日本の風景 世界の風景

日本と世界各地の景観を、見直します。タイトルをクリックすると、目次(1)(2)(3)になります。

スペイン Spain

2007-08-30 | 世界地理
スペインのオリーブ生産は世界第一位
スペイン全域でオリーブが栽培されている。栽培面積は242万ha、栽培本数は3億万本である。スペインのオリーブ生産量は世界の30%以上を占める。オリーブ栽培の中心は南部のアンダルシア州であり、スペイン国内の80%を生産する。
輸出先はイタリアである。イタリアは自国産オリーブ油として、世界中に輸出する。
スペインのオリーブは近年はピクアル種の栽培が増加している。含油率は20%以上である。

スペインは強盗・泥棒の発生率は世界第一位
日本の外務省が、スペイン旅行者に注意をよびかけている手口。
(1)物乞い盗
数人の子供が物乞いのふりをしながら日本人に近づいて注意をそらし、テーブルの上の携帯電話や椅子の背もたれにかけたカバンなどを盗む。物乞いを相手にしないこと、所持品から手を離さないこと。
(2)車の窓ふき盗
信号で止まった車の窓を拭いてチップを要求し、運転者の気をそらしているスキに、ドアを開けて車内に置いてある物を盗む。あるいは運転者が窓を開けた瞬間に車内の物を盗む。「窓拭きの必要はない」ことを告げ、相手にしないようにすること。また、窓やドアを開けないこと。
(3)パンク盗
高速道路などで、タイヤがパンクしていることを指摘し、車両を停止させる。タイヤの確認をしている隙に、車内の物や、車両自体を盗む。「タイヤがパンクしている」と指摘されても、その場で停止して確認や修理をしないこと。確認や修理のために車外に出る時には、必ずドアをロックすること。

ジブラルタルはイギリス領、セウタはスペイン領
ジブラルタル海峡は、ヨーロッパとアフリカを隔てる海峡である。大西洋と地中海の境に位置している。水深286m、海峡の幅14km~44km、長さ60km。
ジブラルタルはかつてスペイン領であったが、1704年にイギリスが占領、1713年のユトレヒト条約によりイギリス領として認められた。第二次世界大戦中はイギリス海軍の重要な拠点であり、ジブラルタル海峡の封鎖を行った。
現在、スペインはジブラルタルを自国領と主張しているが、イギリス政府にとっては、地中海と大西洋を結ぶ軍事的要衝であり、スペインに返還する考えはない。





セウタは、アフリカ大陸側モロッコの領土であった。ポルトガルのエンリケ王子が1415年にセウタを占領、ポルトガル王国領となった。セウタからイスラム教徒を追放、キリスト教を伝えた。
1580年にスペインのフェリペ2世がポルトガル王位を継承して以来、セウタはスペイン領となった。1668年のリスボン条約で、セウタは正式にスペイン領土として認められた。

スペイン語は一つではない
独裁国家は各地方の固有言語をつぶし、国家言語を一つにする傾向がある。たとえば、現在の日本語・フランス語・インドネシア、そしてフランコ独裁時代(1939~75年)のスペインである。
現在のスペインでは、首都マドリッドを中心とするカスティーリア語が国家言語ではあるが、各地方では、地方言語が公用語として使用されている。
カスティーリア語
スペインの首都マドリッドを中心とする地域はカスティーリア地方といわれる。乾燥の強い高原メセタが大部分を占め、ブドウの生産と羊の遊牧が今でも盛んである。15世紀にはアフリカからのイスラム教徒侵略を撃退し、イベリア半島にカトリックを植え付けた自負がある。カスティーリア語そのものをスペイン語と確信している。
カタルーニャ語
地中海岸のバルセロナを中心とする地域では、フランス語に近いカタルーニャ語が公用語として使われている。バルセロナは19世紀には鉄鋼・造船・繊維産業などの近代化が進んで、スペイン最大の工業都市になった。しかし、フランコ独裁時代(1539~75)にはカタルーニャ語の使用が禁じられて、カスティーリャ語の使用が強制された。
1992年のバルセロナオリンピックにより、カタルーニャ語の重要な地位を国際的に認知させた。またカタルーニャ州は州憲法を制定、幅広い自治権を得た。
ガリシア語
スペイン北西部、カンタブリカ山脈が大西洋に沈み込み、リアス式海岸になっている地域である。スペインの他の地域よりは、船によるポルトガルとの交流が盛んであり、ポルトガル語の混じったスペイン語が使われる。これがガルシア語である。
アンダルシア語(カスティーリア語の方言)
スペイン南部。コルドバやセビリアにはイスラム教と北アフリカの影響が強い。アンダルシア語にはアラビア語が混じっているが、カスティーリア語の方言とみなされる。アンダルシア地方からは、中南米の植民地経営に行った者が多く、中南米のスペイン語は、アンダルシア語が主流である
バスク語(バスク人固有の言語)
ピレネー山脈西麓に50万人のバスク人が住む。バスク語を話すが、スペイン語との共通性はない。バスク語は世界のどの言語とも共通性のない、系統不明の言語である。
バスク語はフランコの独裁時代には使用禁止になり、スペイン語を日常生活で使う者が増加した。フランコの独裁政治の終わったあと、自治権を得たが、バスク語を使う者は30万人以下に減少した。スペインでは役に立たないバスク語の復活は難しく、バスク民族は滅亡の危機にある。
1959年に「バスク祖国と自由(ETA)」が結成され、バスク民族を守ることを目的に、スペイン政府に対してテロ活動を展開している。


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