径48m、高さ6.7mの円墳。
日本でも珍しい巨石古墳(石室の主要部分が巨大な石で組まれているということだと思う。明日香の石舞台もこの類い?)だそうで、石室の中にも自由に入ることができる。
羨道(えんどう/入口からの通路)は崩れてなくなってるが、入口の手前に羨道の天井に使われていたと思しき巨石がで~んと横たわっている。 |
前室(棺のある玄室の手前の部屋)。右手にある石仏の頭が妙なことになってる(もちろん石仏は後の時代に置かれたものだろうが)。 |
玄室の奥にある石屋形(石棺を囲む屋形)。手前には石の船のようなものがあるけど、この時代の石製品だとすると、よくできすぎのような気がする。全体、石にはべんがらの赤が残っている。 |
玄室の左手にも石棺あり。 |
この童男山古墳、徐福の墓だという伝説もあるが(たぶん「童男山」という地名もそれに因む)、徐福はBC3世紀頃の人なので、これは誤りのはず。
八女の古墳群はだいたいが磐井一族の墓といわれていて、童男山は一族のほぼ最後の墓と考えられているそうな。
1号墳の手前、駐車場の横にある12号墳。ここも石室が開いている。 | |
12号墳の石室内部。入口はとても狭くなっている。 | |
1号墳の少し手前にある2号墳。 | |
2号墳の石室内部。ここも入口は少々狭い。 | |
1号墳の向こう側にある4号墳。あんまりそれっぽくないが、周囲を回ればどこかに石室が口を開けていたのかもしれない。 |
童男山古墳群は全部で27の古墳が見つかっているそうだけど、1号墳を頂上にした丘全体が古墳の集合住宅のような感じだった。
※どうでもいいけど、福岡県の観光情報サイト「クロスロードふくおか」の童男山古墳の説明には「日本有数の巨大古墳」とりますが、「日本有数の巨石古墳」の誤りだと思われます。
童男山古墳群
八女市山内1281
大きな地図で見る
--CONTENTSへ--